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ずっとずっと、好き。  作者: るうあ
ずっとずっと、好き。本編以後の小話
13/38

浴びるほど

侍従キィノ編なのでセオもリィラも登場しません

 日暮れ近くになって、突然風が強まった。湿気を帯びた風と空を覆う灰色の雲が、雨を報せる。

 気晴らしを兼ねて街に買出しに来ていたキィノは、空を仰いだ。

 のんびり気ままにそぞろ歩きを楽しんでいたのだが、それも終いのようだ。

 ぽつり、と大粒の水滴が鼻先にかかった。

「やば。どっか避難しないと」

 キィノが雨宿りをしようと駆ける足よりも早く、雨は降りだした。しかも水桶をひっくり返したかのような勢いで。

「キィノ! キィノ、こっち来なよ」

 呼ばれた声のするほうに、キィノは足を向けた。

 酒屋の軒下に逃れ、キィノは濡れた額を手の甲で拭った。

「久しぶり、ノーラ」

 自分を呼んだのは、顔馴染みの女性で、軒を借りている店の娘だ。赤毛と灰色の瞳の彼女は、キィノより三つ年長で、背もこぶし三つ分くらいは高い。闊達な少年のような笑みを見せる彼女に、キィノも笑みを向ける。

「久しいね、キィノ。今日は買出し?」

「まーね。雨に降られる前に屋敷に戻りたかったけど、ノーラに会えたからいいか」

「口がうまいね、相変わらず。じゃ、ついでだし、店に寄ってきなよ」

 ノーラは店の扉を押し開けた。

 各地の地酒や果実酒の即売店は、扉を開くと、甘い匂いで客を迎える。

「温かいモンでも淹れてくるから、そこに座ってて」

「うん、ありがと」

 キィノは抱えていた荷物をテーブルに置いた。

 飲食店ではなく、酒の即売の店のため、テーブルと椅子は一脚しかない。テーブルの上のランプは火が消え、店内は薄暗い。

 キィノはランプに火を入れた。橙色の灯りと消炭色の影がテーブルの上でゆらゆらと踊る。

「お待ち」

 ノーラが淹れてくれたそれは、温めた果実酒だ。蜂蜜が入っていて、やや甘い。

「ん、美味しい、これ」

 鼻先をくすぐる湯気も、甘く香る。

 秋の雨は冷たい。さほど濡れはしなかったが、やはり身体は冷えてしまっていた。その身体を内側から温めるのに、酒はもっとも手っ取り早い方法だ。

「ちらっと聞いたけどさ、お姫さん、ついに結婚が決まったんだって?」

「え、ああ、うん」

 唐突にふられた話だったが、必然の質問だった。ノーラにはよく、リィラのことを話して聞かせていたのだ。

「十年越しの恋を実らせたってことだよね。詳しい顛末を聞きたいねぇ」

「いいけど」

 ノーラは自分用にも椅子を一脚持ってきて、キィノの差し向かいに腰かけた。もちろん、手には果実酒がある。

「キィノは……」

 ノーラが言いかけたその言葉を、突然の閃光が遮った。青白い光が走った数瞬後、天を裂くような激しい轟音が響く。

 雷鳴がとどろき、雨足はさらに強まっていく。

 まいったなぁ。

 キィノはため息をついた。

 帰るのが、遅くなりそうだ。



 二杯目の果実酒を自分とキィノのため淹れてから、ノーラは話を戻した。

 ノーラは椅子の背もたれに肘をかけた。

 国王陛下の、めかけ腹とはいえ気に入りの娘の恋の成就話は、話題性がある。友人らにも教えてやろう。ノーラは、そんなことを気楽に考えていた。

「それで、キィノは?」

「オレ?」

「いや~、こういう場合さ、キィノの立場は、幼馴染みの姫にほのかな恋心を抱きつつも、潔く身をひくっていうのが常套じゃない?」

「…………」

 キィノは苦笑した。苦い、というより、少しすっぱいような気分だ。

