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75、出来の悪い生徒

ルビーは腰をひねり、粉塵を散らしながら勢いのまま上体を起こした。


「もう……せっかく直したのに」


 吐き捨てるように言うと同時に、一度レックとの距離を大きく取る。


 対するレックは、石鎧に覆われた巨体のまま、面倒そうに目を細めた。

 ルビーの再生に“食事”が必要であることを熟知している彼は、ルビーの口に届く可能性のあるあらゆる死体の断片を、自身の間合いの中へ収めるようにじり、じりと距離を詰め続ける。


 まるで親が子どもの悪さを見張るような、しかしあまりに物騒な包囲だった。


「先生のお説教なんて、今さら聞きたくないよ」


 ルビーは唇を尖らせ、すぐにでも斬りかかれる姿勢で軽く大鉈を構え直す。

 その笑みは楽しげで、しかし獲物を見据える獣のそれと同じ鋭さを帯びていた。


 そして――隙あらば即座に振り下ろそうとする気配が、彼女の全身から立ち上る。


 レックは深いため息を落としながら、だが一歩も退く気配はなかった。


「……いいから大人しくしてろ、面倒なガキが」


 こうして、説教と殺意が入り混じった異様な間合いが再び成立した。


地下の湿った空気を裂くように、ネズミがひゅっと横切った。

その影を、ルビーの指先が正確に捕らえる。


「……これじゃ全然足りないんだけど」


ぼそりと呟きながら、ルビーはそのまま小さな生き物を口へ運ぶ。

骨が砕ける音が微かに響き、しかし――


再生は鈍い。

腕一本を満たすには、あまりにも“量”が足りなかった。


ルビーが舌打ちした瞬間、


「次行くぞ」


レックが石鎧の軋みもそのままに、一気に間合いを詰めた。


「っ――!」


ルビーもとっさに後方へ跳ぶ。

だがその動きは、レックには読まれていた。


低い軌道から、石剣の斬撃が飛ぶ。


 ザクリ。


左足首が綺麗に切断され、ルビーは体勢を崩して地面に転がる。


転がりながら、自嘲気味に笑った。


「……やっぱ、先生相手は分が悪いですねぇ」


すぐさま、治りかけの左腕に自分の歯を突き立てる。

肉が裂け、血が溢れ――その“栄養”を奪うように足首が瞬時に再生していく。


起き上がると、ルビーはニッと笑い、視線をラファへ向けた。


「じゃ、次は――あっちで」


その瞬間、ルビーは弾丸のようにラファへ突っ込む。


「させるかよ!」


レックが咄嗟に前へ躍り出て、石剣を構える。

だが――ルビーは最初からラファを襲うつもりなどなかった。


レックの注意が自分に向き切っている、この瞬間こそ――


逃げ道を作る唯一の好機。


ルビーは床を蹴り、レックの死角へ滑り込むように動いた。

その笑顔は、状況の惨状に似合わず、恐ろしく楽しげだった。

ルビーは一度撤退を選んだようだった。




レックは舌打ちし、石鎧の肩を小さく揺らした。


「っち、テーブルマナーの悪いガキだ」


 床に散った血と肉片を見ての文句なのか、食事中の子どもが勝手に席を立つ様子に準えたのか――どちらともつかない。それでも、声音には呆れと、長年の付き合いからくる慣れが滲んでいた。


