月
皓々と照らす満月の秋の宵から、数日後。
下弦の月の光が今宵も地上に降り注いでいた。
夜空に連なって浮かぶ雲の合間に下弦の月が姿をみせ、白い光を放っている。
美しい宵、小さな庭園の石造りの長椅子に腰かけ、赤みをおびた金の髪を持つ姫は有棹撥弦楽器を奏でていた。亡くなった母から教わった楽曲全てを、絶え間なく爪弾いていく。
歌姫と称された母が亡くなって、七年が経つ。王宮の片隅の屋敷を与えられてからは、十年。王女として認知されたリアネイラは、生活の保障をされるのと引き換えに、自由を失った。窮屈な日々にリアネイラは耐えねばならなかった。母のため、そして父王のために。
だが決して不幸せなだけの毎日ではなかった。
一人の騎士と出逢い、初恋を知った、それゆえに。
ふと手を止め、リアネイラは夜空を仰いだ。月が雲間に隠れ、しんとした闇が落ちかかってくる。真っ暗になることはないが、月が隠れてしまったことで静寂さが際立って感じる。
ため息をつき、ウードの弦を一本、抓んだ。
低い音が、地に響く。
そうして奏で始めたのは、母から教わった曲ではなく、他の誰かから習った曲でもなかった。
緩やかな曲調のそれは、寂しげな旋律だが、物悲しさを誘うものではなかった。
歌はなく、リアネイラはただウードだけを奏でる。風に揺さぶられる梢が、それに応えているかのようだった。
「……リィラ」
名を呼ばれたのと同時に、リアネイラの肩に、大きな布がかけられた。振り返るとそこに一人の騎士が立っていた。
「セオ」
かけられた布は、彼が羽織っていたマントだった。なめした皮のマントはやや重いが、温かい。彼の温もりがまだ残っていた。
「ありがと、セオ」
「今夜は冷える。あまり長居しないほうがいい」
リアネイラの護衛役である騎士セオドアスは、先日もう一つの肩書きを得た。リアネイラの婚約者というのが、それである。
「……うん、ごめん。でも、もう少しだけ」
君命で婚約者となったセオドアスだが、リアネイラにとっては長く想っていた初恋の人だった。父王の命令がきっかけとなり、リアネイラは想いを告げた。ほんの数日前の、満月の宵のことだ。
形だけの「婚約者」ではなく、今、二人は想い合う恋人同士として互いを見つめている。
「寒くないか、リィラ?」
「うん、平気」
リアネイラは笑んで応える。いつになく口数の少ないリアネイラだが、その理由をセオドアスは知っていた。
今日という日が、リアネイラを懐古の情に浸らせる。
「さっきの曲は、聴いたことがなかったな」
「あ、うん」
セオドアスに内緒でこっそり部屋を抜け出して庭園へ来たリアネイラだったが、どうやらウードの音がセオドアスを呼んでしまったらしい。
そういえば去年も、その前の年も、……ずっと、そうだった。だが二人の距離が今までとは違う。こうして傍に来てくれ、自分を見つめてくれる。王女としてではなく、一人の娘として。
「なんとなく、思いついたまま弾いてみたの。……母様のこと、思いだして」
リアネイラははにかんで応えた。
セオドアスに「綺麗な曲だ」と言われ、リアネイラはさらに照れくさそうに笑った。
「……ありがと、セオ」
リアネイラは傍で立っている騎士の姿をじっと見つめる。
月下のセオドアスは、いつもと雰囲気が違って見える。
「セオの髪……」
風にそよぐセオドアスの金の髪が、目に止まる。自分より淡い色をした、金の髪。
「セオの髪って、金色の月の色だね。……綺麗」
唐突に言われ、セオドアスはとまどい顔をする。
それは、リアネイラにこそ言いたい台詞だ。綺麗なのは……月の女神のように美しいのは、ウードの名手であるリアネイラだ。
セオドアスはそれをうまく言葉にできず、代わりにリアネイラの冷えた頬に手を当てた。
今、リアネイラは泣いてはいない。
だが、泣いていたのかもしれない。
――今日は、リアネイラの母が身罷って、ちょうど七年目の日だ。