「オレ、そんな風?」

 答えるより、尋ね返してみた。キィノは時々、こんな風にずるい手を使う。

「え。いや、どうかな」

 訊かれて、ノーラは返答に窮した。思わぬキィノの反応だった。じっとみつめてくるその双眸に浮かぶ色は、少し蒼ざめている。

「寂しげ……ではあるかなぁ?」

「……そう? でも、それはそうかな。友達……とかいうとまた母さんに叱られるけど、親しい人の結婚が決まるって、そういうもんじゃない?」

「ああ、そうかな。嬉しいような、ちょっと寂しいような?」

「そうそう。実際、ほっとしたし、嬉しいよ、リィラのことは」

「へえ、そうなんだ」

 ノーラはカップをテーブルに置くと、窓の外に目を向けたキィノの横顔を見やった。

 再び、雷光が走る。

 思わず肩をすぼめたのは、ノーラだった。キィノは頬杖をついて、そしてやはり窓の外を眺めている。

 キィノのそうした表情を、ノーラは初めて見る。

 気分が落ち着かないのは、やまない雷雨のせいなのだろうけれど。



 向き直らず、キィノは語りだした。

「オレね、昔すごく怖がりで、雷がダメだったんだよね」

 今の様子を見ている限りでは、とても信じられない。雷鳴に、まるでびくともせずにいるキィノは、ようやくノーラの方に顔を向けなおした。

「いつだったかなぁ。雷が鳴り続けてる日があってさ、しかも夜で、オレ、怖くて眠れなかったんだよね」

 くすっと、キィノは笑う。

「あんまり怖くてたぶん声あげてたんだと思う。自分じゃ憶えてないけどさ。で、その声聞きつけて、何故だかリィラが部屋に来たんだ」

 懐かしさに目を細めるキィノを、ノーラはやや戸惑いがちに、見る。どう対応していいやら、わからない。

「怖がるオレの傍に来てくれて、大丈夫だよって慰めてくれたんだよね。普通、男女逆だよね、こういうのってさ」

「……お姫さんは、雷平気だったの?」

「うん。リィラはね、雷、けっこう好きなんだって。ヘンだろ? 母親から、雷は天の神が奏でる音楽なんだって聞かされていたらしいよ?」

「派手な音楽だねぇ」

「雨も音楽。風は歌……ってさ。まあ、リィラの母親は旅楽団の歌姫だったからね。逞しい人だったんだよね」

 あれはまだ、リィラの母親が存命だった頃のことだ。出逢って間もない姫に励まされ、あげく一緒のベッドで眠ってしまったのだ。晴れた翌朝、キィノは母親のハンナに雷を落とされた。そっちの方がよっぽど怖かったなどとは、その時はとても口にできなかった。

 リィラは、キィノを庇うようにしてハンナの前に立ちふさがり、再び「雷」からキィノを守ろうとした。

「違うの、ハンナ! わたしが怖くって、雷が怖いからって、キィノに一緒に寝てくれるように頼んだの! だからキィノを怒っちゃだめ! キィノは悪くないの!」

 嘘が下手なくせに、そうやってキィノのために、嘘をついた。半泣きになって。

 結局、ハンナが折れた。もちろん、説教をこんこんとした後に、ではあったが。

「……キィノは、本当にお姫さんのことが大事なんだね」

 しみじみと言い、ノーラは嘆息した。

「うん、そうだね」

 臆面もなく、キィノは認めた。

「キィノとお姫さんって、幼馴染みの友達って関係だと思っていたけど、ちょっとだけ、違ったね」

「…………」

「妙な言い方かもしれないけど、何のかんの言っても、やっぱり主従関係なんだね、二人って」

「改めて言われると、確かに妙な気分だね」

 キィノの臆面のなさは、男としての「照れ」がさほどないからだ。幼馴染みの姫に対して、キィノはある程度の距離と節度をもって接している。リアネイラ姫を女性として扱いながら、男である自分をさほど意識していない。

