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28話 梟の放浪

世界から色が消えていた。

視界を埋め尽くすのは、舞い狂う白雪と、鉛色の空だけ。


国境山脈シルブレット。標高はすでに3000メートルを超え、気温はマイナス20度を下回っている。


「寝るなッ! 寝たら死ぬぞ! 手足を動かせ!」


猛吹雪の中、古参兵バムの怒鳴り声が風にかき消されそうになりながらも響いた。


第9大隊の行軍は、もはや歩行というより、雪泥の中を這いずり回る苦行に近かった。強奪した防寒具を着込んでいても、冷気は骨の髄まで侵食してくる。


「ハァ……ハァ……っ」


隊列の中ほどで、ヒーラーのラナが膝をついた。  彼女はここまで、凍傷にかかった隊員に治癒魔法をかけ続けていた。だが、マナの枯渇と低体温症で、その顔色は雪のように白い。


「ラナ!」 ゾラが駆け寄り、その小さな体を背負い上げる。


「しっかりしろ! あんたが倒れたら、誰が俺たちを治すんだよ!」

「ごめん……もう、魔力が……空っぽ……」


先頭を歩くレノもまた、限界が近かった。

本来、デスクワークと指揮が得意な彼に、この過酷な環境に耐えうる体力はない。


呼吸をするたびに肺が凍りつきそうだ。足の感覚はとうにない。


「レノ、肩を」


ミラが黙ってレノの脇に身体を入れ、支える。

彼女自身も満身創痍のはずだが、その瞳だけは決して光を失っていない。


「……悪いな、ミラ。…ここまで、寒いとはな」


レノは自嘲気味に笑おうとしたが、頬が引きつって動かなかった。

戦術も、知略も、大自然の前では無力だ。


ここにあるのは、ただ「一歩足を出せるか否か」という生物としての強度の勝負だけ。


「みんな、聞け……」

レノは震える声で、しかし全員に聞こえるように言った。


「…あと、あと半日で峠を越える。そこには風除けの洞窟があるはずだ。……そこまで行けば、温かいスープが飲めるぞ」


それは根拠の薄い希望だったかもしれない。だが、「スープ」という言葉が持つ魔力が、死にかけていた兵士たちの瞳にわずかな生気を蘇らせた。


一歩、また一歩。


彼らは死神の背中を追いかけ、白い地獄を進んでいく


限界など、とっくに超えていた。


感覚のない足を引きずり、凍りついた睫毛を瞬かせながら、第9大隊は雪の斜面を登り続けた。


脱落者は、奇跡的にゼロ。


だが、それは文字通り、仲間同士が互いの体をロープで縛り、引きずってでも連れてきた結果だった。


「……おい、風が……止んだぞ」

先頭を歩いていたバムが、掠れた声で言った。


その直前。


猛吹雪の向こう側で、山よりも巨大な「白い影」が動いた気がした。

金色の瞳が、蟻のような行列を一瞥する。


(……龍!?) レノは息を呑んだ。


だが、その「主」は敵意を持たず、ただ静かに雲海の中へと消えていった。


そして、風が止んだ。


彼らが立っていたのは、雲海の上だった。


吹き荒れていた暴風が嘘のように凪ぎ、東の空が白み始めている。


「見て……あれ」

ラナが震える指で、眼下を指差した。


そこには、別世界が広がっていた。 険しい雪山の向こう側。


なだらかに広がる平原と、そこに点在する温かなオレンジ色の光。


中立地帯「自由都市連合」ーー彼らが目指した約束の地。


「あぁ……着いた……着いたんだ……」  


強面こわもての獣人兵士が、膝から崩れ落ち、子供のように泣きじゃくった。

ゾラも大斧を雪に突き刺し、それを支えにして荒い息を吐く。


「へへっ……ざまぁみろ……俺たちは生き延びたぞ……!」


レノは、一人静かに振り返った。

背後には、越えてきた白い地獄と、その遥か彼方にあるはずのヒトとエルフの闇が広がっている。


差別の中で才能だけを武器に這い上がった場所。愛着がないと言えば嘘になるが、未練はなかった。


「レノ」

いつの間にか、隣にミラが立っていた。彼女もまた、王国の伯爵家という鎖から解き放たれた一人だ。


「もう、戻れませんね」


「ああ。これで晴れて俺たちは・・・」


レノは昇り始めた朝日を見つめ、細めた目に新たな光を宿した。


「行こう。あそこの朝飯は、きっと軍の配給より美味いはずだ。まだ数日はあるんだ、気を抜くなよ。」


朝日が、ボロボロの軍服を黄金色に染め上げる。

彼らは涙を拭い、重い一歩を踏み出した。


それは逃走の終わりであり、自由の始まりだった。

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