35話 魔王と欲望の街3
リリスは目の前の光景が信じられなかった。
先ほどリリス自身が鑑定魔法を使って、わずか銅貨5枚と判定された獣人族の少女。
アークが手をかざした途端に素人目にも分かるほど放つオーラが変質しーーー
リリスの瞳に浮かぶ鑑定の数値が、狂ったように回転を始めた。
銅貨、銀貨、金貨――桁が、止まらない。
評価額が焼き切れるほどの速度で上昇し、やがて一つの数字で固定される。
『鑑定結果:金貨 20,000,000枚』
「は……、に、二千万……?」
扇子を取り落としそうになりながら、リリスは素っ頓狂な声を上げた。 自分の鑑定魔法が壊れたのか?
いや、違う。目の前の少女の「可能性」そのものが、今この瞬間に圧倒的な価値として認識されたのだ。
「リリス、私はベルの可能性、そして可能性というものの価値を示した。
次は君の番だ。」
「あら、意外と口説くの慣れてそうな口ぶりね。
でも、それが、どう私の話につながるのが、よく分からないわ。」
リリスは動揺を隠すように扇子をパタパタとあおぎ、露骨に視線を逸らした。
だが、アークの真紅の瞳は、彼女を正面から見つめる。
アークがリリスの後ろに回り込むように一歩踏み出すと、リリスは反射的に半歩下がった。
リリスは周りに気付かれないほど自然な動作で、これまでアークたちに背中を向けないようにしていた。
「君は夢魔だ。背中の翼を誇りとする一族と聞いていたが・・・
リリス、自分の『翼』を売ったな?」
リリスの動きが止まる。
扇子を持つ手が微かに震え、彼女は観念したようにため息をついた。
「……本当に、嫌な男ね。全部お見通しってわけ?」
彼女は背中を向けた。
派手な衣装の背中部分は大きく開いているが、そこにあるはずの夢魔の翼はない。
「無一文でこの街に放り出されたのよ。店を構える資金も、当面の宿代もなかった。
だから売ったわよ。夢魔にとっての誇りであり、魔力の源泉であり、夜空を飛ぶための翼をね」
「買い戻さないのか?」
「買い戻す?」
リリスは乾いた笑い声を上げた。
「無理よ。見てみなさい」
彼女は懐から、一枚のくしゃくしゃになった紙切れ――札を取り出し、アークに投げ渡した。
そこに刻印されていたのは、売却した当時の日付と『翼一対』の文字。
そして、現在の買い戻し価格だった。
『評価額変動:現在価格 金貨800万枚』
アークが眉を上げる。
「……随分と高騰したものだな」
「笑っちゃうでしょ? この街のシステムは優秀すぎるのよ。
私がこのスラムで商売を成功させて、顔が売れれば売れるほど、私の身体の一部である『翼』の資産価値も勝手に再計算されて上がっていく。
働けば働くほど、買い戻し価格が遠のいていく……それがこの街にかけられた私の『呪い』よ」
リリスは自嘲気味に笑った。
彼女は籠の中の鳥だ。自分の価値を高めれば高めるほど、自由になるための鍵も高価になり、永遠に空へは帰れない。
「だから諦めたの。私はこの欲望のゴミ溜めで、一生自由に憧れて死んでいくのよ」
リリスが吐き捨てるように言い、アークから視線を切ろうとしたが、アークは手をリリスに差し出した。
「私が、その鳥籠の鍵を開けてやる。
もう一度言おう、いつか私はこの世界を統べる。そのときに、君の望むものを用意する。
ーーーだから、私が世界を手に入れるのを、手伝って欲しい。この手をとれ。」
リリスは、正直言って訳が分からなかった。
突然店を訪れてきた汚い格好をした、しかし気品さと実力を感じさせる青年と老執事。
目の前で魅せられた奇跡だって、きっと何かのペテンなのかもしれない。
それでも、リリスはこの欲望の街に絶望する日々の中で、その差し出された手が何かを変えてくれる予感がした。いや、いつか振り返れば、きっと気の迷いとか、流されたとか、そんな話かもしれないがーーー
リリスがアークの手を掴むと、アークの掌に紋章が輝く。そして、リリスの胸に、膨大な情報と計算式が流れ込んでくる。
【ジョブ・エンチャント:経世家】
彼女の中に眠っていた、計算能力、交渉術、鑑定眼、それら全てが体系化され、一つの「形」となって覚醒する。
リリスが膝をつく。彼女の視界が一変していた。
それは、世界を「解剖」する目だった。
テントの隙間から見える雑踏。その一人ひとりの頭上に、パラパラと無数の文字列が浮かんでいる。 所持金、欲望の対象、次に起こす行動の確率、嘘をつく時の脈拍の揺らぎ。
さらに、街全体を流れる金の奔流が、まるで生物の血管のように透けて見えた。 どこで金が淀み、どこへ流れて利益を生んでいるか。その「急所」が、赤い光点となって浮かび上がってくる。
(見える。この街の『血流』が、手に取るように)
「……あんた、何をしたの?」
「鍵を開けただけ、というと婉曲的すぎるか。
細かい事情は後で説明するが、私は他人のジョブを・・・そうだな、より相応しいジョブに変えることができる。
リリス、種族を理由にしてこのドブ川で暮らすのは辞めだ、もっと大きな商売に挑むぞ」
リリスは震える手で顔を覆うが、その指の隙間から獰猛な笑顔がこぼれて見える。
「……いいわ。乗ってあげる。その代わり、損をさせたら承知しないわよ、私の王様」