 ラファは息をのみ、震えた声で礼を絞り出す。


「あ、あの……ありがとうございます……」


 しかし牧師服の大男は、煙草の先をわずかに傾けただけで、顔すら向けなかった。


「別に助けたわけじゃねぇ。スカーレットに呼ばれたから来ただけだ」


 吐き捨てるように言い、指先で灰を払うと、顎でロジャーを示した。


「それより――そこの犬、止血してやれよ。あれじゃ死ぬぞ」


 見ると、ロジャーの断面からは辛うじて押さえ込んでいた血が再びとろりと溢れ出していた。ラファは慌てて駆け寄り、清潔な布を取り出し圧迫を始める。


 その背後でレックは壁にもたれ、煙草をくゆらせていた。数分前まで人外の怪物を石鎧で叩き伏せていた男とは思えない――ただの、不機嫌な大人の姿。


 だがラファには、ひとつずっと気になっていることがあった。


 なぜ追わないのか。

 なぜあの危険すぎる少女を、逃がしたままにしているのか。


 勇気を振り絞り、声をかけた。


「レ、レックさんは……ルビーを追わないんですか?」


 一拍置いて、レックは煙を吐き出した。


「追ってほしいんだろ、あのガキは。追わせて隙を作って、食って再生して……その繰り返しだ」


 鼻で笑い、今度は逃げた方向ではなく、この場――ロジャーとラファの方に灰色の視線を向ける。


「だったらここで待っとくのが一番早ぇ。どうせ戻ってくる」


 ラファはぞくりと背筋が震えた。

 その口調は――まるで、娘の癇癪のパターンを熟知した父親のようで。


「……スカーレットさんとルビーのこと、よく知ってるんですね。さっきも“先生”って呼ばれてましたし」


 そう尋ねると、レックは煙をくゆらせたまま、ほんのわずかだけ目を細めた。


 その表情は、遠い過去の何かを思い返すようで――

 しかし、語るつもりなどまったくなさそうだった。


 吐き出された煙だけが、答えの代わりのようにゆらりと揺れ、薄暗い地下に溶けていく。



ロジャーも遅れて、かすれる声で礼を述べた。


「……ありがとう、レック」


 だが返ってきた反応は、ラファに向けたものとはまるで別物だった。

 レックは煙草をくわえたまま、鋭い灰色の眼をロジャーに向ける。その視線は、慈悲とも労りとも無縁――むしろ、軽蔑を薄く塗り伸ばしたような冷たさだった。


「……なぁ、お前。スカーレットの優しさにあぐらかいてた、クソオヤジだろ?」


 淡々としているのに、妙に重い声音。

 ただそれだけで、ロジャーの胸奥に沈んでいた罪悪感が、ぐらりと揺さぶられた。


 ――図星。

 だからではない。

 その言葉には、「娘をよく知っている男だけが持つ重み」があった。


 知らない。

 自分は、娘のことを何ひとつ知らない。


 逃げるように目を伏せるのではなく、今度こそ正面から受け止めるように、ロジャーはゆっくりと顔を上げた。


「……レック」


 止血したばかりの断面がまだ脈打っている。それでも絞り出すように言葉が続いた。


「娘の……いや、娘“たち”のことを教えてくれ」


 その声音には、必死さよりも――祈りにも似た切実さがあった。


 レックは煙を吐き、肩をひとつすくめて視線をそらした。

 うんざりしたような、関わる気などないという態度。

 しかし、その口はゆっくりと――あまりにも自然に、語り始めていた。


レックは煙草を指で弾き、ゆらりと立ちのぼる煙を目で追った。


「……お前らも噂くらいは聞いたことがあるだろ?」


 くぐもった声が地下の湿った空気に沈む。


「俺は“人攫い”なんて呼ばれてる。まぁ実際、そういう依頼を受けて回る仕事だ」


 その言葉はぶっきらぼうだが、どこか奥歯に隠した真実を濁すようでもあった。

 本当の意味――行き場をなくした子どもを拾い、裏で育てていることなど、この場で明かす気はさらさらない。


「んで、ルビーとスカーレットに会ったのも、その仕事の一件だ」


 ラファは止血の手をわずかに止め、ロジャーは息を呑む。

 レックは壁にもたれたまま、思い出を踏みつけるように淡々と語りつづけた。


「依頼は近くの住民からだった。“この下水に少女が住み着いてる”ってな」


 ぱちり、と煙草の先が赤く灯る。


「しかも凶暴な野生動物が一緒にいるって話でよ。危ねぇから保護してくれ、って依頼だ」


 ロジャーの喉がかすかに鳴る。

 いまなら理解できる。その“野生動物”が誰のことなのか。


