76、ねぇ見て、先生
ルビーは、まるで遠足帰りの子どものように弾んだ足取りで戻ってきた。
だが彼女のバックパックと両手には、到底“お土産”と呼ぶには物騒すぎる品々が抱えられていた。
「ただいまー! ねぇねぇ先生、色々持ってきたんだよ〜」
床にばさっと広げられたのは、警備部隊の面々が持ち込んでいた装備の山。
アサルトライフルに手榴弾、フラッシュバンさらには油圧カッターに丸鋸まで――まるで戦場の闇市だった。
ルビーはそのひとつひとつを誇らしげに掲げて見せる。
「見て見て、この油圧ハサミ! ねぇ、これって車ん中に閉じ込められた時とか使うやつ? 便利だよねぇ!」
「こっちはフラッシュバン! 眩しいよね!」
無邪気に笑いながら、彼女は丸鋸を手に取った。
銀色の刃がゆっくりと回転し、光を反射して怪しくきらめく。
「これなんかさぁ――あったらここから逃げられたのにねぇ」
悪びれもなく呟くルビー。
その声音には反省の欠片もなく、ただ“ああ、惜しかった”という感想だけが乗っていた。
そして思い出したように口元を指で押さえ、朗らかに笑う。
「あ、でもこれ持ってたのモンドさんだった。はじめに死んじゃってたね。残念〜」
レックは深くため息を吐き、煙草の火をくゆらせた。
丸鋸を軽く回しながら、ルビーはぱぁっと花のように笑った。
「じゃあ――第二ラウンド、行こっか♡ 先生」
甘ったるい声色とは裏腹に、殺意が滲んでいた。
レックは石鎧を軋ませ、一歩前へ進む。
「……ったく。昔の方が可愛げがあったわ」
地下の空気が再び張り詰め、殺気と鉄臭い冷気が満ちていく。
ルビーは足元に散らばる武器の山から、ひょいとアサルトライフルを掴み上げた。
「まずはこれを試してみようかな?」
まるで新しいおもちゃを選んだ子どものように無邪気に構え――
次の瞬間、地下の空気を震わせる一斉射撃が轟いた。
ダダダダダダッ――!!
奔流のような弾丸がレックの石鎧へ叩きつけられ、表面を削り飛ばしながら土砂のような欠片を散らす。しかし、鎧そのものが硬すぎる。内部にまで衝撃は届かない。
「ダメかぁ……やっぱり先生、固いなぁ」
頬を膨らませたルビーは不満げだが、その瞳はむしろ楽しげに輝いていた。
煙を割って、レックが一歩、また一歩と進み出る。
銃撃を受けながらも、歩幅が一切乱れない。まるで撃たれていることすら意に介していないような重量感。
「いい加減、玩具で遊ぶのはやめろよ。面倒くせぇ」
低く唸るような声が響いた瞬間、
ルビーの表情がくるりと切り替わった。
「じゃあ次は――これ!」
彼女が掴み上げたのは、鈍い銀色をした油圧ハサミだった。
ルビーはハサミの先端をレックへ向け、にこりと笑う。
「アサルトじゃダメなら……こっちかな?」
足音を消すようにふわりと地を蹴り、速攻で間合いへ突っ込む。
狙いは決まっている――石鎧の「弱い部分」だ。
脇、膝裏、関節の溝。
鎧の分厚さが薄くなる部分を、ハサミの先端で槍のように突き刺しにかかる。
ガギィンッ!!
