閑話(20.5話)梟の水浴び
20.5話とでも言いましょうか。
平原での決戦後の休息です。
戦闘が終わって数時間後。
第9大隊が陣取ったのは、戦場から少し離れた渓流沿いだった。
森羅シルフヴェール帝国の森は魔素が濃いため、そこから流れ出てくる水も氷のように冷たい。だが、今の彼らにとってはその冷たさこそが救いだった。
「ひゃっほぅ! 生き返るぜぇ!」
ドボンッ! という豪快な水音と共に、ゾラが裸で川へ飛び込んだ。 夕日がすでに地平線に差し掛かっていた。
狼の濡れた毛皮から、どす黒い液体が滲み出し、清流を汚していく。それは泥と、そして大量のエルフの返り血だった。
「下流でラナたちが洗濯してるんだ、あまり暴れるな!」
ひとりの獣人が指摘する
「うるせぇ! 身体中が鉄臭くてたまんねぇんだよ! ……ちっ、あのエルフの戦士、最後に自爆しやがって」
ゾラがゴシゴシと自身の頭を洗う。
その背中には、今日の戦闘で負った新しい傷と、無数の古い傷跡が刻まれていた。
周囲では、他の獣人兵士たちも互いに背中を流し合っている。彼らは「ケモノ」であるため、血の匂いに敏感だ。念入りに洗わなければ、今夜の哨戒任務に支障が出る。
少し離れた岩場。 レノは膝まで水に浸かり、上着を脱いで上半身を拭っていた。
白く細い肢体は、筋骨隆々な獣人たちの中にあっては異質だ。無数の痣と、擦り傷。直接剣を振るうことはなくとも、指揮官として戦場を駆け回った代償がその体に刻まれている。
「……冷たいな」
レノが手で掬った水で顔を洗う。 手の中で、水が薄紅色に染まっていた。 (……どれだけ洗っても、この鉄の匂いは鼻の奥から消えないな)
「レノ。背中、流します」
背後から、布を持ったミラが現れた。彼女もまた、軍服の上着を脱ぎ、キャミソールのような肌着姿になって濡れタオルを絞っている。
白い肌には、飛び散った泥が点々と付着していた。
「…そういえば獣人族はあまり気にしないんだったな。その、うちの両親はわりとヒト族寄りの習慣というか、獣人族も若い世代はわりと気にすると思っていたんだけどな」
「…何の話をしているんですか、私だって、その、気にしているから誰もいないのを見計らって来てるんです」
「……いいよ、自分でやる。ミラも早く洗って休め」
「副官の仕事です。それに、そこ。……左肩、切れてますよ」
ミラはレノの言葉を無視し、冷たいタオルをレノの背中に押し当てた。
「っ……」
傷口に冷水が染みる。だが、ミラの指先は驚くほど丁寧で、そして優しかった。
彼女は黙々と、レノの背中に張り付いた「戦場の汚れ」を拭い取っていく。
「……今日の損害は」
レノが前を向いたまま問う。
「死者194名、重傷40名、軽傷は数えていません。重傷者含めてラナの治療も終わりました。装備の摩耗率は許容範囲内。……敵の戦力も考えれば、大戦果です」
「そうか」
レノは息を吐いた。
川下を見ると、遠くにラナが血に染まった包帯を懸命に洗っているのが見えた。その小さな手は、冷水で真っ赤になっている。
ゾラたちの馬鹿騒ぎ。ラナの献身。ミラの体温。
この冷たい川の水が、彼らを「兵器」から「生き物」へと戻してくれる唯一の時間だった。
「……ミラ」
「はい」
「石鹸、貸してくれ。髪も洗う」
「はい。……あとで私の背中も流してくれませんか」
ミラが小さく微笑む気配がした。 月明かりの下、流れる水だけが、彼らが今日犯した罪を知っているかのように、静かに赤く濁って流れていった。
一旦書き溜めていた(ストーリーに入れ損ねた)エピソードは以上です。
モチベーションにもつながるので、よろしければブックマークのほどお願いします。
予定よりも筆が進んだので明日から2部を開始したいと思いますが、
更新頻度は改めてアナウンスさせてください。