 主従、と言ったが、膝を屈し、何でも命令に従うような冷たい関係ではない。

 それが傍から見ていると、少々……妬けるのだ。

「……ん? あれ?」

 ノーラは自分の思考の流れに、首を傾げた。

「何、ノーラ?」

「……いや、なんでも」

 ノーラは慌てて首を振った。しかし眉間に皺を寄せたままだ。

 打ち鳴らす太鼓のような雷鳴は、次第に遠ざかっているようだ。雨足もさっきよりは弱くなっている。

 だが、あいかわらず店内は薄暗い。ランプの小さな灯りだけでは心もとないくらいだ。

 しかめっ面をするノーラを見、キィノは気づかれないよう、笑みをこぼした。

 好機は、生かさないと。

 リィラに言ったその言葉を、今度は自分に言い聞かせてみる。

 ここで挫けるわけにはいかないよね、と。



「ノーラ。あのさ」

 やおら、キィノは真面目顔になって、話し出した。

 雨は、もうやみかけている。

 雲間から黄昏の色をした日が射し、雷鳴も、もう遠く響くだけだ。

「オレね、屋敷を出ようと思ってるんだ。近いうちに」

「へえ、そうなの? お姫さんについてはいかないんだ?」

「新婚家庭にお邪魔するほど野暮じゃないしね。……前から考えていたことだから」

 まだ少し先になるが、リィラはセオさんの用意した屋敷に行く。そこに、おそらくは母親は伴うことになるだろうが、自分は辞退するつもりだ。……まだ、そのことは話していないのだが。

「屋敷を出て、どこへ? 王都を出るとか?」

「王都からは出ないよ。時々は、リィラにだって会いに行きたいし」

「じゃ街に住むの? それは、ちょっと意外な選択だったな」

「意外って、どうして?」

「キィノはさ、てっきり宮廷にでも入って、侍従長だの、事務官だの、そういうのになるもんだと思ってたからさ」

「まあ、それはそれで悪くないけど、考えてなかったなぁ、正直」

「そうなんだ。キィノってさ、宮廷の膝元にいたせいかな、あたし達とは、やっぱちょっと違ってたよ」

 ふうん? とキィノは相槌をうった。もしかして自覚していたのかもしれない。ノーラは大人びた顔をする「少年」を見やる。

「キィノは、あたし達みたいなのとも対等につきあってたけど、それでいてやっぱり上流な雰囲気がいつも漂ってた。環境のせいなんだろうね」

「由緒正しい平民出なんだけどね?」

「うん、だから、環境で変わったってことだよ。ずっと上流階級の中で暮らしてたら、自然と身につくんじゃない? 本人の資質ももちろんあるだろうけどさ」

「自分じゃわからないけどね」

「じゃ、たとえばお姫さんだけど、お姫さんだって、母親は旅楽団の出で、身分的に低かったわけで、生まれは上流じゃないでしょ? でも、やっぱりお姫さんって雰囲気はあったんじゃない?」

「……う~ん、それは、まぁ、たしかに」

 いかにもお姫様然とはしていないが、やはりリィラには独特の品格がある。高飛車なものではない。だが漂う雰囲気は、下町の娘とは違っている。

 環境が、リアネイラを姫として育て、品位を持たせた。たしかにノーラの言うように、資質もあってのことだろう。

「だからね、そういうこと。だいたいさ、あたしがキィノに会った時の印象つったら、「上品ぶったお坊ちゃん」だもの」

「優男の烙印も押してくれたよね、たしか」

「そうだっけ? や、それは憶えてないや」

 ノーラはあっけらかんと笑う。

「そういう男は、ノーラの好みじゃないんだ?」

「え?」

 今日のキィノは意外性に飛んでいる。ノーラに返答を止まらせたのは、これで何度目か。

「優男」

「え、や、そりゃま、優男はそんなに好きじゃないけど、別にキィノのことじゃないよ」

「…………このお酒」

「はえ?」

 あまりに唐突に話を変えられ、ノーラは素っ頓狂な声を返した。

「美味しいね。買っていこうかな。三本くらい」

「あ、ああ」

 そそくさと、ノーラは立ち上がった。

 突然の雷雨は、突然でもまだ予測はつく。ところが、今日のキィノときたら、通り雨よりも予測不能な言動ばかりだ。

 幼馴染みの姫の結婚話が彼を情緒不安定にしているんだろうか。

「冷やしても温めても美味しいからね。今年の新酒さ」

 棚から目当ての酒を取り、両腕に抱えて戻ったノーラから、まずは一本だけ受け取った。

「ありがとう、ノーラ」

 キィノは立ち上がり、少し腰を屈ませたままの姿勢で窓の外を見やった。まだ雨は残っているが、ほんの小降りだ。いつやむかわからないが、足早に過ぎ去った雷雨が戻ってくることはなさそうだ。

「そろそろ屋敷に戻るよ。今夜は、こいつで夜更かしだ」

「一人で?」

「……今夜は、リィラと二人で。最後に、ね」

 語り明かそう、一晩中。自分は酒に強いが、リィラの酒量は少ない。酔い潰してしまったら、また母親に叱られるだろうし、もしかしてセオドアスの顰蹙もかうかもしれない。

 けれどリィラは付き合ってくれるだろう。だからその時に、屋敷を出ること、リィラについてはいけないことを、告げなくてはならない。寂しがるかもしれないけど、分かってくれるだろう。