金属と石がぶつかる甲高い音が響いた。
だが、ルビーの刺突はすべて届く前に弾かれた。
レックの石剣が、ほとんど条件反射のような滑らかさで振るわれ、
油圧ハサミの軌道をそらすどころか、ルビーの手首ごと弾き返してしまう。
「チッ……!」
ルビーが舌打ちする間さえ与えず、レックが踏み込んだ。
「そんなナマクラで俺が裂けるかよ」
剣圧が空気を裂き、ルビーはとっさに後方へ飛ぶ。
しかしレックの剣筋は速く、正確で、なにより重い。
油圧ハサミを槍のように突き出すルビー。
それを石剣で斜めに打ち払うレック。
一瞬で交わされる攻防の中で、どちらが上かははっきりしていた。
――レックの剣技が圧倒的に上だった。
刃がぶつかるたびに、火花ではなく石片と金属片が弾け飛ぶ。
そして、防がれるたびにルビーの表情は笑みに変わる。
まるで、強敵に触れた興奮が血流を加速させているかのように。
「やっぱり先生、強いねぇ……!」
ルビーは嬉しそうに笑い、再び鋭く踏み込んだ。
だが、その笑みの奥に潜むのは――
殺意ではなく、純粋な「狩り」の悦楽だった。
ルビーは、足元に散らばる武器の山をつま先で押し分けながら、くるりと笑った。
その赤い瞳には、戦場の混沌すら玩具箱の中身のように映っている。
「先生ねぇ、知ってるんだよ? 私も」
レックは石剣を構えたまま眉をひそめ、低く吐き捨てた。
「喋ってると舌噛むぞ、クソガキ」
その瞬間、石鎧を軋ませながら猛烈な追撃が始まった。
重量の乗った剣が空気を裂き、石床を抉るたびに火花が散る。
ルビーはその斬撃の網を、まるで遊ぶように身をひねり、滑るようにすり抜けていく。
だが、その身体の動きは無駄がなく、計算され尽くしていた。
避けながら、彼女は楽しげに続ける。
「先生の“石”、精製前の素材で硬さ変わるでしょ?」
レックの瞳が一瞬だけ細まる。
「……なんだと」
「石剣の刃の部分は、いつも黒曜石混ぜてるよね? 観察してれば分かるよ〜。あれ、よく斬れるもん」
軽口を叩きながらも、その視線は鋭い。
石鎧の継ぎ目、膝裏、肋の段差。弱点を正確に測っていた。
「で、今日の鎧は――このコンクリートでしょ?」
ルビーは足先で床をコツコツとつつき、薄く笑う。
「何が言いたい」とレックが唸る。
ルビーは、ふわりと後ろに跳び退きながら、答えの代わりに背後へ手を伸ばした。
「うん、ちょっと時間はかかるけど――」
ガチャ、と金属の噛み合う音。
次の瞬間、甲高いエンジンの始動音が狭い地下に響き渡った。
――ギィイイイインッ!!
ルビーの細い腕に抱えられたのは、獣の牙のように回転する丸鋸だった。
回転刃の光が、彼女の頬に危険な弧を描く。
「出番だよ〜、丸鋸ちゃん」
ぞくり、と空気が震えた。
レックの石鎧越しにも、確かな敵意と殺意が伝わるほどに。
ルビーは獲物を構えた狩人のように姿勢を低くし、踊るように踏み込んだ。
「先生の鎧――どこまで切れるかな?」
回転刃が唸りを上げ、レックめがけて一直線に突っ込んでいく。
大振りな丸鋸が、地下の空気を荒々しく切り裂いた。
もちろん、そんな雑な一撃がレックに届くはずもない。
レックは剣で弾くことすらせず、半歩、また半歩と重心を滑らせるだけで刃を避けていく。やがて苛立ち混じりの声を吐いた。
「当たるわけねぇだろ、そんなもん」
そして繰り出された前蹴りが、ルビーの鳩尾に寸分の誤差なくめり込んだ。
「——っぐほ……!」
ルビーは半折れになり、しばらく目を白黒させたが、すぐに顔を上げてケラケラ笑い出した。
「うぇ……危なくゲロインの仲間入りするとこだったよ、先生……っ」
まだ胃の奥を押さえながらも、彼女は丸鋸を再度振り回した。
その大雑把な軌道には、殺意よりも悪ふざけの色が濃い。
レックは溜息すらつかず、ただ淡々と動いた。
「だから言ってんだ。単純な攻撃が俺に当たるわけねぇだろ」
次の瞬間、閃光のような一閃が走った。
レックの石剣が、ルビーの上半身と下半身の“あいだ”を鋭く切り抜いたのだ。
ルビーの身体が、真ん中からふたつに分かれる。
しかし——それは彼女が仕掛けた“罠”の起動に過ぎなかった。
分断された腹部から、破れた肉を押しのけるようにして——。
――ブシュゥウウッ!!
