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67、スモーキングタイム

ラボの奥に併設された簡易キッチン。

配管の低い唸りと、コーヒーメーカーの滴る音だけが響いていた。


カウンターにもたれかかりながら、レックがマグを傾ける。

苦味の強いコーヒーをすすり、ひと息ついたそのとき――


無言で扉が開き、シオンが入ってくる。

何も言わず、冷蔵庫を開け、牛乳パックを取り出すと、

そのまま一気に喉へ流し込んだ。


レックが口元をゆるめる。

「いい飲みっぷりですね。」


パックを置いたシオンは、視線も合わせず答える。

「……何か言いたいのか?」


「いや、別に。」

レックは肩をすくめ、コーヒーをもう一口。

「ただ――あなたの考えは、俺にはわからない。」


その言葉に、シオンは薄く笑う。

冷たい、感情を押し殺したような笑みだった。


「金で動く人間に、僕の気持ちがわかるか。」


レックの瞳が一瞬だけ揺れた。

言い返すでもなく、ただマグを見つめたまま静かに口を開く。


「……そうだな。

俺は、金のために人を攫い、売ってきた。

この手で何人の人生を壊したか、もう覚えてもいない。」


空気が重く沈む。

シオンは黙って立ったまま、冷えた床を見つめる。


「けどな。」

レックの声が低く響く。

「目的のために汚れる覚悟がある奴は、嫌いじゃない。

あんたも、そのひとりなんだろ?」


シオンの指がわずかに震える。

「……黙れ。」


それだけを残して、冷蔵庫の扉を閉め、

無言でラボの奥へと戻っていった。


レックは空になったマグを見つめながら、

「まるで、昔の俺みたいだな……」と

誰にも聞こえない声で呟いた。



ポケットに手を突っ込むと、指先に潰れた箱の感触があった。

取り出してみると、中身のないタバコの箱。

レックは舌打ちをして、無造作に手でくしゃりと潰すと、近くのゴミ箱に放り込んだ。


乾いた音がして、箱は中で弾んだ。


その一連の動きを、静かに見ていた者がいた。

白衣を羽織った女――レンだった。

ライトボーン病院の騒動に乗じて姿を消したはずの研究者。

彼女もまた、ひとときの逃避を求めてキッチンにやって来ていた。


「一本、あげるわよ。」


レンはポケットから細身の箱を取り出し、一本のタバコを差し出した。

レックは片眉を上げ、笑う。


「軽いの吸ってんなぁ。

まぁ……据え膳食わぬはなんとやら、だ。」


火を借り、煙を吸い込む。

肺の奥に鈍い熱が広がり、天井を見上げながら息を吐く。

白い煙がゆっくりと舞い、古びた換気扇に吸い込まれていった。


「ここでも吸う人、珍しいのよ。」

レンが苦笑混じりに言う。


「戦場よりはマシだ。」

レックはぼそりと答える。


ふたりの間に沈黙が落ちる。

けれどその沈黙は、重くもなく、どこか似た孤独を分け合うような穏やかさがあった。



レックは煙を吐きながら、横目でレンを見た。


「なぁ、あの仮面野郎とは長いんだろ。昔から……ああなのか?」


レンは少し間を置き、手元のタバコに火をつける。

細い煙が立ちのぼり、天井へと揺らめいていく。


「そうね。」

吐息とともに煙を吐き出しながら、彼女は静かに言葉を継いだ。

「彼のことなら――ある意味、彼自身よりも知っているかも。」


その笑みは、どこか遠くを見つめるようで、そしてほんの少し、疲れていた。

レックはその横顔を見て、ああ、と小さく声を漏らした。


――なるほど、そういうことか。


後頭部をかきながら、気まずさをごまかすように話題を切り替える。


「そういやよ、グラル様はあの仮面野郎に何をやらせようってんだ?

