表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/78

68、捜索チーム

朝の光が、オフィスのブラインド越しに淡く差し込んでいた。

 ラファはいつものように、お気に入りのコーヒーを片手にデスクへ腰を下ろす。

 香ばしい香りが、夜の名残を押し流すように広がった。


 机の上には、夜勤組が残していった日報が山のように積まれている。

 彼女は一枚一枚に目を通しながら、壁際のテレビに流れるニュースを何気なく聞いていた。

 いつもと変わらない、静かな朝。


 やがて、廊下の向こうから賑やかな声が聞こえ始めた。

 日勤組の隊員たちが次々と出勤し、警備部のフロアに活気が戻っていく。

 コーヒーの香りと人の気配――それが、彼女にとっての“日常”の始まりだった。


 けれど、その日常に、ひとつだけ欠けていた。


 いつもなら朝一番に「おはようございます!」と元気に声をかけてくる、あの後輩。

 ――ルビーの姿が見えなかった。


 まさか、体調を崩した? それとも寝坊?

 そんなありふれた可能性を考えながらも、ラファの指先は微かに震えていた。


 そのとき、オフィスの空気が一変する。

 フルフェイスのヘルメットを被った男――警備部隊長、チェイサーが姿を現したのだ。

 いつもは軽口を交える彼が、今日は沈黙をまとっていた。


 全員の視線が彼に集まる。

 チェイサーは短く息を吸い込み、低い声で告げた。


「――ルビーがいなくなった。それに伴って、ロジャーと数名が追跡に出ている。」


 ざわめきが広がった。

 ラファの心臓が一瞬止まる。

 ルビーが、いなくなった? あの子が?


 昨日、二人でキッチンに立ち、クラシックショコラを焼いた。

 甘い香りに包まれながら、ルビーは笑っていた。

 あんな穏やかな顔を見せていたのに――。


 ラファの思考が止まったまま、チェイサーが近づいてくる。

 無骨な手が彼女の肩を軽く叩いた。


「ラファ。お前、ルビーと親しかったよな。」

 ヘルメット越しの声が、重く響く。

「ロジャーを追って、追跡チームに加われ。」


 ラファは言葉を失ったまま、ただ頷くしかなかった。

 コーヒーの湯気がまだ立ち上っている。

 けれど、さっきまで温かかったはずのその香りが、今はただ苦い。


 ロッカー室には、金属が擦れる乾いた音だけが響いていた。

 ラファは無言で防弾ベストのバックルを締め、装備を確認していく。

 指先がいつもより重い。

 心のどこかで、出動の準備よりも別のことを考えていた。


 ――ルビーのことだ。


 あの子の首には、爆発装置が仕込まれたチョーカーが付けられていた。

 病院の敷地を出た瞬間に起動する仕掛けだと聞かされていた。

 出入りは厳しく制限され、武器を所持しただけでも起爆の可能性があるという。

 そんな鎖を付けられながら、ルビーはいつも笑っていた。

 それが、痛々しかった。


 ラファは手を止める。

 昨日の光景が脳裏によみがえる。


 ケーキを切り分けるとき、ルビーが包丁を手に取ろうとした。

 その瞬間、ロジャーが咄嗟に止めに入った。

 あの判断がなければ――本当に爆発していたかもしれない。


 その時のルビーの顔。

 涙でぐしゃぐしゃになった、あの表情が離れなかった。


 “父の重荷になるくらいなら、いっそ自分で終わらせた方がいい”

 ――彼女は、そんなふうに思っていたのかもしれない。


 エウの飲み物にだけ睡眠薬が入っていたことも、調査で分かっている。

 つまり、薬を入れたのはケーキを切り分けた後。

 その冷静さが、逆に痛々しかった。


 死ぬ覚悟で仕掛けを破ろうとしたのに、結果的に――死ななかった。

 それどころか、病院の外に出ることができた。


「死ぬのは怖いよね…」

ラファは小さく呟き、ロッカーの扉を閉めた。

 金属の反響音が静寂に吸い込まれていく。


 “爆死を選んだのに、実際は死なず、遠くに逃げた”