白い煙が、噴出した。
催涙ガスだ。
レックは即座に腕で顔を覆うが、完全には防ぎきれない。
石鎧の継ぎ目から煙が入り込み、視界が瞬く間に白く塗りつぶされる。
「っ……てめ……っ!」
咳とともに、石鎧の内側で目が焼けるような痛みが広がる。
床に転がったルビーの上半身が、血まみれの口元を吊り上げた。
下半身は倒れたままピクついているが、どちらにも同じ笑みが浮かんでいる。
「ね? 先生でもこれは効くでしょ?」
分かれた身体が、同時に楽しげに笑った。
ルビーは、まるで壊れた人形がひとりでに動き出したかのように、ずるりと下半身へ手を伸ばし――ぽん、と軽い仕草で自分の胴体を繋ぎ始めた。
ポケットから取り出したのは、人間の指が二、三本。
「あ、これこれ。つなげるならこれで十分なんだよね〜」
まるで輪ゴムでも扱うように、その指を関節ごと噛んで引きちぎり、肉の繊維を伸ばした。赤黒い糸が、彼女の上半身と下半身を“縫う”ように結びついていく。
常識ではあり得ない光景が、当たり前の日常のように、ルビーの手の中で完結していく。
「ねぇ先生、これ気づかなかったでしょ? さっきのもそうだけど、私けっこう頭使ってるんだよ〜」
自慢げに胸を張る上半身。
それを支える下半身は、まだわずかにふらついている。
――パン、と何かが弾けるような音がした。
ラファが堪えきれず膝をつき、咳き込みながら目を押さえる。
「っ、く……はぁっ……! まだ、ガスが……!」
ロジャーも片腕の断面を押さえたまま、悔しげに呻いた。
「……ぐっ……目が……ッ」
まだ地下には、催涙ガスが薄く漂っていた。
レックも視界を奪われて膝をつき、石鎧の隙間を押さえるように顔を背けている。
そんな地獄の中心で――ルビーだけが、いつも通りの“楽しそうな顔”をしていた。
縫い合わせ終えた身体を軽くひねり、機能を確認するように腰を回す。
「よし、完璧。じゃあ――」
彼女は床に放っていた丸鋸を拾い上げた。
引鉄を引くと、回転刃が甲高い音を立てて唸り始める。
キィィイイイイイン……ッ!
火花のような光が刃に散り、彼女の瞳に危険な輝きを宿す。
「ここからが本番だよ、先生」
レックが顔を上げるよりも早く、ルビーの影が白煙を踏み割って迫る。
その笑みは――無邪気で、残酷で、底抜けに楽しそうだった。
白煙に視界を奪われたレックは、石鎧の巨体を揺らしながら剣をぶん、と大きく振り回した。刃が空気を裂くたび、地下の湿った空間に重い風圧が生まれる。
「ちっ……どこだ、ルビー!」
声は荒いが、手応えが一度もない。
そのすぐ背後――煙の薄い死角で、ルビーはひらりと身をかわして笑っていた。
「危な〜い。先生、ほんと勘だけはいいよねぇ」
丸鋸を肩に担ぎ、ゲームのボス戦にでも挑むかのような軽さでステップを踏む。
彼女にとって、巨大な石鎧をまとったレックですら――ただの“遊び相手”でしかない。
その時だった。
ギャリッ。
鋭い金属音が、煙の中で弾けた。
ルビーの丸鋸がレックの膝裏――石鎧の最も薄い関節部を削った音だった。
レックは反射的にその場から大きく跳び退く。
「……ッ!」
しかし、逃れた先で――また。
ギリ……ギリギリ……ッ!
