閑話(0話) 梟の結成日
0話とも言いましょうか、本編のおよそ数カ月前です。
レノの就任日。
太陽王国の最果てにある駐屯地。
そこは、泥と汚物、そして腐った死体の臭いが充満する場所だった。
第9大隊。通称「懲罰大隊」。
犯罪者、貴族の落胤、そして人間社会から弾き出された「獣人」たちが吹き溜まる、軍のゴミ捨て場だ。
「おい、新しい『飼育員』が来るらしいぞ」
腐ったリンゴをかじりながら、狼の獣人ゾラが鼻を鳴らした。
「どうせまた、家柄だけのボンボンか、左遷された無能なジジイだろ。賭けてもいい、3日で泣いて逃げ出すか、俺たちに食い殺されるかだ」
周囲の獣人たちが下卑た笑い声を上げる。彼らにとって、人間の指揮官など敵でしかない。
彼らはいつも自分たちを盾にし、死ねば代わりを補充するだけの存在だったからだ。
そこへ、一人の男が現れた。
サイズが合っていないのか、少しぶかぶかの軍服。腰には剣すら下げていない。
黒髪に、眠そうな瞳。線の細い、書生のような青年だった。
レノ中尉。ジョブは「守護者」。
「……そのリンゴ腐ってない?」
それが、レノの第一声だった。
ゾラがゆらりと立ち上がる。身長差は頭二つ分。圧倒的な威圧感でレノを見下ろした。
「あぁ? ここは貴族様のお屋敷じゃねえんだよ。」
獣人たちが一斉に殺気を放つ。並の人間なら失禁するほどの圧力だ。
だが、レノは気まずそうに笑っただけだった。
「自己紹介は省略する。君がリーダー格か? 名前は?」
「ゾラだ。……テメェの指図は受けねぇぞ、人間」
「そうか。だが命令権は僕にある。総員、整列。装備の点検を行う」
「無視かよ!」
ブチッ、とゾラの理性が切れた。
鋭い爪が、レノの首を狙って振り下ろされる。殺す気はない、威嚇だ。
だが、当たれば皮膚は裂け、一生消えない傷が残るだろう。
「新入りには教育が必要だなぁッ!」
ガィィィン!!
硬質な音が響き、ゾラの腕が弾かれた。 「……あ?」 レノの目前、数センチの空中に、半透明の薄い膜が展開されていた。
レノはあくびを噛み殺した。
「獣人族の筋力係数はヒトの3倍。僕が防御系のスキル持ちじゃなかったら極刑もあり得るんだから、気をつけた方がいい。」
「ま、魔法か……ッ!? なめやがって!」
ゾラが追撃しようとした瞬間、レノが放った言葉がその足を止めた。
「暴れるのはいいが、そこにある木箱を壊したら、今夜の飯抜きだぞ。あ、あと魔法じゃなくてスキルね」
そう言ってレノが後ろ指で差したのは、彼が連れてきた荷馬車だ。
風で幌がめくれ、中身が見えた。そこにあったのは、カビたパンでも、腐った肉でもない。
新鮮な野菜と、干し肉、そして王都の銘柄が入った酒樽だった。
「な……肉……?」
「倉庫からくすねてきた。どうせ奴らは食い切れないほど溜め込んでいるからな。」
レノは悪びれもせず言った。獣人たちがどよめく。彼らに配給されるのはいつも残飯だった。
まともな食料など、ここ数ヶ月見ていない。
「取引だ、諸君」
レノは木箱の上に腰掛け、冷徹な瞳で彼らを見渡した。
「僕のジョブは『守護者』。攻撃魔法は使えないし、剣も振れない。だから、僕の剣になってほしい。」
「……俺たちを、鉄砲玉に使う気か」
「違う、とは否定できないな。でも僕は、お前たちに最高の整備と、死なないための運用を提供する」
レノはゾラに向かって、ニヤリと笑った。
「僕の命令を聞く限り、お前らを無駄死にはさせない」
ゾラは呆気にとられた。 「名誉」でも「忠誠」でもなく、「生存」と「食い物」で釣ってきた指揮官は初めてだった。
しかも、他部隊から物資を盗んでくるような男だ。
(……なんだこいつ。人間にしては、腐ってやがる)
だが、その腐り具合は、この吹き溜まりには妙に心地よかった。
「……へっ、上等だ。ただし、嘘だったらその喉笛、今度こそ食いちぎるぞ」
「肝に銘じておこう。……ミラ副官、配給を開始しろ。あと、掃除当番のローテーションも決めろ。不潔は病気の元だ」
「はっ! 」
ため息交じりに、控えていたミラが動き出すと獣人たちが食料に群がる。
レノはそれを眺めながら、泥だらけのブーツをコツコツと鳴らして泥を落とした。
これが、後に王国の伝説と謳われる第9大隊。 死神と共犯者たちの、最初の契約だった。