あの人の考えることは、いつも読めねぇ。」


レンはゆっくりとタバコを灰皿に押しつけ、

「……それを私に聞くの?」とだけ返した。


その声は、笑っているようでいて、どこかに棘があった。

レックは肩をすくめ、煙を吐きながら言った。


「いや、悪い。余計なことを聞いたな。」


キッチンの時計が、静かな音で時を刻む。

ふたりの間を漂う煙だけが、言葉の代わりに空気を満たしていた。


レックは煙を吐きながら、横目でレンを見た。


「なぁ、あの仮面野郎とは長いんだろ。昔から……ああなのか?」


レンは少し間を置き、手元のタバコに火をつける。

細い煙が立ちのぼり、天井へと揺らめいていく。


「そうね。」

吐息とともに煙を吐き出しながら、彼女は静かに言葉を継いだ。

「彼のことなら――ある意味、彼自身よりも知っているかも。」


その笑みは、どこか遠くを見つめるようで、そしてほんの少し、疲れていた。

レックはその横顔を見て、ああ、と小さく声を漏らした。


――なるほど、そういうことか。


後頭部をかきながら、気まずさをごまかすように話題を切り替える。


「そういやよ、グラル様はあの仮面野郎に何をやらせようってんだ?

あの人の考えることは、いつも読めねぇ。」


レンはゆっくりとタバコを灰皿に押しつけ、

「……それを私に聞くの?」とだけ返した。


その声は、笑っているようでいて、どこかに棘があった。

レックは肩をすくめ、煙を吐きながら言った。


「いや、悪い。余計なことを聞いたな。」


キッチンの時計が、静かな音で時を刻む。

ふたりの間を漂う煙だけが、言葉の代わりに空気を満たしていた。


しばらくの沈黙のあと、レンが小さく息を吸い、

かすかに微笑みながら言った。


「……でも、あなたも気をつけた方がいいわ。

あなたの、箱庭にオオカミなんて招きたくないでしょ。」


レックはその言葉の意味を測るようにレンを見たが、

彼女はもう窓の外の灰色の空に目を向けていた。



「……オオカミ、ね。」

レックは煙を吐き出しながら、

薄く笑って呟いた。



その言葉の裏にある何かを察したように、

ゆっくりと煙を吐き出す。


「……あんた、どこまで知ってんだ?」


レンは目を合わせず、ただ言葉を続けた。

「“優しい檻”ってのは、嗅ぎつけられるものよ。

血の匂いが残っているなら、なおさら。」


レックは黙ったまま、

握りしめたタバコを灰皿に押し潰した。

焦げた紙の匂いが、コーヒーの香りをかき消す。


「……オオカミが来るなら、迎え撃つだけだ。」

レックはそう言い残し、

ポケットの奥に小さく折り畳まれた写真――

笑っている数人の子どもたちの写真を指でなぞった。


レンはそれを見ずに、

ただ静かに煙を吐き出した。



レックは沈黙を続けたまま、

焦げたタバコの灰を指で弾いた。

レンはそんな彼を見下ろし、

静かに言葉を継ぐ。


「……あなたが詮索しなければ、オオカミだって眠ってるわ。」


レックの目が細くなる。

彼女の声には忠告とも、皮肉とも取れる響きがあった。


レンはタバコを灰皿に押し付けて立ち上がり、

白衣のポケットから端末を取り出した。

画面には暗号化された通信ログがいくつも並んでいる。


「そんなことより――お仕事よ、レック。」


レックが視線を向ける。

レンは端末を操作しながら淡々と告げた。


「アモンが、シオンに気づいたわ。

正確には、このラボの動きを“詮索”してる。」


レックの表情が一変する。

「……チッ、厄介な野郎に嗅ぎつかれたな。」


レンは頷きもせず、ただ言葉を続けた。

「あなたも動いてちょうだい。

もし見つかれば、グラル様の計画ごと吹き飛ぶわ。」


レックは重く息を吐き、


「……了解だよ、お嬢さん。

眠れるオオカミを起こしたのは、あいつらの方だ。」