今度は首元の鎧が、じわりと削られていく音が響いた。
白煙の中、姿なき刃が少しずつ、確実にレックの防御を削っていく。
「クソッ……!」
視界は奪われ、呼吸は刺激臭で焼かれ、気配は煙に散り、音だけが武器になる。
だが、その音こそが致命的だった。
丸鋸が鎧に触れるたび、石と金属の削れる音が、耳にまとわりつくように響く。
ガリ……ガリガリ……ガガッ……!
執拗に、楽しげに。
子どもが積み木を崩すような気軽さで、ルビーはレックの弱点ばかりを狙い続ける。
煙の中に、彼女の笑い声が溶けていく。
「ねぇ先生……こんなに時間かけるの、はじめてかも♡」
白煙と刃音が支配する地下。
そこでは、誰が獲物で誰が狩人か――もう明白だった。
催涙ガスが地下を白く染める中、ルビーはあくびをひとつ漏らした。痛覚のない彼女にとって、煙はただ少し刺激が強いだけのものにすぎない。
「先生、なんか貝類みたいだね。堅い殻に包まれて、きっとコハク酸の旨みを感じられる」
声に微かに好奇心を混ぜながら、ルビーは煙にむせることもなく独り言を続ける。
「先生は、石だらけで食べること、考えてなかったー」
吐き出すような声には、楽しげな悪戯心が混ざる。息を整え、再び地下の空気を漂うガスを感じながらも、ルビーはまるでゲームでもしているかのように、楽しげに身体を揺らした。
疲れを見せることもなく、彼女はぽつりとつぶやいた。
「……つまみ食い、しよっかな」
そして小さなポケットに手を伸ばすと、そこから人の指を二、三本取り出し、くすくす笑う。煙に混ざる刺激臭も、血の匂いも、彼女にはただの“調味料”にすぎなかった。
地下の戦場は、ルビーにとって――食材の味見をする台所のようだった。
地下を満たす催涙ガスの白煙の中、
ガリ…ガリリ……ッ!
鉄を削るような不快な音が、一定のリズムで響き続けていた。
ルビーの振るう丸鋸が、ついにレックの膝裏へ深々と食い込んだのだ。
「……ッ、クソが!!」
石鎧の隙間から血ではなく粉塵が散り、レックは痛みではなく苛立ちで唸った。
剣を乱暴に薙ぎ払って牽制するが、煙と気配の幻影に紛れるルビーには当たらない。
「ねぇ先生、ほらほら。次いくよ〜?」
ルビーはくすくす笑いながら、機械の音をさらに加速させる。
ガリッ!
首の付け根に溝ができる。
ギュルルルッ!
脇の装甲が薄い部分が削れ、粉のように崩れ落ちる。
「テンポ上げるよぉ? たのしー!」
子どもの遊びのような無邪気な声とは裏腹に、
レックの石鎧は確実に“死”へ向けて削られていく。
ラファとロジャーは目を開けることすらできず、
白い地獄の中で音だけに全神経を研ぎ澄ませていた。
――レックの次は自分。そしてロジャー。
ルビーにとっては順番に味わうフルコースに違いなかった。
そんな緊張の中、唐突に耳の奥でインカムが鳴る。
「――来るよ」
ティアンの声だった。
久しぶりの通信に、ラファは息が止まる。
次の瞬間。
ドガァンッ!!!!
壁が砕ける鈍い衝突音。
空気ごと押し潰す衝撃。
ラファもロジャーも、何が起きたかわからない。
ただ――確かに聞こえた。
ルビーの小さな身体が、
壁に叩きつけられた音だった。




