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70、アンダーワールド

ノイズだけを残して、無線が途切れた。


 沈黙。

 誰もが次の音を待っていたが、モンドの声は二度と返ってこなかった。


 チェイサーは通信を終えると、深く息を吐いた。

 仮面越しでもわかる、険しい表情。

「……通信が切れたポイントに向かう。モンドが何を見たか確認する。」


 彼の声は低く、だが焦燥を押し殺していた。

 命令ではなく、決意の音だった。


 隣でロジャーが拳を握りしめる。

「……ルビーが、何かに襲われたのかもしれない。俺が行く。」

 その言葉には父親としての焦りが滲んでいた。


 チェイサーは短く首を振る。

「焦るな。状況はまだ不明だ。

 この人数で狭い通路を進むのは危険すぎる。分散する。」


 すぐに地図を展開し、端末で地下の構造を表示する。

「各地点から地下に潜れるルートを複数確認。

 各班、二人一組――二マンセルで行動しろ。安全を最優先に。」


 その指示に、警備部の面々がそれぞれ頷いた。

 足音、装備の金属音、緊張で硬くなる呼吸。

 空気はすでに戦場のそれに変わっていた。


 チェイサーは一歩退き、冷静に言葉を重ねる。

「俺は単独で動く。その方が速い。

 何かあればすぐ報告を上げろ。」


 ラファのもとに視線が向く。

「ラファはロジャーと組め。」


 「了解です。」

 ラファは頷き、装備を確かめた。

 ロジャーの顔には疲労と、父親の覚悟が同居している。

 それを見て、胸の奥がわずかに締め付けられた。


 その後方では、ティアンが手元の端末を握りしめていた。

「……私は地上で通信を維持する。

 下の皆の映像と音、全部モニタリングしてるから。」


 チェイサーは短く答える。

「頼んだ、ティアン。上はお前に任せる。」


 ティアンは小さく頷き、画面を睨んだ。

 その視線の奥には、不安と責任、そして――ほんの少しの恐怖があった。


 こうして、彼らは再び暗闇へと散っていく。

 それぞれの灯りが地下の闇に吸い込まれ、

 モンドの消息を追うための、静かな捜索が始まった。



地下に降りると、空気は一気に重くなった。

 湿った臭気が鼻を突き、靴底がぬかるみに沈む。

 ライトを点けると、淡い光が壁を照らし、金属の反射がちらついた。


「……やっぱり、ネズミの死骸、多いですね。」

 ラファが呟く。


 ロジャーは無言で頷き、鼻をひくつかせた。

 獣のような嗅覚が何かを探っている。

「……血の匂いも混じってる。古いのと新しいのが、入り混じってるな。」


 足元を照らすと、黒い液体が細い筋となって流れていた。

 最初はただの汚水かと思ったが――

 その中に、白く光るものが混じっている。


 ラファはしゃがみ込み、慎重にライトを向けた。

「……骨?」

 指の節のような形。人間のものにしか見えなかった。


 ロジャーは無言で拾い上げ、眉をひそめた。

 骨の端には、かじられたような跡が残っていた。


「ネズミ……じゃないな。」

 ロジャーの声は低く、抑えられていた。


 ラファは息を飲み、周囲を見回した。

 壁際には、錆びた鉈が落ちている。

 乾いた血がこびりつき、持ち手の部分には手の跡が残っていた。

 近くには、割れたヘルメット。焦げた布。

 そして、足跡――だが、形が歪だ。


 「誰か……戦った?」

 ラファの声が、地下の静寂に吸い込まれる。


 ロジャーは前方の闇を見据えたまま答えた。

「そうだ。……“何か”と、な。」


 その“何か”がまだここにいるのか。

 それとも、この場所を“棲み処”として使っているのか。


 ラファの背中に冷たい汗が伝う。

 足下で、またぐしゃりと音がした。

 今度はネズミではない。柔らかい布の感触。


 ライトを向けると、それは人の腕に巻かれた包帯だった。

 中身は、もうなかった。


「……ロジャーさん、ここ……」

 ラファの声が震える。


「わかってる。」

 ロジャーの獣の目が光る。

「――ここは、巣だ。」


 その言葉と同時に、遠くの闇の奥で、水の滴る音が止んだ。

 静寂。

 聞こえるのは、二人の呼吸と、心臓の鼓動だけ。


 ラファは無意識に銃の安全装置を外した。

 その金属音が、妙に大きく響いた。



下水の奥は、ひたすらに静かだった。

