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第二話 ルカナとプルミナ

ルカナの胸元を風がそっと撫でる。

その谷間に沿って通り抜けるそのやわらかな風は、ルカナを優しく目覚めさせた。


ゆっくりと寝床の中で手足を伸ばし、大きな瞳が静かに開かれる。

「24度。最高気温は……27度ってとこかな。湿度は18……。あの子たちには水浴びだな」


つぶやきながら、ベッドからするりと抜け出す。

褐色の長い脚が、綿の短パンから艶めかしく伸びる。太陽に一番近い少女は誰かと問われれば、

誰しもルカナだと答えるだろう。朝の光を浴びた彼女の体は、美しかった。


鏡の前に立ち、まっすぐに自分の顔を見つめる。

この島でこの肌色は、自分ひとりだ。全身を覆うブロンズのような褐色の肌に、真夜中のように黒い長い髪。

瞳も睫毛も深い漆黒――。


「うん、今日もいい顔してる」


鏡越しの自分に微笑みかけるその瞬間、

彼女の黒髪の先に咲いたハイビスカスが、ふわりと花びらを揺らした。


「よーし、朝ごはんタイムだ!」


軽やかに言って、ルカナは“妹たち”のもとへ向かう。

彼女が妹と呼ぶのは、家の下に咲くたくさんのハイビスカスたちだった。


ルカナの家は木の上に建てられたウッドデッキ。

外に出るには、縄ばしごを降りなければならない。


足元に広がる花々に向かって、大きな声で呼びかける。


「おっはよー!朝だぞー!」


ハイビスカスたちは静かに揺れ、花びらが小さくきらめく。


ルカナはその様子に満足そうにうなずくと、両手に大きな木製のじょうろを抱えて、海辺へと駆け出した。

さらさらと砂を蹴って走る足取りは、まるで音楽のようにリズミカル。


海辺でじょうろに海水を汲み、また家へと走って戻ると、

仲間のクシアがくれたシー・ピュリファをじょうろにぽとりと垂らす。

「しゃらん」と音を立てると、水面に花びらのような泡が浮き、やがて透明な真水になる。


「この花の粉は、海の記憶だけを残して、塩を眠らせるんだってさ」


ルカナは“妹たち”にそう話しかけると、

注ぎ口から少しだけ水を口に含み、味を確かめた。


「……うん!塩分なし、完璧!」


それから“妹たち”に、たっぷりと水を注いでいく。


水を浴びたハイビスカスたちは、水滴をまとった体を揺らした。

陽光を浴びて、光と水分を求めるように、ルカナの方を見上げている。


ルカナはその様子を満足そうに見届けて、大きく伸びをする。

朝の光と風の中で、彼女の「いつもと同じ」日がはじまる。



ルカナはじょうろを置いたあと、空を見上げてにやりと笑った。


「……私も朝ごはん、食べるか」


そろそろプルミナも起きているころだろう。

ルカナはそのまま軽やかな足取りで、プルミナの家を目指して走り出した。


この島の風は一年中、心地よく肌を撫でる。

ルカナの褐色の肌を愛おしむように、風はふわりとその体を包み込んだ。

時間、場所、季節によって、風がまとう香りは微かに違っている。

それを肌で感じられるこの島が、ルカナは好きだった。


こうして走り回っているのも、島の中ではルカナくらいだ。

本当は、どこまでも走っていたいと思う。

まるで何かに駆り立てられるように、身体の奥から手足が勝手に動く。


10分ほど走ったころ、プルミナの家が見えてきた。


そこは白い石造りの平屋で、屋根にはオレンジ色の瓦が並んでいる。

家のまわりには、大輪のプルメリアが咲き乱れていた。

今朝の水浴びを終えたばかりなのか、花々は水滴を纏い、ルカナを出迎えるように揺れている。


「おはよう、プルミナの妹たち」


ルカナが微笑みながら声をかけると、それに呼応するように、木枠の窓が開いた。


「あら、ルカナ。おはよう。また朝ごはんを食べに来たの?」


そう言って顔を出したプルミナは、ルカナとは対照的な存在だった。


真珠のようななめらかな白い肌、柔らかく波打つ銀色の髪。

ふくよかな身体からは、花の蜜のような甘い香りがふわりと漂っている。