毎年、リアネイラは亡くなった母を偲び、ウードを奏でていた。たった一人きり、涙を隠して。
「……あのね、セオ。……わがまま、言っていい?」
リアネイラは頬に置かれたセオドアスの手にそっと触れ、とまどいがちに尋ねた。
「なんだ?」
「あのね、セオ。横に、座ってほしいの」
「……ああ」
否やはない。セオドアスは小さく笑み、リアネイラのとなりに腰かけた。
「それでね、セオ。……もたれても、いいかな?」
遠慮がちな「王女」の肩を、セオドアスはかけたマントごと、抱いた。緩やかな癖のある金の髪から、ほのかに甘い香りがたちのぼってくる。僅かに身を縮こまらせているリアネイラは、胸元に下がっている首飾りに手を当てていた。
母の形見の一つ、琥珀の嵌め込まれた指環だった。自分には小さいからと、リアネイラはそれを首からさげている。かつて、セオドアスがそうしていたように。
「あのね、セオ」
リアネイラが顔を上げたその時に、雲間に隠れていた月が再び姿を現した。
白い光が、地上に注がれる。一筋の月光が、リアネイラの微笑を照らした。
「ありがと、セオ。……傍にいてくれて」
「リィラ」
セオドアスは琥珀の指環を握るリアネイラの手に、己の手を重ねた。
「セオがいてくれて、本当に良かった。あのね、セオって、……月なの、わたしにとって」
「俺が、月?」
「うん。どんなに暗い夜でも、月があれば明るくて、不安じゃなくなるの。どんな形をしてても、月は道を示してくれて、そして必ず元の姿に戻るから、大丈夫って思えるの」
どういえばいいのか、わからないけど。そう言って、リアネイラは笑う。
「セオがいてくれたら、夜も、寂しくないなって」
リアネイラは無防備に目を閉じる。全身をセオドアスに預け、安らいでいる。
セオドアスの理性を惑わせているなど、微塵も思わずに。
「だから、ありがとう、セオ。――これからもずっと、傍にいてくれたら、嬉しいな」
「……リィラ」
セオドアスはリアネイラの身体をさらに寄せ、優しく額に口づけた。
「改めて誓おう、リィラ。いつまでも傍にいると」
繰り返される月の満ち欠けのごとく、永遠に。
――そして、約束しよう。これからも護り続けていくと。
セオドアスは下弦の月を見つめ、天に召されたリアネイラの母に、それを誓う。
「セオ? どうしたの?」
夜空を仰ぐセオドアスの顔を、リアネイラは小首をかしげ、覗き込む。
「……リィラ、さっきの曲をもう一度聴かせてもらえないか?」
「え、あの……さっきの?」
「ああ」
「……いい、けど」
「けど?」
リアネイラは頬を赤らめ、困り顔をセオドアスに向ける。
「こ、こう密着してちゃ、ウード、弾けないなって」
「……ああ」
「あの、セオ?」
頷きながら、セオドアスは一向に腕をほどかない。それどころか、抱きしめる腕に力をこめ、リアネイラを離さない。
「やはり、もうしばらくこのままで。……寒いか、リィラ?」
「ううん、寒くはない……けど、その……っ」
熱いんですけどっ。
その言葉は、呑み込んだ。
さっきまで一人でいた時の心細さなど、とっくに消えてしまっていた。セオドアスの腕に抱かれ、秋風の冷たさすら感じない。鼓動は高鳴るが、一方で心地好い安堵感に満たされていく。
下弦の月は西へ傾き、夜風の吹きぬける庭園にもはや人影はなく、ウードの音が響くこともなかった。
「いつまでも傍にいる」
その誓約を唇に重ね、恋人達は互いの手を握り合って、眠る。
美しい月夜に思いをはせて――……。
もともとこちらの「お題」は、口説きバトン?としていただいたものでした。
『雪』 『月』 『花』 『鳥』 『風』 『無』 『光』『水』 『火』 『時』
以上10点のキーワードをもとに気障台詞満載で口説き文句を考えようという「バトン」
せっかくなので、一本の話にまとめてみようと思い立ったものです。」