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33話 魔王と欲望の街1

砂礫が風に鳴いている。


「……ヴァルガス爺。世界は美しいと思うか?」


「美しい場所や街もございます。しかし、美しい街を作るのが人の欲望であれば、また醜く穢れた場所を作り出すのも、人の欲望です。」


「美醜とも根源は人の欲望、であるか。」


ボロボロのマントを羽織った青年――アークは、蜃気楼の向こうに揺らめく都市の影を見据えた。


彼らが故郷を追われ、有翼族の追跡者を撒きながら、時に傷を癒すために立ち止まり、この地へ辿り着くまでに二十年近くの歳月が流れていた。


短命種族たちは、すでに「魔王」の恐怖を過去の歴史として忘れ去っている頃だろう。


「着いたぞ。オアシス都市ナラク。……別名『欲望の掃き溜め』か」


街の門をくぐると、そこは暴力的な熱気と、腐臭、そして強烈な香辛料の匂いが混じり合う混沌の坩堝だった。


端には手足を欠損した物乞いが転がっているが、行き交う人々は誰一人として目を向けない。


「水……誰か、水を……」


呻く老婆を、恰幅の良い商人が蹴り飛ばして通り過ぎる。 「邪魔だ。金がないなら黙ってろ」


この街のルール。 水一杯、パン屑一つ、そして人の命に至るまで、全てに「値札」がついている。価値のあるものを持たぬ者は、ここでは人間としてカウントされない。


「……酷いな。秩序システムが腐り落ちている」


アークが眉をひそめる。


行き交うのは、賞金首の傭兵、違法奴隷を扱う商人、国を追われた亡命者たち。

フードを目深に被ったアークとヴァルガスは、その喧騒の中を歩く。


力こそが正義、金こそが神。それがこの街のルールだった。


「三代目、あまりキョロキョロとなさりますな。カモだと思われますぞ」


「わかっている。……門番が噂していた店はここか」


二人が立ち止まったのは、スラム街の一角にある、ボロボロのテントだった。


看板には『万屋リリス』とだけ書かれている。


ヴァルガスが門番から聞いた話では、この街で最も「鼻が利く」商人がいるという。


「いらっしゃい。冷やかしなら帰ってね。」


テントの中に入ると、カウンターの向こうで気怠げに煙管を吹かしている女がいた。

紫色の髪に、露出度の高い踊り子のような衣装。だがその瞳は、客を値踏みするように鋭く光っている。


かつては大国の宮廷商人だったとも、天下の詐欺師だったとも言われる夢魔サキュバスーーーリリス。


「客だ。……商談がしたい」


アークが前に出る。

リリスは煙を吐き出し、アークの汚れたマントと、その下の高貴な顔立ちを一瞥した。


「ふーん。見たところ一文無しのようだけど? ここは質屋じゃないのよ、没落貴族の坊ちゃん


……でも元貴族だと思い出なんか高く売れるかもね、臓器はお勧めしないわ。」


「……ここでは記憶も売れるのか」


アークが怪訝そうな顔で返す。


「そうよ、魔法で分離できて、鑑定で値段がつけられるものなら、何でも値札がつくのがこの街よ。甘美な思い出ほど高く売れるわ。


私には他人の思い出で幸せになれるやつの気持ちは分かんないけどね。」


「リリス、と言ったか」


アークはテントの柱に寄りかかり、女を見下ろした。


「何にでも値札がつくなら、この街の値段はいくらだ?」


「はぁ?」  リリスが呆れたように煙を吐く。


「あんた、熱でもあるの? この街の何を買うつもり?」


「質問を変えよう。……君の値段はいくらだ?」


リリスが鼻で笑う。


「私が夢魔サキュバスだからって何か勘違いしてる?

ときどき変な噂を流すやつがいて困るのよね~。」


彼女はゆっくりと扇子を閉じ、冷笑を浮かべた。


「でもいいわ。但し、高いわよ。この街にある全ての金貨を積んでも足りないわ。


……私は『夢魔サキュバス』。私の価値を決めるのは、私だけよ」


そう言い放つ彼女の指先は、扇子の柄が軋むほど強く握りしめられていた。

余裕のある笑みの裏で、彼女は拒絶している。全てに値札がつくこの腐った箱庭で、自分だけは決して売られることのない「非売品」でありたいと、必死に足掻いているように見えた。


リリスはアークと目が合う。いや、目は合うが、その青年の視線はずっと遠くを見ているように、あるいは、全てを見透かしているように、視線が合わない。


アークが口を開く。


「いつか私はこの世界を統べる。そのときに、君の望むものをひとつ送ろう。」


一瞬の沈黙。 そして、リリスは腹を抱えて爆笑した。


「あはははは! 傑作! この泥溜めから世界征服!?


あんた、やっぱり熱でもあるでしょ?それか質の悪い薬でも吸った?そこの執事崩れも止めてやりなよ〜」


「本気だ。」


アークは笑わなかった。 その真紅の瞳が、リリスの深淵を覗き込むように見つめる。


「リリス。君はこの街で燻っている器ではない。現状に満足していないだろう?


才能があるのに、活かす場所がない。……ゆっくりと、腐っていく感覚。」


リリスの笑顔が濁る。


「……何がわかるのよ。口先だけのガキが」


「見せてやろう」


アークは懐から、なけなしの――そして最後の――金貨一枚を取り出し、弾いた。

金貨は空中で回転し、リリスの胸元に吸い込まれる。


「案内してくれ、リリス。この街で一番『価値のないもの』が売られている場所へ」

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