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23話 梟の落日

王都の新聞は、連日その話題で持ちきりだった。


『軍神現る! 第9大隊、エルフの聖域を攻略!』

『ペシェシュエット(素敵な罪)の奇跡! 死神レノ、無傷の快進撃!』

『獣人こそ王国復興の鍵!王国最強は第9なのか』


戦意高揚のためのプロパガンダ。

王侯貴族の間では未だ獣人への嫌悪感は強かったが、市民層では手のひらを返したように、かつて「厄介払い」として送り出されたレノは、今や王国の救世主として祭り上げられていた。


貴族たちは彼の戦果を祝杯の肴にし、市民は彼のブロマイドを買い求めた。


だが、現実は紙面のように華やかではなかった。


エルフ領、深部。 第9大隊の陣地は、重苦しい空気に包まれていた。


「……隊長、本国からの補給物資、また『未定』との返答です」


ミラの報告に、レノは焚き火に薪をくべながら溜息をついた。  彼らの周囲には、鹵獲したエルフの食料があるだけで、弾薬も魔力回復薬も底を突きかけている。


「王都の連中は地図しか見てないからな。俺たちが進めば進むほど、補給線ライフラインが伸びきって首を絞めていることに気づかない」


連戦連勝。


それは裏を返せば、休むことなく敵地深くへ誘い込まれているということだ。


先日の強固な防衛ラインだけは本気のように感じたが、その実は「勝たせてもらっている」のではないか? という疑念がレノの脳裏をよぎる。


「レノ」


低い声と共に、老兵のバムが近づいてきた。彼は愛用の狙撃銃を布で丁寧に拭いている。


「どうした、バム」 「……風の匂いが変わりやした」


バムは鼻を鳴らし、暗い森の空を見上げた。


「俺が昔、全滅した戦場の時と同じ匂いだ。錆びた鉄と、乾いた土の……『死』の匂いがしやす」


「……お前の勘は当たるからな」


レノは苦笑したが、その目は笑っていなかった。ラナが治療テントから顔を出し、疲れた顔で言った。


「レノ、怪我人の回復が遅くなってる。森の魔力が強すぎて、人族や獣人の治癒魔法が阻害されてるみたい。……このまま大きな戦闘になったら、支えきれないよ」


弾薬不足、補給途絶、環境不適応。


王都で「英雄」と讃えられている男の部隊は、今まさに緩やかな死へと行進していた。


「第1のタケル=グレンフィール、あと第4と第6でそれぞれ生存者を取り纏めている将官を呼んでくれ。撤退について議論したい。」


そこへ、通信兵が血相を変えて走ってきた。


「た、隊長! 王都司令部より特命です!」


「司令部も少しは機能しているようだね、先日接収した集落まで撤退かい?」


「いえ……『第9大隊は直ちにエルフの帝都へ進軍し、敵王族を拘束せよ』と」


レノの手から、コップが滑り落ちた。


まともに食料さえ調達できないこの状況で、さらに奥へ進めというのか。それは作戦ではない。ただの狂気だ。あるいは――第9大隊を、エルフ王都と心中させる気か。


「……英雄ってのは、死んでからなるもんだと思ってたがな」


レノは立ち上がり、軍服の埃を払った。 森の奥、エルフの王都がある方角は、不気味なほど静まり返っている。


「総員、進軍準備。……ただし、いつでも逃げられるように靴紐はきつく縛っておけよ」


通信兵が続ける。


「それと…壊滅した第4、第6の部隊員も第9の指揮系統に組み込んでよい、とのこと。あと第1大隊のタケル=グレンフィール中将率いるレンジ大佐、レイカ少佐も名目上はレノさんの指揮下に入ると。」


「はは、中将が部下って何か悪い冗談かな…」


「序列3位の『零点下の貴公子』、公正な人物とは聞きますが…。王都では良くも悪くも印象に残らなかったので…」


ミラも考え込んだようにぼそりと発言した。


その日、森は死んだように静かだった。


進軍を続ける第9大隊の兵士たちは、肌にまとわりつくような湿気と、異常な静寂に神経をすり減らしていた。鳥の声がない。虫の羽音もしない。風すらも、何かに怯えるように凪いでいる。


「……おい、レノ。なんか変だぞ」


先頭を歩いていたゾラが立ち止まり、歯を剥き出しにして唸った。彼の背中の毛は、猫のように逆立っている。


「敵の気配か?」


「逆だ。この森に入ってからずっと付きまとっていた気配が『消えた』。さっきまで遠巻きに俺たちを監視してやがったエルフの斥候たちが、蜘蛛の子を散らすみたいにいなくなりやがった」