 ――それが、今のところ誰もが共有している見解だった。


 だがラファには、どうしても引っかかっていた。

 あの子は、ただ逃げたのではない。

 もっと別の“理由”を抱えていた気がしてならなかった。


 父の愛銃を丁寧に分解し、油を差し、金属の感触を確かめながら組み上げる。

 ラファは最後にホルスターへと収め、深く息を吐いた。

 その瞬間、コンコン、と軽いノックの音がロッカー室に響いた。


 振り向くと、扉の向こうに立っていたのはシーだった。

 いつの間に隣に来ていたのか。

 考えごとに没頭していて、まるで気づかなかった。


「考え事?」

 シーは柔らかく首を傾げる。

 「ルビーのこと、でしょ」


 図星を突かれ、ラファは小さく苦笑いを浮かべた。

 言い返す言葉も見つからず、ただ曖昧に肩をすくめる。


 シーはロッカーにもたれながら、少しだけ視線を落とした。

 「……あの子が、そこまで思い詰めてたなんてね。誰も、気づけなかった」

 その声には、悔しさと優しさが入り混じっていた。

 「警備部のみんな、そうだよ。私も――」


 言葉を切ると、彼女はふっと笑った。

 そして、ほんの少し明るい声で続ける。


「だから、連れ戻してさ。もっとお菓子作れーって、言ってやろう。頼むよ、ラファ。」


 そう言いながら、シーは拳を突き出した。

 ラファは一瞬だけその拳を見つめ、それから静かに頷く。


「……任せて。」


 拳と拳が、軽く触れ合う。

 コツン、という音が、短い約束の証のように響いた。


 ラファは立ち上がり、装備の最終確認を済ませてロッカー室を後にした。

 廊下に出ると、チェイサーが待っていた。

 ヘルメットの奥から低い声が飛ぶ。


「準備はできたか?」


 ラファは姿勢を正し、短く答える。


「――大丈夫です。」


 その言葉に、チェイサーは黙ってうなずき、出撃命令を伝える無線に手を伸ばした。

 ラファの胸の奥で、鼓動がひとつ強く鳴る。

 “連れ戻す”――その約束だけを胸に、彼女は前を向いた。


出発前のブリーフィングが始まった。

 部屋の照明は落とされ、モニターの光だけが淡く人々の顔を照らしている。

 金属と油の匂い、無線機のかすかなノイズ。

 そのすべてが、これから始まる“任務”の重さを告げていた。


 チェイサーがモニターの前に立ち、無駄のない動きで指揮棒を手に取る。

 ヘルメット越しの声は、いつもより低く響いた。


「ルビーが目指しているのは、旧第七軍施設――現在は使用されていない軍用区画だ。

 過去、彼女が所属していた組織の拠点がそこにあった可能性が高い。」


 スクリーンには衛星写真が映し出され、荒れ果てた建物群が灰色の影を落としている。

 チェイサーの言葉が、冷たい空気を切り裂くように続いた。


「先行しているロジャーからの報告では、近隣の町でルビーらしき人物の目撃情報が確認されている。

 現在、追跡中だ。」


 会議室の一角。

 そこに腰を下ろしているアモンが、ゆっくりと視線を上げた。

 机の上に組んだ両手を崩さぬまま、短く命じる。


「……組織と接触する前にルビーを連れ戻せ。

 戦闘になる前に、必ず終わらせろ。」


 低い声。

 感情を押し殺したその響きに、部屋の空気が張りつめる。

 誰も言葉を発せず、ただ小さくうなずくだけだった。


 ラファはちらりと周囲を見回した。

 今回のチームに能力者は二人だけ――自分と、もう一人。

 隣の席に座るその人物は、深くフードをかぶり、顔を隠していた。

 小柄な体つきの、少女のようなシルエット。


 (……誰だろう?)