「お前らももう薄々気づいてる通りだ……」


 レックは冷たく笑い、煙を吐いた。


「その野生動物の正体はルビー。そして地下で白骨化してた死体は……先に潜っていったハンターどもの成れの果てだ」


 重い沈黙が落ちた。

 湿った空気が、あの時の血の匂いまで呼び覚ますかのようだ。


「少女を助けに来たハンターを、少女が喰った。……笑えねぇ話だろ」


 そう言いながらも――レックの顔には、笑いの影ひとつなかった。

 ただ、あの日の光景を静かに噛みしめるだけだった。———————————–


レックは、思い返すようにゆっくりと目を細めた。

 その横顔には、つい先ほどまで石鎧をまとって暴れまわっていた怪物の影はない。

 あるのは、過ぎた年月にすっかり磨り減った、ただの大人の顔だった。


「……当時のルビーもよ、今みてぇに好き勝手暴れてた」


 煙草の火が、湿った空気の中で赤くちらつく。


「でもまあ――両腕さえ拘束しちまえば、驚くほど大人しくなった。

 あっけねぇほどに捕まって、そのままアジトに連れ帰ったのを覚えてる」


 苦笑ともため息ともつかない息を漏らす。


「アジトじゃ、他のガキどもとも……まあ、それなりにはやってたよ。

 “それなり”だ。表面だけで言えばな」


 レックは肩を動かし、灰をぽんと落とした。


「けど、本当にうまくやってたのはスカーレットの方だった」


 ラファが息をのむ気配がする。

 ロジャーは傷を押さえたまま、ただ黙って耳を傾けていた。


「この時に気づいたんだよ。アイツが――二重人格だってな」


 湿り気を帯びた地下に、ひどく静かな時間が落ちる。


「スカーレットは……まあ、人間側だ。話せば通じるし、周りがどう動いてるかも理解してた。

 他のガキの面倒を見ることだってあったくらいだ」


 そう言うレックの声は淡々としていたが、その奥には当時の驚きがうっすらと影を落としていた。


「で、スカーレットの心が落ち着いてる間は、ルビーの体の自由も縛れた。

 スカーレットがルビーを“監視”する……まあ、そんな関係だった」


 ひとつ煙を吐いて、続ける。


「それからだ。スカーレットが“仕事、手伝いたい”なんて言い出したのは。

 あいつは頭も回るし度胸もあったからな、俺の傭兵仕事にも付いてきた」


 そこでレックは、重く息を吐いた。


「……まあ、前回の仕事で捕まっちまったのは、俺の落ち度だ。

 だが、まさかルビーにここまで体の自由を許してるとは……正直、思ってなかった」


 その言葉の最後には、怒りでも呆れでもない。

 どうしようもない諦観と、少しだけ滲む後悔があった。


レックは最後の煙を肺から押し出すように吐き、灰色の視線をロジャーへ向けた。


「……娘が傭兵に落ちる話なんて、聞いてて楽しいもんじゃねぇだろ」


 その声音には、嘲笑でも優しさでもなく――ただ事実だけを告げる、重たい静寂があった。


 ロジャーは何も返せなかった。

 短い語りだった。断片にすぎない。

 それでも――初めて知った気がした。

 娘のことを。

 自分が見てこなかった、見ようとしなかった時間の重さを。


 胸に残ったのは温かさではなく、鋭い焦燥だった。


(スカーレット……どれだけの間、ひとりで……)


 語られた過去の中で、最も影が濃かったのはスカーレットだった。

 彼女がどう生きてきたのか。

 何を考え、何を抱え、どれほど苦しんできたのか――知れば知るほど、胸が締めつけられた。


 だが、その沈痛な空気を、粉々に砕く声が響く。


「なんか辛気臭ーい!」


 甲高く、弾む声。


 ロジャーもラファも、そしてレックでさえ目を上げた。


「やっほ、先生! お待たせぇ!」


 粉塵がまだ舞う通路の奥から、ルビーがひょっこり顔を覗かせた。

 さっきまで切断されていた腕も足も、元どおり。

 血の匂いすら残さず、まるで遊びから帰ってきた子供のように、満面の笑みを浮かべていた。


 ぴょん、と軽く跳ねながら近づいてくる。


「完全復活! いやー、やっぱり食べないとダメだね!」


 レックは額を押さえ、深々とため息をついた。


「……来やがったか、クソガキ」


 重たい空気は、跡形もなく吹き飛ぶ。


 地下の静寂は、また別の戦いの気配で満ち始めていた。

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