鍵姫
国王陛下の、妾腹ではあるが、認知された「王女」。
それが、王宮の一角にある屋敷に迎えられたと同時に与えられたリアネイラの立場であり、心得なければならない事実だった。
制限の多い暮らしの中で、リアネイラはわがままを言うことを控えるようになり、遠慮がちな性格はそうして培われていった。
そうはいっても、まったくわがままを口にしないわけではない。時として、わがままを押し通してしまう強引さもあった。
たとえば、庭師の手伝いや、馬術と剣術の稽古等がそうだ。
リアネイラが口にするわがままの大半は些細な事、ある種無私な事ゆえに、わがままを言われた側は大抵にこやかにそれを聞き入れ、「もっと他には?」と逆に望んでしまうほどだ。
だが、おそらくセオドアスこそが、「もっと」と望んでいる。
わがままを極力我慢し、他人を気遣ってばかりのリアネイラは、護衛役であると同時に婚約者であるセオドアスに対してすら、まだどこか遠慮がちだった。
「もっと、俺にわがままを言ってくれ」
繰り返し言っても、リアネイラは嬉しそうに笑うだけで、セオドアスに甘えることは少ない。寄りかかって泣き顔を見せることはあっても、気持ちを前面に押し出すことはできないようだった。
こればかりはリアネイラの気質ゆえ、致し方ないとも思っている。
押し込めてしまいがちなリアネイラの胸間を、ゆっくり時をかけ、解いていけばいい。
「だから、俺の前でだけは無理をせず、我慢もしなくていい」
セオドアスの腕の中、リアネイラはばら色に頬を染め、こくりと頷く。
「ありがと、セオ。いつもいつも、本当に」
セオドアスの胸にもたれかかり、リアネイラは少しばかり我慢をしていた。
嬉しさに感極まって、泣き出してしまいそうになるのを。
大好きな人だからこそ、わがままを言ってしまう。
リアネイラはセオドアスに対して、たくさんのわがままを言っていると思っていた。セオドアスは「もっと」と言ってくれるのだが、これ以上自分ばかりが甘えきってしまっては、やはり少々気が重い。
だけど、大好きな人だからこそ、その人のわがままを聞きたい。そう願う気持ちは、リアネイラ自身、持っていた。
「あ、あのね、セオ!」
そしてリアネイラはひとつのわがままを、セオドアスに告げることにした。
「セオはいつも、わたしのわがままを聞いてくれるでしょ? でもわたし、セオのわがままを聞いたことってなくて」
セオドアスの胸元を軽く掴んで、リアネイラは顔を上げた。
まっすぐに向けられた琥珀色の瞳に、とまどい顔のセオドアスが映る。
「だから、セオも我慢しないで。わたしに…………その、わがまま言ってほしい」
生真面目な顔をし、真摯な口調で、リアネイラは言う。
「セオ、わたしのことすごく気遣ってくれてるって、わかるの。嬉しいけど、セオ、窮屈なんじゃないかなって思って……」
「…………」
セオドアスはつきかけた苦笑まじりのため息を、寸前で堪えた。
胸が締めつけられ、息苦しいほどだ。
「リィラ」
「……っ」
突然抱きすくめられ、リアネイラは全身を硬直させた。
「セッ、セオ、あのっ」
「…………」
なんと応えればいいのか。返事に窮したセオドアスは、目を閉じ、リアネイラの赤みを帯びた金の髪に顔をうずめた。
リアネイラのわがままは、これまで何度も受け入れてきた。
だが、今宵の「わがまま」は、即答を躊躇わせ、抑制心をぐらつかせる。
剣術の稽古を頼まれた時も困りきったセオドアスだが、それの比ではない。
セオドアスの胸の内、理性には錠がかけられ、容易くははずれない。
しかし、今この腕に抱きしめている無防備な姫は、万能の鍵を持っている。
愛らしく笑んで、どんな堅い錠でもあっさりとはずしてしまう。
「セオ? もしかして、怒った? 生意気なこと言っちゃって、わたし……」
「……いや、そうではないが」
苦笑し、セオドアスは腕の力を緩め、リアネイラに顔を向けた。
申し訳なさそうな顔をしているリアネイラは、セオドアスの心情を察せられずにいた。むろん、セオドアスには幸いなことだったが。
「セオ?」
「いきなり無理はさせられない。だが、そうだな。徐々に……させてもらおう。その言葉に甘えて」
「?」
リアネイラは小首をかしげ、不思議そうにセオドアスの艶めいたとび色の瞳を見つめる。
「だからしばらくは我慢をさせてくれ、リィラ。無理を、させないためにも」
「……う、うん。セオがそう言うのなら」
何のことかはわからない。……わからないが、鼓動が高鳴って、頬が熱くなる。
「でも、わたしにできることがあれば、言ってね。わたしばっかりわがまま言ってるの、やっぱり辛いから。……これも、わたしのわがままなんだけど」
付け足した言葉がいかにもリアネイラらしく、笑みを誘う。
「……ああ」
セオドアスは甘くも苦くもある微笑を浮かべ、リアネイラを見つめ返した。それからすぐに腕をほどき、リアネイラの身体を離した。
セオドアスはリアネイラに願う。声に出すことは、到底できないが。
―――今夜はもう、その鍵をしまってくれ。
はずれた錠をかけなおすには、時間がかかる。
無理をしてでも、今宵だけは、錠をさしておかねばならない。
愛する姫を困らせ、……壊してしまわないためにも。
セオドアスの逡巡に思い至ることなく、万能の鍵を持つ姫は屈託のない笑顔を向け、「おやすみ」を言う。
そして、続けざまに言うのだ。
「いつかはセオの望むように、きっとしてね」
また一つ、セオドアスの心をはずさせたなど思いもせずに。