火
料理長は心配顔で、再三「お気をつけください」と注意を促した。
「くれぐれも取り扱いには注意してください、姫様」
大きく頷いて、姫は小さな火種を受け取った。
晩秋、時折小雨のぱらつく肌寒い曇天が続いていたが、王宮の一角にある屋敷の厨房は汗ばむほどに暑かった。開け放たれた窓から、灰色の煙が立ち昇っていく。
「やっ、やだやだっ、どうしよう~っ!!」
情けない声をあげ、慌てふためいているのは屋敷の主であるリアネイラ姫だ。
モクモクとあふれ出てくる煙にまかれながら、リアネイラは大急ぎで煙の原因を、かまどから取り出した。
まさにほうほうの体でかまどから取り出された「それ」を見、リアネイラはため息をつく。
「……また失敗……」
リアネイラは呟き、がっくりと肩を落とした。
焼け焦げたそれは、胡桃のケーキになるはずだった。
見るも無残な「黒焼きケーキ」と化してしまったそれを見るのは、いったいこれで何度目か。
(いつになったらまともに食べられるものを作れるようになるんだろう……)
リアネイラは地面にめり込んでしまいそうなほどに、しょぼくれている。
厨房の管理者である料理長に迷惑をかけたことを心から詫び、その後女官長のハンナの小言を甘んじて受けた。
侍従のキィノは笑いつつも、
「挫けずに、次こそ頑張りなよね」
と励ましてくれ、侍女達には、
「慣れないうちは、火加減を見、整えるのは難しいものですわ」
と慰められた。
リアネイラが姉のように慕っている侍女のフィスリーンなどは、
「姫様がお作りになったものなら、きっと、セオドアス様はなんでも喜んで食べてくださると思いますけど?」
と、からかう風に笑って、言う。
それは、そうだろうとリアネイラも思っている。
優しいセオドアスは、迷惑顔も困惑顔もせず、受け取ってくれるだろう。
「だから、困るのに……」
大好きな「婚約者」に、とんでもない苦労を与えたくない。やっぱりちゃんと美味しく仕上がったものを食べて欲しい。
フィスリーンは笑う。
「恋する乙女心は、複雑ですものね?」
リアネイラは頬を赤らめ、しゅんと俯いてしまった。
騎士セオドアスが軍務棟から戻った頃には、厨房での騒ぎは収まっていた。
しかし、空にかかる雨雲よりも暗いリアネイラの表情は、一向に晴れる気配が見られなかった。
己の不器用さ、あるいは才能の無さを具現化したような「それ」を見てはため息をつくリアネイラに、セオドアスは気の利いた言葉をかけられず、少々困っていた。
なんと言って慰め、励ましたらよいのだろうか。
そう思う反面、セオドアスは繰り返しの失敗にしょげ返っているリアネイラが愛しくて堪らず、微笑が口元に浮かんでしまっていた。
自分のためなのだ、リアネイラが奮闘しているのは。
――いや、自分のためだけではないかもしれないが――……、そう思っていたかった。
そうであって欲しい。
俺だけの、――リアネイラ。
「リィラ」
名を呼ばれ、うなだれていたリアネイラは弾かれるようにして顔を上げた。
「顔を見せてくれ、リィラ」
手を伸ばし、触れたリアネイラの頬は温かかった。
「煤がついている」
「わっ、やだっ、顔、ちゃんと拭いてなくてっ」
「怪我は? 火傷はしていないか?」
「うん、平気。大丈夫だよ。ちょっと燻されちゃっただけだから」
「そうか」
「ごめんね、セオ。心配かけちゃって。でも、わたし……」
「リィラ」
セオドアスは俯きかけたリアネイラの頬を両手で挟んだ。
「リィラ、無理はするな。焦らずに、できることから徐々にやっていけばいい。……待っているから」
「……セオ」
琥珀色の双眸が、真っ直ぐにセオドアスを見つめる。
「うんっ、ありがとう、セオ!」
明るい陽の光を宿す瞳と、秋の空のような爽快な笑顔を向けられ、セオドアスは眩しげに目を細めた。
「よかった、そう言ってくれて! 迷惑かなって思ってたんだけど」
「そんなことはない」
「うんっ! あのね、わたし、いつかはセオの好きなものを作れるように、頑張るね!」
満面の笑みに、セオドアスも微笑を返した。
「リィラ。……少し、味見をさせてくれないか?」
「えっ?! もっ、もしかして、あれ? だっ、だめだよ、セオ、あんなのっ!!」
テーブルの上の「黒焼きケーキ」と、優しい色を湛えるとび色の瞳とを忙しくなく見やって、リアネイラは「だめ」を連発する。
「だめったら、だめだからねっ、セオ! あんなの食べたらお腹こわしちゃうよ!」
「……違う」
「セオ?」
セオドアスは慌てふためいているリアネイラの細腰を、強引に寄せた。
「……俺の……」
「え?」
何、セオ? と、問う間もなく、リアネイラは唇をふさがれた。
「―――っ!?」
リアネイラを抱きしめ、唇を重ねる。
セオドアスの腕の中で、リアネイラは硬直してしまっていた。
頬についている煤を手の甲で拭い、赤みをおびた柔らかな金の髪を、指で梳き、撫ぜる。
セオドアスの「好きなもの」は、蕩けるように熱い。そして――……
「……甘いな、リィラは」
耳元でささやくと、リアネイラはさらに頬を紅潮させ、茹だる。
セオドアスは小さく笑み、もう一度、今度は額に口づけた。
「いい焼き具合だな、リィラ。いや、それとも強すぎたか、火加減?」
からかうようにセオドアスは訊く。
「もっ、もぉっセオッ!!」
セオドアスは苦笑する。
火の勢いが強すぎ、焦げたのは自分の方だ。
セオドアスは軽く瞼を伏せ、首を伸ばして嘆息した。
腕の中の甘い「火種」は、少し震えている。セオドアスの胸元を緩く握り、身を寄せたままで。
「……意地悪セオ」
拗ねたようなか細い声が、さらにセオドアスを熱くさせる。
鎮火の気配を見せない炎を胸の内に抱え、セオドアスは呟いた。
「加減するのは、難しいものだな」
――本当に。
リアネイラは反芻していた。
取り扱いにはくれぐれも気をつけるようにという、その言葉を。
もともとこちらの「お題」は、口説きバトン?としていただいたものでした。
『雪』 『月』 『花』 『鳥』 『風』 『無』 『光』『水』 『火』 『時』
以上10点のキーワードをもとに気障台詞満載で口説き文句を考えようという「バトン」
せっかくなので、一本の話にまとめてみようと思い立ったものです。