46話 魔王と幸福の街4
「故郷に帰って、小さなレストランを開きたいんだ。
……お前も、レイアにプロポーズするんだろ? 」
「あ、ああ⋯」
レイア。アークの母親の名前で、ひどく久しぶりに聞いた気がする。
病にかかりアークが幼い頃に、この世を去っていた。
「それに⋯天翼族とエルフ族の持ち込んできた例の魔王システムの話はヤバすぎる。
どうも世界がきな臭くなってきている。俺はな、手が届く範囲で仲間を守ることが真面目に生きるってことだと思うんだ。
⋯それで、レイアへの指輪は用意したのか?」
ヴァルガスが真っ直ぐとアークを見つめる。
アークは自分の知らないヴァルガスの一面に、息を呑んだ。
(こうして突きつけられると当然なのだが、ヴァルガス爺は私の知らないことも色々抱えているのだな)
「ああ……用意したさ。とびきり宝石の大きいやつをな。」
アークは声を絞り出すように答えた。幼い頃に母親だか指南役のマリアンヌだかに特別に見せてもらった記憶が、朧気に残っている。
「そうか、よかったな! ……俺たち、こうやって世界中を旅してきたけど、最後は⋯」
ヴァルガスは感極まったように、自分の手を見つめた。
未来を掴むはずの、その手を。
「……?」
ヴァルガスの動きが止まる。
そこにあるのは、包丁ダコのある料理人の手ではなかった。
無数の剣ダコ、消えない火傷の痕、そして誰かの血を吸って黒ずんだ爪。
それは、数多の戦場を渡り歩き、多くの命を奪ってきた「修羅の手」だった。
「……あれ? おかしいな」
ヴァルガスの声が震える。
「俺は、店を……レストランを……。でも、この手は……」
脳裏にフラッシュバックする現実。
帰らなかった主君。燃え落ちる城。そして、守り抜くと誓った幼い子供。
「俺は⋯私は⋯
……少し古い夢を、見ていた、ようです」
ヴァルガスの瞳から、若者の光が消え、老兵の深淵が戻る。
彼は静かに立ち上がり、アークに深々と頭を下げた。
「申し訳ございません、三代目。……料理の味は、いかがでしたか」
「……美味かったよ。プロの料理人よりよっぽどな。」
アークは立ち上がる。懐古主義に浸る時間は終わった。
「ベル。解析が終わった。無理やり断ち切っても直接支障はない。といってもヴァルガスは解除できているようだが⋯
少し荒療治になるが、空に見える『糸』を切れるか?」
「……ん。やってみる」
ベルが影から飛び出し、屋根へと駆け上がる。
彼女の新たな目には、村人たちの頭から天高くの魔法陣へと伸びる「忘却の魔力線」がはっきりと見えていた。
空中で一閃。
クナイが全ての魔力線を切断する。システムが自己修復を始めるまでの、わずか5分間の猶予。
霧が晴れた。
村人たちが一斉に膝をつき、泣き叫び始める。思い出してしまった。失った家族、貧困、絶望。
「聞け! エデンの住人よ!」
アークの声が響き渡る。
「魔法を一時的に解いたことを許してほしい。望んで忘れているのか、我らのように意図せず紛れ込んだのか、判別がつかないからだ。
……この5分間で選んでほしい、再び夢に溺れて生きるか、地獄のような現実を歩くか!」
残酷な選択。
多くの村人は、泣きながら懇願した。
「魔法をかけてくれ!」「思い出させないでくれ!」と。
彼らにとって、現実は耐え難い猛毒だった。
だが、一人だけ。
老婆マーサだけは、よろよろと立ち上がり、アークたちの元へ歩いてきた。
「……おばあちゃん?」
ベルが心配そうに見上げる。
「ありがとうよ、お嬢ちゃん」
マーサはベルの手を握りしめた。
「全部思い出したよ。孫が流行り病で死んだことも、私が後を追おうとして山に入ったとき、ここにたどり着いたことも。
……辛くて、悲しくて、張り裂けそうだ」
老婆は涙を流しながら、強く微笑んだ。
「でもね、あの子が死んだ悲しみまで忘れて笑っているなんて、あの子に申し訳ないじゃないか。
……私は、ちゃんと泣いてあげたいんだよ」
5分が過ぎた。
再び霧が村を覆い、残った村人たちは虚ろな笑顔に戻っていく。
村の出口には、アークたちと、この幸福の街を立ち去ることを選んだ数人の姿があった。
「行く当てはあるのか?」
「ないよ。でも、この足で歩いてみるさ」
マーサは荒野を見据えた。その背中は、夢の中にいた時よりもずっと小さく、けれど確かに「生きて」いた。
アークは前を向く。
手の中には、ヴァルガスが作ったサンドイッチが一つ、残されていた。
それは、朝食とはうってかわって、どこか苦い味がした。
実はもともとアークを主人公にしたストーリーを考えていたこともあり、色々と足早に詰め込んでしまいました。
明日からもともと予定していた本編ストーリーに合流して、全20話(〜50話)で第2部は完結です。レノは50話目で出てきます。




