24話 梟の逃避行
勝利の美酒というのは、得てして毒入りの場合が多い。
「……通信、まだ戻らないのか?」
「駄目です。全周波数、ノイズのみ。魔素の撹乱が酷すぎて、使い物になりません」
通信士の悲鳴のような報告に、天幕内の空気は凍りついていた。
つい数時間前まで、一般兵たちは「王都凱旋パレード」の話題で持ちきりだった。だが、遥か彼方の王都方面で観測された「紫色の閃光」と、それに続く通信途絶が全てを変えた。
あれは、ただ事ではない。 レノの戦術眼――いや、生物としての本能が警鐘を鳴らしている。王都は、落ちた。
ズゥゥゥン……。 近くで地鳴りが響く。味方の砲撃ではない。
「敵襲! エルフ軍です! 全方位から! 数は……測定不能! 森全体が動いています!」
伝令兵が転がり込んでくるのと同時に、天幕の外が爆炎で真昼のように照らされた。
エルフたちが、いままで沈黙を守っていたのは、この瞬間のためだったのだ。指揮系統が麻痺し、浮足立ったこの瞬間を。
「ひぃ、退却だ! 全軍、後方へ退がれ! 密集陣形で防御を固めろ!」
隣の天幕にいた第4大隊の副官が、半狂乱で叫ぶのが聞こえた。
レノは溜息をつき、飲みかけのコーヒーを地面に捨てた。(想像以上に早いな)
「レノ! 我々はどうしますか!?」
副官のミラが、冷静さを保ちつつも鋭い視線を向けてくる。
その背後では、ゾラが愛用の大斧の柄に手をかけ、ガタガタと震えていた。
武者震いではない。見えない巨大な敵に対する、獣の本能的な恐怖だ。
レノは立ち上がり、軍帽を被り直した。
「全軍に通達。おそらくエルフ族は切り札、太陽王国の王都に大きな損害を与えるほどの大魔法を使用したと思われる。太陽王国領への、そうだな…最初の場所、アリン村を集合地点に、撤退を命じる。」
レノは天幕を出ると、混乱の坩堝と化した戦場を見渡した。
(補給も指示もなしでアリン村まで何人生きて辿り着けるか…)
空には無数の魔法弾が飛び交い、友軍の密集陣形に突き刺さっては、それを肉塊に変えている。
「天蓋より降り注ぐは、無慈悲なる氷の礫。 罪人よ、ただ祈れ。 」
(いまどき珍しい、詠唱での魔法行使なんて魔王朝の時代に廃れたと…)
そう思ってレノが振り返ると、タケル=グレンフィールの頭上にあった、およそ数えきれないほどの氷の礫が凄まじい勢いで四方八方に飛んで行った。そして、その多くが闇雲ではなく、少なくとも目視できる範囲ではほぼ全てが的確にエルフ兵を打ち抜いていた。
「タケル中将、協力感謝します。アリン村を合流地点として、撤退を開始します。」
「了解した。…本来であれば第4、第6の残存兵もまとめ上げたいが、これでは共倒れになりかねんな」
タケルがちらりと戦場を見渡すと、第9大隊の動きが格別に洗練されていた。
恐怖で固まる友軍を尻目に、彼らは蜘蛛の子を散らすように、うまく照準を避けたり交換しながら森の闇へと溶け込んでいく。
「我々第1はレノ大隊長の撤退を支援し、護衛する。…レンジ、レイカ、お前らもこの森に入ってからだんまりだが、そろそろ出てきてくれないか」
「悪いな、こいつが体調悪いっていうから」
「だってこの森虫多いんだもん」
全く気配のなかった樹上からレンジとレイカが飛び降りてきた。
「タケル中将、支援は感謝しますが…私は守護者のスキルもあります。もっと他に護衛するべき人が」
「状況が分かっていないようだな。まずこの森羅シルフヴェール帝国へのなし崩し的な逆侵攻作戦における指揮官は、第4のグレン殿が殉職された時点でレノ大隊長だ。
それだけでも、貴殿の保護を最優先とする理由に足るが…」
「なんだ、王国に残っている連中が全員おっちんでいる可能性があって、唯一の軍権保有者かもしれないってはっきり言えよ」
レンジが割り込む。
「おなかすいた」
そのレイカの言葉を最後に、しばらくはただ森を駆け抜ける音と、遠くでの爆音と悲鳴だけがBGMとして流れていた。
ーー森はまさに地獄と化していた。
太陽王国軍の前線部隊は、わずか半日で壊滅状態に陥っていた。招待規模の指揮官を失い、恐怖に駆られた兵士たちは我先にと逃げ惑い、背後からエルフの狩猟部隊に矢を射かけられている。
その中にあっても第9大隊は、泥と血にまみれながらも、相対的に高い生存率を維持しているように思われた。レノの指示通り、極限まで散開し、木陰や地形を利用して爆撃を回避していたからだ。
「ハァ……ハァ……クソッ、キリがねぇ!」
大剣でエルフの兵士を両断したゾラが、巨木に背を預けて荒い息を吐く。 その隣で、ラナが負傷した兵士の腕に治癒魔法をかけている。
「魔力ポーション、もう在庫切れよ。次はないわ」「おいおい…」
周囲にエルフ兵の数は14、いや13、、、12?
凄まじい勢いで敵の生命反応が消失していく。
「お、いつかの生意気猫じゃん」
レンジが通り過ぎざま、指をパチンとはじくとエルフ兵が灰に変わる。
ゾラは大斧を握りしめたまま、その背中を睨みつけた。
「こっちの猫は可愛くない」
そういってレイカとレンジが駆け抜けていった。
「はんっ……気に食わねえが、味方にいると頼もしいもんだな。」




