37話 魔王と欲望の街5
リリスとベルが仲間に加わって数週間。 ナラクの街は徐々にほつれが広がるようにして、大混乱に陥っていた。
「おい! なんでパンが昨日の10倍もするんだ!てめぇゼロ1個足しただろ!」
「なんだこれ、水すら買えねぇじゃねえか! 」
市場では怒号が飛び交い、混乱を象徴するかのように殴り合いの喧嘩が始まった。
今、この街では通貨の価値が暴落している。俗にいうハイパーインフレである。
仕掛けたのはリリスだ。
彼女は3つの矢を放った。
1つ目の矢。
ベルとポチを質に入れた。嘘だろう、という顔をするアークとヴァルガスをよそに、リリスはベルを質に入れて金貨6000万枚を借りた。鑑定眼は正確に市場価格を反映する。
希少なジョブと劇的な回復も相まって、リンゴの値段で売られていた少女は今やこの街で群を抜いて、最も高い奴隷になっていた。
そして、リリスはそうして手に入れた金貨でこの街の奴隷を一夜にして買い占めた。
そうして全て奴隷をその身分から解放した上で、リリスはベルの再鑑定を要求した。
たまにやたら細かく再鑑定させる厄介な客がいるんだよなぁ、と苦い顔をした金貸しが渋々と鑑定眼のスキルを使用すると、顎が外れたような表情で固まった。
金貨6000万枚という桁外れで質に入れられた少女は、今や金貨12億3000万枚まで跳ね上がっていた。
しかし、リリスの策によってこの街で奴隷が存在しない以上、それほど唯一の奴隷身分となった少女の価値は高かった。
そうして金貸しはマフィアの元締めを含めた仲間たちに声をかけて、金貨10億枚相当の貸し出しを行った。
正直、金が返ってこなかったとしても、この少女を後ろ暗い仕事ーーー貴族の暗殺や印鑑の盗み出しなどーーーに当てれば、それ以上のリターンは十分に期待できる状況なのだ。
他の街であれば、きっと貸し渋りも起きただろう。だが、この街において鑑定眼とそれに支えられた値札は、それほど信用されている。それを、リリスは知っていた。
2つ目の矢。
リリスはこの金をもって、今度はパンや水をその原材料の生産から流通に至るまで徹底的に歪みを作り出した。
リリスはジョブ「経世家」の能力で、街の物流や取引慣習の歪みを見抜き、先物取引とデマゴーグ、そしてベルによる物資の焼き討ちにより、異常なまでに物価を釣り上げていく。
そうしてマフィアたちが保有する「債権」ーーー 彼らが築き上げた莫大な富ーーーは、わずか数週間でパンの一つも買えないほどの紙屑に変わった。
「くそっ! どこのどいつだ! 俺様のシマを荒らす奴は!
しかも、他のマフィアのボスどもも、雲隠れしてダンマリだ!」
街を牛耳るペッチノマフィアのボス、豚のように太ったヒト族の男が執務室で喚き散らす。
だが、彼の部下たちはすでに逃げ出していた。金が払えないボスに忠誠を誓う者など、この街にはいない。
ヒュン。 風切り音と共に、部屋のロウソクが消えた。
「誰だッ!?」
闇の中から、小さな影が現れる。黒猫のベルだ。
彼女は音もなくボスの背後に立ち、その喉元にナイフを突きつけた。
第三の矢。彼女は翼を売り払っても尚手放さなかった宝物ーーーアークにもヴァルガスにもそれが何であるかは伝えなかったーーーを売り払って、ベルを取り戻し、この街の粛清を始めていた。
扉が開き、アークとヴァルガス、そしてリリスが悠然と入ってくる。
「貴様らが……!リリス、テメぇこの街に来たときはよく使ってやっただろう!」
「終わりだ。お前の金も、権力も、もう何の意味もない」
口を挟むようにアークは言い放つと、机の上に積み上げられた金貨の山を冷ややかな目で見下ろした。
「人の命に値段をつけるなら、自分の命の値段も知っておくべきだったな。……今の貴様の価値はゼロだ」
アークの言葉とともに、ヴァルガスが大剣を一振りする。
ボスの首が飛ぶことはなかった。峰打ちで気絶させられ、豚のように転がる。
「他のマフィアどもと合わせて、隣国に賞金首として送る手筈をしておいてくれ。
これで実力行使で街を仕切れる権力者もいなくなった。あとは、この街がきちんと平穏を取り戻せるかだが・・・」
翌朝。 ナラクの街は奇妙な静けさに包まれていた。
支配者は消え、全ての貨幣が無価値となった街で、最も原始的な経済ーーー物々交換ーーーによって生活は静かに、だが確かに、回り始めていた。
しかし、きっと、すぐに新たな支配者が現れるだろう。欲望がある限り、この街の本質は変わらない。
「この街で我々が成したことは、どれほどの意味があるか・・・」
ポツリとアークが漏らしたのを、リリスは聞き逃さない。
「甘ったれたこと言わないでよ、冷酷無慈悲なま・お・う・さ・ま!」
「街の中で三代目をそう呼んではいけないと伝えたばかりではございませぬか」
「はいはい、ヴァルガスは真面目だなぁ。あたし、この街で自称・魔王なら100人はあったことあるから大丈夫よ。
みんな翌日にはドブに浮いてたけど。」
「ではダメではありませんか!」
そう言って軽口を叩きながら街を出てゆく一向。
リリスは振り返り、住み慣れた、しかし大嫌いだった街に別れを告げた。
「……少し、この街を安く買い叩きすぎたかしら。」
「良い買い物だったさ。君たちが手に入った。しかし、翼は買い戻さなく良かったのか。今更どうとでもなっただろう。」
「ええ、今の私に必要なのは誇りでも金でも、過去でもないから」
リリスが前を向く。
そうして、アークたちが去った後、リリスがばら撒いた「ある噂」が残った。
『本当に価値あるものは、金では買えない。特に思い出は。』
もともと欲望の街1〜5を纏めて1話で描く予定だったのですが、「この街では全てに値札がつく」 という設定から色々と想像が広がったほか、リリスやベルもどんどんセリフやアクションが増え、5話分のボリュームとなってしまいました。(本当はここまで33話でした⋯)
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