太陽に愛された少女がルカナであれば、プルミナは夜のしじまに咲く一輪の花だった。

その肌は、昼間であってもまるで月あかりをまとっているかのように美しい。


「プルミナと一緒に食べた方がおいしいからな」


ルカナは窓辺に近づくと、プルミナの髪を指先ですくい上げ、そっと口づけた。


「もう、こういう時だけ、そういうことするんだから」


プルミナは少し呆れたように笑って、ルカナを見つめる。


「こういう時だけじゃないよ。プルミナが気づいてないだけさ」


ルカナはそういうと、ゆっくり片目をとじた。


「……もう、入って。もうすぐできるから」


「本当は、私が来るってわかって、待ってたんだろ? パンがふたつ焼いてある」


「そりゃね、2日に1回来られたら、2人分焼くのが習慣になるわよ」


プルミナの声には、どこか嬉しそうな含みがあった。



「しばらくは晴れの日が続きそうだな」


焼きたてのパンを頬ばりながら、ルカナが口にした。


島で採れる木の実をすり潰し、粉状にして焼いたこのパンは、住民たちの主食だ。

果物は、そこら中にあふれるほどあるし、泳ぎが得意なルカナは、よく海藻や貝を採ってくる。

この島で、食材に困ることはない。


「久しぶりに、みんなで集まりたいのよね。しばらく顔も見てないから」


プルミナは、ふっくらとした唇をカップのふちにそっと添える。

琥珀色の香り高いお茶は、クシアが調合してくれた薬草ブレンドだ。

微かにスパイスのような風味が口に残る。


「クシアとディナファの家までは、ここから半日かかる。

アメシエルに至っては、雨が降らない限り外には出てこないしな」


ルカナはあくび交じりに言いながら、皿の上のバナナに手を伸ばした。


「でもアメシエルの家には、よく通ってるんじゃない?」


プルミナが探るような目でルカナを見つめる。


その視線を受けながらも、ルカナは果物から視線をそらさず、


「食べ物を届けてるだけさ。あいつ、ほっといたら食事すらまともにとらないから」


と、どこか気怠げに答えた。


しばらく沈黙が流れる。

プルミナは、ルカナのまつ毛のラインをそっと目でなぞった。


(……この子は、本当に何もわかってないのね)


ルカナがこうして毎朝のように朝食を食べに来るのは、きっと単純なこと。

料理が苦手で、プルミナの家が他の少女たちの家より近くて――それだけ。


でも――

アメシエルのためなら、毎日のように食事の世話までしてあげるのね。

それを考えると、少し胸の奥が痛んだ。


「……うらやましいわね」


気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。


「うん?なんて?」


ルカナが顔を上げる。


プルミナは慌てて首を振り、頬を紅く染めながらカップを持ち上げた。

ルカナは首を傾げたまま、しばらくプルミナの顔を見つめる。


「顔、赤いぞ。熱でもあるんじゃないか?」


「……ちょっと、お茶が濃かったみたい。平気よ」


プルミナは慌てて笑うと、カップを置いた。


「ま、プルミナがそう言うなら、午後にでも行ってくるか。クシアたちのところに声かけて、明日にでもみんなで集まろう」


「別に、特別話したいことがあるわけでもないんだけど」


話が逸れたことに、プルミナは内心ほっとする。


(どうして、この子は私の気持ちに気づかないんだろう)


――そう思うこともある。


でももし、ルカナが気づいてしまったら。

きっと今のままの関係では、いられなくなる。


だから、わからないままでいてほしい。

わかってしまったら、困るのはきっと、私のほうだ。


プルミナは小さくため息をつくと、少し胸元をゆるめて、


「でも、そうしてくれると嬉しいわ」


とだけ、そっと返した。

プルミナの胸元から薫る花の匂いは、ルカナの鼻先を通って、窓の外へ流れていった。

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