8話 梟の出立
撤退準備が進む野営地の一角。
第9大隊の空気は、他の部隊とは異質だった。彼らは「懲罰部隊」とすら呼ばれる、社会からはみ出した者たちの吹き溜まりだ。だが、そこには奇妙な連帯感があった。
「いたいのう ……おいラナ、もうちょっと優しくできねえのかい」
簡易診療所で悪態をついたのは、部隊最古参の狙撃手、バムだ。
衛生兵のラナは、包帯をきつく巻き上げながら、気だるげに吐き捨てた。
「うるさいわね。爺さん、還暦手前なんでしょ? 無理して死に場所探すのやめなさいよ。隊長が書類仕事増えるって嘆くわよ」
「ふん、あの若造がか? ……ま、今回は悪くない指揮だったがな」
バムは憎まれ口を叩きながらも、どこか誇らしげだった。
そんな天幕の外では、ひとりの青年が斧を研いでいた。
17歳の突撃兵、ゾラ。その獣耳は不機嫌そうに伏せられ、砥石を擦る音が周囲を威圧している。
「……納得いかない」
ゾラが低く唸る。その視線の先には、整列して撤退していく第8大隊の背中が見えていた。
「あいつら、俺たちを『汚らわしい獣』って呼んだ。……喉笛を食いちぎればよかったんだ。なんでレノは止めた?」
「生きるためだ」
答えたのは、荷造りを指示していたミラだった。淡々とした口調だが、その瞳はゾラを真っ直ぐに見据えている。
「感情で剣を振るうな。それは獣の戦い方だ。私たちは、レノの駒でしょう」
「っ……! わかってるよ、そんなこと!」
ゾラは乱暴にドカッと地面に腰を下ろした。 彼にとって、レノという存在は複雑だった。ヒト族でありながら獣人族に育てられ、獣人族として生きる。
そして、自分たち獣人を使い捨ての道具としてではなく、戦力として正当に扱う。その心地よさと、ヒト族への根深い憎しみが、未熟な心の中でせめぎ合っていた。
「俺は…いつか本気で獣人族のための国を作りたいと思ってる。」
ぼそりと呟いたゾラの言葉。ミラはそれが意味するところを知っているだけに、さっと周囲を見渡し、聞き耳を立てているものがいないことを確認する。
「こんな世界で生きるなら、夢は必要よ。大きすぎて身を焼くとしても、ないよりはずっとマシ。」
「へぇ。もっと現実主義者かと思ってた。…悪いな、前に、その…メイド崩れの混血なんて言って」
ゾラが研ぎ終わった斧で地面をガリガリと意味もなく削る。
「いいのよ、別に。ヴァルグレイ伯爵家の獣人とヒト族の混血のメイド、その娘としてどっちつかずなまま軍事教育を叩き込まれた半端なクォーター。それが私よ。
それが事実だから…。
でも、上司の理不尽な命令ーー捨て駒にされることや、夜の相手を強要されることに背いたせいで私は何度も転属を繰り返して、ここにたどり着いた。
そんな私にもちゃんと向き合って実力を評価してくれたレノの役に立ちたい。だから邪魔になるようなことは絶対に許さない…」
「わかってるって。好きなんだろ」
ゾラは怒るか恥ずかしがるかと思ってにやりと笑って構えていたが、ミラはまっすぐ先を見つめてしばらく沈黙したのち、ひとこと言い放った。
「そうね。」
ゾラが予想外の直球な答えに毒気を抜かれて「……勝てねえな、アンタには」とボソッと呟いた。
遠くで、レノがあくびをしながら、よろけるように馬車に乗り込むのが見えた。「おっと……貧血かな。休まないと」 そんな情けない独り言は、距離のあるゾラたちには聞こえない。
夕日を背にしたその姿。 長く伸びた影が、部隊全体を覆うように広がっていく。 その背中は頼りないほどに細いが、ゾラたちの目には、誰よりも大きく、自分たちを守る巨木のように映っていた。
この部隊の誰もが確信している。 あの背中だけが、自分たちの命と獣人族の未来を背負ってくれる唯一の希望だと。 (当の本人は、揺れる馬車でどうやって快適に昼寝するかを考えているとも知らずに)