 警備部のメンバーではない。

 見覚えのない制服のライン。

 もしかすると研究棟の所属かもしれない――そう思いながらも、声はかけられなかった。


 チェイサーの声が再び響く。


「このメンバーで向かうにあたって、移動用にトラックを一台用意した。

 詳細な自己紹介は現地までの道中で済ませろ。」


 短く、簡潔な指示。

 チェイサーはスクリーンを消し、手元の資料を閉じる。


「――以上だ。」


 沈黙のあと、椅子の軋む音が一斉に立ち上がる合図となった。

 誰もがそれぞれの武装を確認し、無言のまま準備に取りかかる。


 ラファは立ち上がり、胸の奥に残るざらついた不安を押し込めた。

 ――ルビーは、まだ生きている。

 そう信じることだけが、今の彼女を支えていた。



街外れの駐車場に、場違いなほど可愛らしいトラックが一台、ぽつんと停まっていた。

 側面には、フクロウのキャラクターがアイスを掲げて笑っている。

 その愛嬌のあるデザインとは裏腹に、車体の下には重い装甲の影が見え隠れしていた。


 ――アイス屋のトラック、ね。


 ラファは小さく息を吐いた。

 アモンのこういう“手慣れた偽装”を見るたびに、

 ライトボーン病院という施設の実態を改めて思い知らされる。

 表向きは医療機関。だが、実際は政府が黙認する形で、

 “特殊任務”を請け負う裏の組織としても機能している。

 ――この国の正義は、きっと誰かの沈黙の上に成り立っている。

 そんな考えが、彼女の脳裏をかすめた。


 エンジンが低く唸る中、ラファはトラックの荷台へと足を踏み入れる。

 薄暗い車内。金属の匂いと油の混じった空気。

 座席の隅に、あの“フードの少女”が静かに座っていた。

 膝に手を重ね、外の光を避けるようにうつむいている。


 ラファは丁寧に姿勢を正した。

「初めまして。警備部のラファです。今回はよろしくお願いします。」


 声をかけると、フードの奥から小さな笑い声が漏れた。

 クスクス、と息をこらえたような笑い。

 だが、その笑みにはどこか――懐かしさのような響きがあった。


「よろしく頼む。」

 少女は少し背伸びしたような、大人びた口調でそう返した。


 ラファは首を傾げる。

「その制服、研究棟の方ですか?」


「ああ。最近、入ったばかりでね。私も勝手がわからないんだ。

 今回の任務も、アモンさんの推薦で参加してる。」


「なるほどー……」

 ラファは相槌を打ちながらも、どこか引っかかる感覚を覚えていた。

 声の調子、言葉の選び方、ほんの一瞬の間。

 すべてが“何か”を隠しているように思えた。


 沈黙が流れる。

 トラックの外で風が砂を巻き上げる音が聞こえる。


 フードの少女が、ゆっくりと顔を上げた。

「まだ、わからないの? ラファ。」


 その言葉と同時に、少女はおもむろにフードを外した。


 光が差し込み、素顔があらわになる。



焦げ茶の髪が、フードの陰からこぼれ落ちた。

 光を受けたその首筋――皮膚の下で、かすかに青白い機械の光が脈打つように瞬いている。


 ラファの呼吸が止まった。

「……ティアン?」


 その名を口にした瞬間、胸の奥で押し殺していた感情が揺れた。

 信じられない。

 彼女の存在を知っているのは、シーと自分だけのはずだった。


 ティアンは、どこか気まずそうに笑いながら肩をすくめた。

「まあ……アモンの敷地内で隠れられるわけないよね。」


 その軽口が、かえって現実味を帯びさせた。

 ラファの脳裏に、あの日の記憶が蘇る――

 シーと三人で出かけた、あの小さな夏祭り。

 紙灯籠の光と、ティアンの笑顔。


「アモンが……連絡を取ってきたの。」

 ティアンは言葉を探すように視線を泳がせる。

「驚かせようと思って、ラファには黙ってた。

 研究棟でいろいろ検査を受けて……それで、任務を手伝う代わりに、

 もう“隠れる生活”は終わりにしてもいいって。」


 ラファは何も言えずにいた。

 言葉にできない安堵と、どこか拭いきれない不安が、胸の奥でせめぎ合っていた。


 いいことなのか、悪いことなのか――まだわからない。


 ティアンはふと、自分の手のひらを見つめた。

 その指先にも、ごく微かな光が脈動している。

「……私もね、自分のこと、まだよくわからないんだ。

 でも、アモンの提案は……もしかしたら、私を知るためのチャンスなのかもって思った。」


 その声は静かで、それでいて不思議な力を帯びていた。

 ラファはゆっくりとうなずき、言葉を絞り出す。


「……そう、なんだ。」


 トラックのエンジン音が再び高まり、振動が床を伝う。

 外の光が揺れ、二人の影を交互に照らした。

 そのわずかな瞬間、ラファの胸には、かすかな希望と不安が混ざった痛みが宿っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