 そして、酒の席だからこその話も聞かせてやろう。

 リィラは、どんな顔をするだろう。

 驚いて、でもきっと、「頑張って! 応援してるね!」と言うだろう。自分がリィラにそう言ったように。

 今夜の酒の肴となる彼女を見て、キィノはいたずらっぽく笑った。



 ふと思いついて、ノーラは酒棚からもう一本、瓶を取り出してきた。

「キィノ、これ。一本は、あたしからのお祝いってことで」

 三本分の代金はもらったが、さらに一本、キィノに持たせた。荷物は重くなったが、キィノはありがたくノーラの好意を受け取った。

 今夜飲み明かすというのなら、四本位じゃ足りないだろうけど、キィノの腕はもう荷物いっぱいになっていて、とてもこれ以上は持てそうもない。

「お姫さんに、よろしく」

「うん、ありがと。それとね、ノーラ」

「うん?」

 店の扉を引いて開けるノーラに、キィノは一歩だけ近寄った。身長差が、この時ばかりは口惜しい。

「オレね、王都からは出ないよ。ノーラが、街にいるからね」

「……は?」

「これから本腰入れるから」

「なん……なんのこ」

「いいよ、今はまだわからなくってもさ。オレも最近気がついたところだからね」

「や、だから」

「リィラのことが一段落ついたからかな。そろそろ自分も頑張らないとね」

「はぁ」

「今度、また一緒に飲もうね、ノーラ。とことんつきあうから」

「それは、いいけどさ」

「できれば、二人きりで」

「えー……と」

 キィノは晴れ晴れと笑う。

 西日がまぶしく、ノーラは手をかざしてその陽射しをよけた。それと同時に、キィノの視線をも、ついよけてしまった。

 キィノの言わんとしていることがまったく解からないほど、ノーラは子供でもないし、鈍感でもない。ましてやとぼけて知らん顔ができるほど無神経ではない。

 第一、何、この動悸は?

 ノーラはまさかの事態に、自分で呆れるほど動揺している。……予測不能……じゃ、なかったのかもしれない、と。

「……わかった」

 意を固めて、ノーラは挑むような顔をキィノに向けた。

「受けて立つよ、その勝負!」

 キィノは笑う。もしかして、ノーラは、照れているのかな。

 そう思うと不思議とくすぐったい。

「でもそう簡単には負けないからね」

 素直じゃないような、けれど素直なノーラのその言葉が、キィノは嬉しかった。ともあれ、認めてくれたのだ。男として勝負をかけることを。

「うん。じゃ覚悟しといてよね、ノーラ」

 ノーラは敗色濃厚そうな自分を、満面の笑みのキィノから感じ取って、思わずむうっと口を尖らせる。 

 先手を打つことに成功したキィノは、にこやかに手を振り、いずれは出る現在の住処へと、帰っていく。駆け足になって。




 ノーラはしばらく店先に立ったまま、キィノの立ち去っていったほうを見つめていた。

 どんなに激しくても一時的な通り雨。けれど、それは本当には一時的なものではないはずだ。

 ふと、ノーラは空を仰いだ。

 空にはまだ巨大な雲が横たわっている。黄昏時の陽光に反射し、まるで黄金の城のようだ。

「……負けないんだから」

 ノーラは呟く。今夜はきっとお姫さんを酔い潰してしまう彼を、今度はきっと自分が潰してやろう。

 そんなことを意気込む自分自身を、ノーラは笑った。

「負けないからね」

 そして、ノーラがそう思っていたのとほぼ同じ頃に、キィノもそう独語していた。

 突然の雷雨がもたらした好機を、ちゃんと生かせたかな?

 水溜りをよけて走る足が、軽い。気分と同じくらいに。

 雷雨は、もしかしてオレには幸運の先駆けなのかもしれないな。

 にやついて、そんなことを思うほどに、キィノの足も心も浮かれている。

 雨の匂いの残る街に降り注ぐ夕の光は、甘い美酒のようだ。

 そして、その美酒を浴びて、すっかり酔ってしまった。

 爽快なほど、晴れやかに。





一応、注意書き。

未成年の飲酒は、日本では法律で禁止されています。

こちらの世界では禁止されていませんので、その点ご理解ください。

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