21話 梟の狩猟
エルフの聖域「深緑の森」
そこは、太古より人の侵入を拒み続けてきた樹海の迷宮だ。 樹齢数百年を越える巨木が空を覆い隠し、昼間でも薄暗い。そして何より、大気中の魔力濃度が異常に高かった。
「ええい、鬱陶しい木々だ! 全て焼き払え!」
先行した第4大隊「ピルプラメニ」の大隊長グレン=ロートフィルトが叫ぶ。彼らは「炎のロートフィルト」の分家筋としてのプライドにかけて、この森を火の海に変えようとしていた。数十人の魔導師が一斉に杖を掲げ、紅蓮の炎を放つ。
だが――。
ジュウウウゥ……。
放たれた炎は、木々の表面を少し焦がしただけで、まるで濡れた雑巾を被せられたように鎮火してしまった。
「な、なんだと!? 我が隊の火力なら、岩さえも溶かすはずだぞ!」
「た、隊長! 木が……木が泣いています!」
「何を馬鹿なことを!」
だが、間違いなくその木は生き物のように蠢いていた。
「気持ち悪いな、ちっ、焼き払うのは諦める。左右に大きく広がり、索敵体制をとりながら進め」
そうして慎重に第4は進軍を続けたが、ついぞ集落のひとつすら出会うことなく、5日ほどの距離を進み、後発の第9、及び、第1のタケル、レンジ、レイカも追いつくこととなった。
そして、森羅シルフヴェール帝国の帝都まで数日の距離となった頃。
「閣下、何か妙な音が…」
「音?」
部下の報告に聞き返した瞬間、ヒュッという鋭い風切り音が響いた。 次の瞬間、隣にいた部下の眉間に、美しい羽根のついた矢が突き刺さっていた。
「敵襲ッ! どこだ!?」
第4大隊はパニックに陥った。 敵の姿が見えない。矢は木の幹から、茂みの影から、あるいは頭上の枝葉から、音もなく飛来する。 さらに、森そのものが牙を剥いた。地面の根が突然隆起して兵士の足をすくい、魔法によって操られた枝が鞭のように襲いかかる。
「ひ、退け! 一旦下がれ!」
第4大隊長が撤退を命じたが、すでに退路は茨の壁によって塞がれ、後列の第9や第1とは引き離されていた。
視界不良、通信途絶、完全包囲。
自慢の火力も、湿潤な魔力が充満する森の中では威力が半減し、ただの「目立つ標的」になるだけだった。
「クソッ、後続は何をしている!せめて第1が救援に…! 」
グレン=ロートフィルトは後続への信号弾も兼ねて天に届かんとする炎の龍を出したが、あえなく空を覆う木の枝にぶつかって吸い込まれた。
叫び声は森の静寂に飲み込まれ、二度と返ってくることはなかった。
――数時間後。遅れて到着した第9が目にしたのは、無残な光景だった。 木々に吊るされた第4大隊の兵士たちの死体。その装備は剥ぎ取られ、森への警告のように晒されている。
「うわぁ……派手にやられたもんだな」
レノは腐葉土の臭いに顔をしかめながら、無傷で残っていた大隊長の軍帽を拾い上げた。
「隊長、生存者はゼロです」
「エルフは森の中じゃ、最強のゲリラ兵だ。真正面から火遊びをしに行けばこうなる。だが、ここに来て敵の防衛ラインに触れたか…」
レノは拾い上げた軍帽をその場に丁寧に戻すと、周囲の鬱蒼とした森を見渡した。 鳥の声ひとつしない静寂。だが、無数の視線がこちらを監視している気配が肌に突き刺さる。
「さて、教科書通りの攻め方は通用しない。ここからはルール変更だ。総員、聞け。」
レノの声は、いつもより低く、静かだった。 第9大隊の兵士の多くは獣人だ。鼻をひくつかせ、耳をピクリと動かし、すでに森の空気に順応し始めている。
「ヒト族の教本は捨てろ。密集陣形もいらない。号令もなしだ」
レノは、森の奥を指差した。
「エルフは『精霊交信』で音もなく連携し、風の魔力で俺たちの位置を把握している。だから、まずはその『耳』と『連携』を潰す」
レノの合図で、工兵たちが奇妙な形の魔道具を取り出した。 鹵獲したエルフの魔石を加工し、音響増幅魔法を付与した即席の「ハウリング・グレネード」だ。
「作戦開始。」
ドンッ! キィィィィィィィン!!
森の中に、特殊な高周波音が炸裂した。 人間には「耳障りな音」程度だが、聴覚が鋭敏で、精霊の微細な声を聴こうとしていたエルフたちにとっては、脳を直接殴られるような激痛となる。
「ぐあっ!? 耳が、精霊の声が聞こえぬ!」
それはエルフにとって、突然「視界を奪われた」以上の恐怖だった。 森との接続を強制的に切断され、孤独な闇に放り込まれる感覚。
パニックに陥り、頭を抱えて蹲るエルフたち。そこへ、獣人たちが一瞬の隙を見逃さず襲いかかる。
「食らいつけェッ!」
ゾラを先頭に、第9大隊が散開した。
彼らは四つん這いになり、木々を駆け上がり、人間の兵士ではありえない機動力で森を疾走する。
視界の悪い森において、頼りになるのは「目」ではない。「鼻」と「野生の勘」だ。
「見つけたぞ、隠れ耳長!」
狼の獣人が、擬態魔法で木の幹に同化していたエルフの喉笛に食らいついた。
エルフたちが得意とする「見えない攻撃」は、獣人の嗅覚の前では無力だった。
汗の匂い、血の巡る音、魔力の残滓。それらすべてが、獣人にとっては強烈な道しるべとなる。
「な、なんだこいつらは! 人間ではない! 野獣だ!」 「精霊よ、風を……ぐあっ!」
詠唱しようとしたエルフの喉元をナイフで搔っ切る。
「レノ隊長の命令です。『詠唱する暇を与えるな。物理で戦え』と」
レノ自身は、最後尾で、鹵獲したエルフの果実をかじりながら、集まってくる情報を元に指揮を執っていた。
『A地点制圧』 『B地点、罠解除』
「よし。じゃあ次は煙幕だ。持ってきた木材を燃やして、煙を流し込め」
レノの戦術は徹底して「撹乱」だった。 煙で視界を奪い、不快な音で聴覚を潰し、獣人の身体能力で奇襲をかける。
それは、高潔なエルフたちが最も嫌悪する、泥臭く、品のない、しかし極めて効率的な狩りだった。
「なるほど、あれがスメラギに勝った男か…流石の一言に尽きる、我々の出番は無さそうだな。」
そう呟いたタケル=グレンフィールに、レイカが答えともいえない返答をする。
「ひま、、、お花出してくれないの?」
やれやれと言った顔でタケルがレンジを見遣ると、レンジは渋々と答えた。
「レイカ、我慢しろ。森を焼くと死神さんの作戦が台無しになる」
「……あの獣人たち、動きが良くなったね。……狩り甲斐がありそう」
レイカがうっとりと第9大隊を見つめる。
「味方だ。斬るなよ」 「…」
数刻後。付近の森の前線基地となっていたエルフの集落は、第9大隊によって制圧されていた。生き残ったエルフたちは、恐怖に震えながら呟く。
「あれは王国の『死神』だ……」
神聖な森を味方につけたはずのエルフたちが、逆に自らの庭で狩られる恐怖。レノ率いる第9大隊の異名は、この日を境に、エルフたちの間で呪いのように囁かれることになる。




