08、ずさんな作戦
路地裏を走りながら、シオンが短い息を繰り返しつつラファに説明を始めた。その声には、珍しく焦りが滲んでいる。
「あいつはチェイサー。弟の部下だよ。酷い怪我を負ったところを、弟の技術で命を救われて、それ以来ずっと腹心として動いてる。」
「弟さんの技術って……何のこと?」
ラファが問いかけると、シオンは走りながらもさらりと答えた。
「聞いたことないか?戦争で欠損部位を失った人たちが多くいて、うちのライトボーンの技術で救われた――ギアモード技術だよ。」
その言葉に、ラファは息を飲んだ。ギアモード技術――それは義手や義足をはるかに超えた、機械と人体を融合させた先端医療のことである。戦争から帰還した負傷者たちの中でも、それを施された者たちは特別な能力を持つことで知られていた。
「まさか……それがチェイサーにも?」
ラファの質問に、シオンは短く頷いた。
「そうだ。それに奴は……君の父親と同じ『能力者』だ。」
「……能力者?」
その言葉に、ラファは眉を寄せたが、シオンはそれ以上何も言わず、前を向いて走り続けた。
狭い路地を縫うように駆け抜ける二人。シオンは前方を見据えながら次の行動を考えている様子だった。
「車には戻れない。今のあれは一時的に左半身に不具合を起こさせただけだ。」
「じゃあどうするの?」
ラファが息を切らしながら問うと、シオンは鋭い目で周囲を見回した。そしてふと目に入ったのは、まだ人の気配がない工場地帯だった。
古びた鉄骨がむき出しになった建物や、大きな廃材の山。早朝の薄暗い光の中、それは荒廃した迷路のように見えた。
「あそこだ。」
シオンが指さす。
「工場地帯か……?」
「そうだ。入り組んだ構造が多いし、奴の動きを封じるにはああいう場所がいい。少しでも時間を稼ぐんだ。」
二人はそのまま路地を抜け、工場地帯の中へ駆け込んだ。周囲には誰もいない。かすかに風が吹き抜け、鉄材が軋む音が響くだけだ。
ラファは立ち止まり、ゼーゼーと肩で息をしながらシオンを見た。
「ここで何するの?奴が来るのを待つの?」
シオンは振り返り、彼女に冷静な目を向ける。その中には決意が見えた。
「奴を撒く。ただ、それだけだ。いいか、ラファ。今からは俺の指示に従ってくれ。」
ラファは口を結び、無言で頷いた。そして二人は、再び廃工場の中に進んでいった。
廃工場の奥へ進むと、シオンは足を止めて周囲を見渡した。薄暗い空間に無数の機械が並び、かつてここで働いていた人々の痕跡を感じさせる。
「ここは……自動車の部品工場だな。」
つぶやくシオンの視線は、中央に位置する長いベルトコンベアに注がれていた。その隣には作業台が複数並び、工具や古びた部品が散乱している。
「だけど、電源が入っていない業務用マシーンなんて今はただの鉄の塊だ。」
シオンは天井を見上げた。蛍光灯がいくつも取り付けられているが、すべて消えている。
「まだこの工場に通電しているか確認する。」
そう言うと、彼は壁際のスイッチに手を伸ばして照明をつけた。瞬間、バチバチと音を立てながら薄暗い工場内が明るく照らされる。
「まだ電気は通ってるな。」
明るくなった空間を見回しながら、シオンは考えをまとめる。そして、ラファに向き直った。
「作戦を決めた。」
「どんな?」
ラファが問うと、シオンはわずかに顔をしかめるようにして続けた。
「危険な役割を頼む。
それは……チェイサーに左腕を使わせることだ。」
「左腕?」
「奴の左腕はただの義手じゃない。昨日の追跡でも見ただろう?鎖を使って体を引き寄せるあれだ。」
ラファはうなずきながら思い出す。確かにチェイサーの左腕は異常な動きをしていた。
「その腕を使わせれば、奴の動きに制限がかかる。だが、それには条件がある。」
「条件?」
シオンは少し間を置いて、真剣な表情でラファを見つめた。
「ラファ、お前は能力者か?」
突然の問いかけに、ラファは一瞬言葉を失った。
「え……?」
「能力者じゃなければ、この作戦は失敗する可能性が高い。だから、正直に答えてほしい。」
その目は、ただの確認ではなく切実さを帯びているようだった。ラファは戸惑いながらも答えた。
「……どういう意味で能力者かって聞いてるの?」
シオンは息をついて答える。
「俺の言う能力者っていうのは、何らかの特異な力を持つ人間のことだ。お前の父親もそうだったと聞いたことがある。」
ラファの眉がわずかに動いた。
「例えば、常人より異常に強い力とか、反応速度とか、特殊な技能とかだ。もしお前に何かあるなら、それを使って奴の左腕を封じる術を考える。」
「……」
ラファは短く息をつき、唇をかみながら少しうつむいた。その表情には何かを隠しているような気配があったが、彼女はまだ答えを出さない。
シオンは一瞬だけその様子を見つめたが、無理に答えを急がせることはしなかった。
「時間がない。もし何もないなら、それでもいい。俺が別の方法を考える。」
そう言って彼は、廃工場内の機械や部品を改めて見回し始めた。チェイサーの接近が刻一刻と迫っている――その緊張感が、静かな工場の空間に重く漂っていた。