ゾラの野生の勘は、論理よりも正確だ。レノは右手を挙げると、即座に全軍停止を命じた。


「通信兵! 王都への定時連絡はどうなっている!」


レノが叫ぶと、天幕の奥から真っ青な顔をした通信兵が飛び出してきた。


「た、隊長! それが…10分前の通信が未だ繋がっておらず…機械の故障ではないかと思い工兵を呼んでおります!」


通信妨害ジャミングの可能性は?」


「いえ、魔力波形は正常に出ているんですが、相手側からの応答が……いや、応答はあるんですが、変なんです!」


レノは通信機の前へ歩み寄った。  魔導通信機からは、ノイズ混じりの音が漏れ出している。


『ザザ……ぁ……あ゛か……ん…らく………』


人の声のようでもあり、風の音のようでもある。


だが、その背後から聞こえる音に、レノは背筋が凍るのを感じた。 それは、遠くで何かが爆ぜる音と、時折、人の悲鳴のようなものの残響だった。


「……おい、これは王都の通信局だよな?」


「は、はい! 間違いありません!」


次の瞬間。


『ピーーーーーーーーーーーーーーー』


耳をつんざくような高音が鳴り響き、通信機の魔石がパチンと弾け飛んだ。  物理的な過負荷ではない。


送信元の「魔力」そのものが、許容量を超えて暴走したのだ。


「通信、途絶しました……」


呆然とする通信兵。 レノは通信機を見つめ、懐から懐中時計を取り出した。


秒針は動いている。時間は進んでいる。だが、世界のリズムが決定的に狂ってしまった感覚。


「レノ、空を見ろ」


老兵バムに言われ、レノが木々の隙間から空を見上げた。 エルフ領の深い緑の空。


そこから太陽王国の王都がある方角の空が、毒々しい紫色と赤色に滲み始めていた。まるで、空そのものが内出血を起こしているかのように。


「嵐がきやすぜ、隊長。……今まで見たこともないような、とびきりたちの悪い嵐が」


「総員、防御陣形! ……いや、対ショック姿勢だ! 伏せろッ!!」


レノの本能が警鐘を鳴らした。 敵は目の前にはいない。 敵は、遥か彼方から、世界ごと彼らを押しつぶそうとしていた。


最初に届いたのは「紫色」だった。


鬱蒼とした深緑の森の影も含め、一瞬にして紫色に染まる。


真昼の太陽よりも強烈な、紫色の閃光。それが地平線の彼方からあふれ出し、森の木々を、兵士たちの顔を、世界全てを紫一色に塗り潰した。


「目がッ!?」 「な、なんだぁ!?」


兵士たちが目を覆う。  数秒後、光が収束すると同時に、遠見の魔法を使えるメラが悲鳴を上げた。


「うそ……嘘だ……」 「メラ! 何が見える! 映像を投影しろ!」


レノの怒声に、メラが震える杖を掲げる。空中に魔法のスクリーンが展開された。  そこに映し出された光景に、第9大隊の全員が息を呑んだ。


壮麗な城壁、賑やかな市街、王宮の尖塔。


太陽王国の王都が存在していた場所には、瓦礫の山が築かれていた。

一部では地面が抉れ、マグマのように赤熱した岩盤が剥き出しになり、周囲の河が滝のように流れ込んでいる。


「あ……ああ……」


誰かの呻き声。  その直後、遅れてやってきた「音」と「衝撃」が世界を叩いた。


ドオオオオオオオオオオオンッ!!!!


鼓膜が破れそうな爆音。そして、暴風。数百年を生きた巨木がマッチ棒のようにへし折れ、衝撃波が森を薙ぎ払う。


「伏せろォォォッ!!」


レノはとっさにミラを抱き寄せ、地面の窪みに身を沈めた。 土砂と木片の雨が降り注ぐ。地響きが止まらない。世界が終わるような揺れが数十秒続き――やがて、唐突な静寂が戻ってきた。


土埃の中から、レノは顔を上げた。兵士たちは泥まみれになりながらも、呆然と立ち上がり始めている。


「……総員、、、状況を、報告」


レノの声は、ひどく乾いていた。誰も答えない。全員が、投影魔法が消えた空の彼方を、虚ろな目で見つめていた。


家族がいた場所。帰るべき故郷。給料を払う組織。


それら全てが、消し飛んだかもしれないと感じていた。


「隊長……王都は……家族は……」


若い獣人兵が泣きそうな顔で縋ってくる。 レノはかける言葉を探したが、喉に張り付いた絶望が声を遮った。


(これがエルフの切り札…?)


レノの腕のなかでミラが「お母さん……」と崩れ落ちるのを、かける言葉も見つからないまま、レノは僅かに残った腕の力で支えていた。


敵地での孤立。そして、帰る場所の喪失。


レノは立ち上がり、砂を払った。


もはや意味をなさなくなったかもしれない階級章を指でなぞる。その瞳には、かつてないほど冷たく、鋭い光が宿っていた。


本能が「勝利」ではなく「生存」の重視を訴えかける。


「…正直、状況は全くわからない、だが、最悪の想像をしても、事態は好転しない。


我々にできるのは現在の状況を的確に把握し、食料確保と安全地帯への退避を迅速に行うこと。第1とも連携してまずは王国領への帰還を最優先にしよう。」


破壊された森の向こう、まだ陽の高い空には、王都があった場所から立ち上る黒煙が、禍々しい墓標のように天を焦がしていた。

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