 どこまで歩いても同じ光景――濁った水、崩れかけた壁、そして死骸の影。

 それでも二人は足を止めなかった。


 ロジャーの嗅覚が時折ぴくりと反応し、ラファはライトを合わせる。

 けれど、手がかりらしいものは何もない。

 ただ、生き物の気配が、どこかでじっとこちらを見ているような錯覚だけが残る。


 「……あれ、見て。」

 ラファが指さした先、濁った水に半分沈んだ金属の輪があった。


 ロジャーが拾い上げ、泥を払う。

 それは――犬の首輪だった。

 黒い革製で、留め金の部分に小さな刻印がある。


 ロジャーは眉を寄せた。

「……この首輪、どこかで……」

 言いかけて、言葉を飲み込む。

 何かに引っかかるような感覚だけが残り、記憶の底に沈んでいく。


 ラファは静かに問う。

「知ってる犬ですか?」

 ロジャーは首を振った。

「わからない。ただ、嫌な感じがする。」


 その時だった。

 無線が小さくノイズを発した。


『……こちらチェイサー。聞こえるか。』

 通信の向こうの声は、抑えた緊張を含んでいた。

 ラファとロジャーは顔を見合わせ、すぐ応答ボタンを押す。


『こちらラファ、聞こえます。何かありましたか?』


 わずかな沈黙の後、チェイサーの声が低く響いた。

『……モンドの亡き殻を発見した。』


 その言葉が、空気を凍らせた。

 ラファの指先から力が抜ける。


 通信の向こうでは、淡々と報告が続いていた。

『四肢が欠損している。

 傷口の形状からして、初撃で即死……その後、切れ味の悪い刃物か、あるいは“力”で、

 無理やり引きちぎられたような形跡がある。』


 ロジャーが無意識に首輪を強く握りしめた。

 革が音を立て、金具が震える。


 チェイサーの声が一瞬止まる。

 次に続く言葉は、重く沈んでいた。


『……周囲に争った形跡はない。

 おそらく――抵抗する間もなく、やられた。』


 ラファは喉が渇くのを感じながら、かすれた声で呟いた。

「モンドさんが……?」


 返事はなかった。

 ただ、通信の向こうでチェイサーが低く息を吐く音だけが聞こえた。


 ロジャーはゆっくりと首輪を見つめた。

 視線が、どこか遠くを見ている。

 その表情には、記憶の欠片を探すような苦しさが滲んでいた。


「……思い出したくないのかもしれないな。」

 ロジャーは小さく頷いた。


 下水の奥で、ぽた、ぽた、と水滴の音が響く。

 音はやけに規則的で、まるで“呼吸”のようだった。


無線でチェイサーは、短く息を吐いたあと言った。

「……モンドの亡骸は一度、上に運ぶ。ここに置いたままでは“食われる”。」


 その判断は冷静だったが、声の奥には怒りの熱が揺れていた。

 彼は亡骸を慎重に担ぎ上げると、地上への梯子に向かった。


 残されたロジャーとラファは、再び下水の奥へと歩き出す。

 濁った空気の中、二人のライトが細い通路を切り裂くように照らしていた。


 ほどなくして、異様な光景が目に入る。


「……これ、マンホール?」

 ラファが眉を寄せる。


 頭上に取り付けられた古い蓋は、内側から開けられないよう、太い鎖が幾重にも巻きつけられ、金具は錆びついて凶悪な形にひしゃげていた。

 誰かが“意図的に”閉じ込めるために細工した――そんな悪意だけが漂う。


 そして、その真下には、崩れた骨と干からびた皮膚だけになった「亡骸」が転がっていた。

 人とも思えないほど破損が激しく、原型を留めていない。


 ロジャーの喉がひくりと動いた。

「……ここから出ようとしたやつの、末路……?」


 嫌な予感に突き動かされるように、二人は自分たちが入ってきた侵入口へと急いだ。

 しかしそこにも、さきほど見たのと同じ、太い鎖と歪んだ金具の細工が施されていた。

 完全に、内側からでは開けられない。


「……閉じ込められている……?」

 ラファが震える声で呟く。


 その瞬間、無線が震えた。


『こちらティアン……! 警備部の各チームから報告が入りました!

 皆、同じ状況です……どのマンホールも、入り口が塞がれています!』


 ロジャーとラファは息を呑む。

 つまり――下に入った全員が、“出口を失った”ということだ。


 続けて、チェイサーの荒い息が無線に割り込んだ。

『……クソッ!!!!!!』


 鈍い音が響いた。

 チェイサーが地上で、拳で地面を叩きつけた音だった。


『俺の出てきた穴も、気づいたら塞がれていた……!

