7話 梟の友人
敵の占領地ど真ん中を遊撃しながら撤退してきた第9大隊「ペシェシュエット」にも支給品の安酒が配られたものの、勝利の祝杯というにはあまりに静かな時間が流れていた。
引き続き第8大隊の命令で軟禁状態だったが、ひとりの老人ーーというには非常に武人らしい強者の雰囲気を纏った男が訪ねていた。
「……随分とまあ、綺麗に逃げたそうだな」
天幕の入り口をくぐったのは、ヒライ要塞にて東部方面軍と対峙していた第7大隊長のカイヤだった。白髪交じりの髪を撫でつけた老練の瞳が、足を投げ出している青年レノを射貫く。ヒト族でありながら獣人に育てられ、獣人として生きる男。史上最年少で大隊長に就任し、いま最も戦場で異彩を放つ男。
レノは配給の安酒が入ったカップを掲げ、けだるげに応じた。
「カイヤ大隊長。とりあえずこの奇襲侵攻で生き残ったなら、もっと嬉しそうな顔をしてくださいよ」
「お前のおかげでだいぶ楽に耳長どもを翻弄できたわい。……だが、お主、エルフの指揮官をわざと見逃しただろう?」
カイヤの指摘に、傍らに控えていた副官のミラがわずかに眉を動かす。だが、レノは表情一つ変えない。
レノはカップの中身を揺らしながら、独り言のように呟いた。
「生き証人を返した方が、『恐怖』となって伝染する」
「……というのが建前か?」
「ええ。本音を言えば、あそこで敵の本隊相手に無傷で戦えるほどの余力はなかった」
ふ、とカイヤが短く笑い、自分も安酒をカップに注ぐと、レノのものに軽くぶつけた。 乾いた音が天幕に響く。
「お前は『死神』なんて呼ばれているが、誰よりも味方の生に執着している。……だがな、レノ。賢すぎる生き方は、時として馬鹿を見るぞ」
「どういう意味です?」
「本国から召集命令だ。全大隊長は王都へ帰還せよ、との仰せだ。
第6は耳長どもの西部方面軍とぶつかって、大隊長は行方不明、大隊も壊滅的被害だが、お前さんら第9大隊以外は無事を確認できていた。」
カイヤの声が一段低くなる。
「第1大隊の化け物たちや国のお偉いさんも揃う。……お前のような、『異端』は目をつけられる。うまく立ち回れよ」
第1大隊。その言葉を聞いた瞬間、レノの黒瞳に冷ややかな光が宿った。
まるで、出来の悪い物語の結末を予見したかのような、諦念にも似た色だった。
レノは残った酒を一気に煽った。苦い味が喉を焼いた。
「敵を目の前に、みんなで集まっている暇なんてあるんですかね。」
「ヒライ要塞はワシの第7、セキフ平原は第4、ネシア商業都市は第5が受け持っておるが、どれも優秀な副官がいる。ワシのとこは、大隊長より優秀だから帰る場所がなくなるんじゃないかと心配よ。」
「なるほど…。あれ、セキフ平原は第8じゃないんですか。」
「さすがにお飾りの第8には本国も任せんじゃろう。やつらは第4の補助さ。」
レノは鼻で笑うと、近くに第8の人間がいなかったか見渡す。
「もちろん俺だけじゃなくて、みんなも軟禁は解除されるんだろうな。」
「そりゃそうじゃ、そもそも第8に第9大隊を拘束する権利なんか無いんだからの。
まぁこの国の獣人差別を思うと、第8もたいしたお咎めなしと思うが、最悪でむち打ちになるかどうか。もっともオルグ少佐は貴族だから、代理人を立てるだろうがな」
傍らで話を聞いていたゾラがすくっと立ち上がる。
「じいさん、いくらなんだって」
「ゾラ、やめなさい、私だって」
カイヤ大隊長に文句を言おうとしたゾラをミラが止めに入るが、そっとカイヤは右手で二人をたしなめた。
「言いたいことは分かる。だが、ヒト族でありながら獣人の両親に育てられてきたレノが、どういう思いで振る舞っているのかは、お前さんたちだけでも汲み取ってやってほしいのう。
当時、軍事学校において圧倒的な実力で同級生をねじ伏せたレノの扱いを巡り、軍部の人事課は大いに揉めた。正規の軍人ルートに入れたくない人族至上主義者と、才能豊かなレノが差別に妨害されずに活躍できる場所を与えたい思いを持つ…そうじゃな、温情派とでもいう一派。
その両方の思惑が重なり、レノはあくまで獣人族として、第9部隊の大隊長になった。彼は、この国の獣人差別を一身に引き受けておるのじゃ。」
「……へぇ。隊長が、そんな金持ちみたいな教育受けてたとはな」
ゾラは憎まれ口を叩こうとして、言葉を詰まらせた。違う。今の話が本当なら、この男は。 ヒト族として生きれば、エリート街道を歩み、安全な場所でふんぞり返っていられたはずの権利をドブに捨てて、俺たちのような「泥」と一緒に這いつくばる道を選んだということだ。
(……馬鹿なのか? それとも、底なしの善人なのか?)
ゾラはバツが悪そうに鼻を鳴らし、そっぽを向いた。だが、その握りしめた拳が微かに震えていた。
ミラはただ無言で、しかし普段より少しだけ優しい手つきでレノの空いたカップに酒を注ぎ足した。
レノが姿勢を少し正して頭を掻いた。
「カイヤ大隊長、昔話はそれくらいに…。」
「なんじゃ、そういう話は皆にしとらんのか。こやつがどうして死神と呼ばれているかも。」
ごほん、と後ろで咳払いをしたのは第8大隊の憲兵だった。
「ずいぶん楽しそうなことで。第8は先に王都に向かう。第9は遊撃作戦だかなんだかで、部隊ごと帰還命令が出ていると聞いた。5日後の会議に間に合うよう、準備せよ。伝言は以上だ。」
カイヤとレノは憲兵のぶっきらぼうさに、退室を見届けてから目をあわせて大笑いした。
「あーあ、可哀想に。こういう一番乗りしたがるのが豚少佐らしいですが、最初に出迎えるのが軍規違反の裁判って分かっているんですかね」
「最近は中央も、軍隊内での獣人差別は細心の注意を払っておるからのう」
レノとカイヤが愉快そうに話す。
「さぁ、行きましょうか。カイヤ大隊長もよろしければ第9が護衛いたします。」
「うむ。よろしく頼む。」
そういって二人は安酒を飲み干すと立ち上がった。