 中に戻れない……クソ、やられた……!』


 彼の怒声には、苛立ちと焦りが露わだった。

 しかし次に響いた声は、無理に落ち着きを取り戻したような、低い、指揮官の声だった。


『いいか、ラファ、ロジャー。

 能力者はお前たち二人だ。

 俺が下に戻るには少し時間がかかる。

 それまでに――合流して、安全を確保しろ。』


 ラファは唇を噛んだ。

 ロジャーは静かに頷く。


「……了解。」


 その言葉の背後で、濁った下水の闇が、ふいにざわめいた気がした。


下水道は、もはや静寂ですら敵だった。


 隊員たちは、それぞれペアで闇の中を進んでいた。

 だが足音が一つ消え、短い悲鳴がひとつ、またひとつと闇に吸い込まれていく。

 ティアンは上から必死で“誰か”の視界を奪おうとしたが、暗闇と錯綜する恐怖が邪魔して、敵の姿はどうしても浮かばない。


「……見つけられない……!」

 無線の向こうのティアンの声は震えていた。自分が何の役にも立てていないという苦さが、そのまま言葉に滲む。


 そのとき、耳をつんざくような怒号が響いた。


「うおおおおおッッ!!」


 ラインだった。

 彼の小型カメラ越しに、激しく揺れる映像がティアンに届く。


 狭い下水道の通路が、激しい動きでブレる。

 ラインは壁に叩きつけられ、血を吐きながらもマチェットを握りしめていた。


「来いよクソッ……来いよォ!!」


 何かが水を蹴って迫る音がする。

 影が――走った。

 ラインは本能だけでマチェットを振り抜いた。


 バギンッ!!


 骨を断つ確かな手応え。

 飛び散る影。

 落ちて転がる、細く白い腕。


 ラインは勝ち取った一瞬の静寂に、ぜいぜいと息を吐いた。

 だが次の瞬間、背中を掴まれ、壁へ叩きつけられる。


「――が、あ……!」


 彼の体が不自然に折れ、腰から下が力なく床へ滑り落ちる。

 半分に千切れた腹部から血があふれ、ラインは呼吸だけが人間であることを主張していた。


 その視界の端。

 暗闇の中で、**転がった“左手”**が灯りに照らされていた。


 細い。

 幼い。

 少女のものだ。


 ラインは最後の力で片目を開き、その事実だけを見届けた。

「……なん、で……少女……?」

 言葉はそこで途切れた。


 ティアンの口から悲鳴が漏れた。

「ま、待ってライン君……! まだ息して――」


 しかし画面は、静かに暗転した。


 ティアンは震える手で能力を発動する。

 “盗用”――敵の視界を奪い取る。


「犯人がそこにいるなら……その視界、私が覗く!」


 凄まじい集中で精神を敵に伸ばす。

 誰かの息。

 暗闇。

 濡れた地面。

 血の匂い。


 視界が、ティアンの中で“パチッ”と切り替わった。


 ――そこにいた。


 暗闇の中を、切り落とされた左手の無い“誰か”が、ゆっくりと歩いていた。


ティアンの声が、無線越しに震えながらも鋭く響いた。


「みんな聞いて! 敵は左手に重大な損傷がある!

 私は今、その敵の視界を“盗用”してる。

 敵がそっちを見た瞬間、すぐに知らせるから――絶対にその場を離れて!」


 その声に、散り散りになっていた隊員たちが一斉に返事を返す。


「了解ッ!」

「位置移動開始!」

「こっちも急ぐ!」


 切迫した声が次々に無線に重なった。

 ティアンの警告があるたび、隊員たちは通路を転がるように逃げ込み、敵の狙いから逃れていく。


 しかし同時に――集合地点へ向かう途中で“合流する人数”は、明らかに少なかった。


 靴音、荒い息、滴る下水の音。

 誰も言わないが、その沈黙が何より雄弁だ。


 ラファとロジャーが、指定の合流通路にたどり着いたとき――

 そこにいた隊員は、もう半分以下になっていた。


 湿ったコンクリート壁に背を預けている者。

 肩で息をする者。

 血を拭きながら無理に立っている者。


 生き残ったのは、たった三組。

 暗闇の深さが、より濃くなったように感じられた。


「……これだけ、か」

 ロジャーが低くつぶやく。

 その横でラファは拳を握りしめ、静かに頷いた。


 ティアンの声が再び入る。

「大丈夫……まだ見える。

 敵がどっちを向いたら、すぐ伝えるから……みんな、絶対に死なないで」


 その声は心許なく、それでも真剣で――

 か細い糸のように、皆をかろうじて繋ぎ止めていた。

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