彼の視線は、どこか遠く、冷たく、

それでいて確かな決意を帯びていた。



ーーーーー同時刻


硬い沈黙が室内を満たしていた。

 アモンの視線が突き刺さるように痛い。

 その前で、エウは小さく息を呑み、唇を噛んでから口を開いた。


「……本当に、申し訳ありません」


 自分の声が、こんなにも震えるのは久しぶりだった。

 エウは両手を膝の上で握りしめたまま、視線を落とす。


「ルビーは――私の管理していた病棟の一室を使っていました。精神病棟の……特別個室です」

「理由は、あなたもご存じのとおりです。彼女はロジャー氏の娘であり、同時に――この病院を襲撃してきた本人でもあります」


 アモンは何も言わない。ただ、鋭い眼差しだけが彼女に向けられていた。

 その沈黙に押されるように、エウは続けた。


「……あなたのご厚意で、彼女にはある程度の自由を与えていました。部屋の外に出ることも、厨房で菓子を作ることも。昨日も、そうして――」


 言葉が詰まる。喉が焼けるように熱い。

 あの甘い香り、柔らかい笑顔。ルビーの声が耳の奥で蘇る。


「昨日、彼女が振る舞ったクラシックショコラに……遅効性の睡眠薬が混入していました。私の分だけに、です」

「眠りに落ちるまで、何も気づけませんでした」


 手が震える。罪悪感という言葉では足りない。

 モニターの光が、彼女の蒼ざめた頬を照らした。

 監視室のスクリーンには、ルビーが部屋を出ていく映像が繰り返し流れている。

 無表情のまま扉を閉め、静かに廊下を歩く姿――まるで誰かに導かれているように迷いがなかった。


「病院外に出る映像も、別のカメラで確認されています。……彼女は、確かに出ていきました」


 報告を終えると同時に、エウは深く頭を下げた。

 アモンの靴音が、静まり返った部屋に響く。

 彼の声は低く、冷たい。


「――つまり、逃げられたってことだな」


 その一言が、胸の奥に突き刺さった。

 自分の無力さと、信頼を裏切った現実だけが、重く残った。


 アモンはしばらく黙っていた。

 沈黙が重く落ちる。時計の針の音だけが、やけに大きく響いた。


 やがて彼は、低く短く告げる。


「……謝罪はいい。ロジャーを呼んでくれ。」


 その声音には、感情の色がなかった。

 冷たい氷のような無表情――それが、逆に恐ろしかった。


 エウはうなずき、通信端末を操作する。

 数分も経たないうちに、ロジャーが現れた。

 扉が開くと同時に、彼は深く頭を下げる。


「申し訳ない。すべて、私の責任だ。」


 その声には、父としての苦悩と、兵としての覚悟が滲んでいた。

 アモンは椅子に腰掛けたまま、無言でロジャーを見つめている。


「頼む、アモン。ルビーは……俺に探させてくれ。あの子は俺の娘だ。俺にしか、見つけられない。」


 懇願というよりも、祈りに近い響きだった。

 だがアモンはすぐには答えず、ゆっくりとデスクの引き出しを開けた。


 中から一枚の紙を取り出し、机の上に広げる。

 それは、衛星から撮影された写真だった。

 モノクロの画面の中に、崩れかけた建物群が無音で並んでいる。


「行き先の目星は、ついている。」


 静かにそう言うと、アモンは写真の一点を指で押さえた。

 エウは身を乗り出して覗き込む。


 そこに映っていたのは、荒れ果てた軍用施設――

 今では使用されていない、地図上からも消えた場所だった。


 風化した滑走路。ひび割れた格納庫。

 その全てが、過去の亡霊のように沈黙している。


アモンは、わずかに息を吐いた。

 そのまま視線を書類に落としたまま、冷静な声で言う。


「ロジャー、捜索チームを編成して娘を確保しろ。……エウ、君は一度休め。」


 淡々とした指示。

 その声音には感情の揺らぎが一切なかった。

 ペン先が紙を走る音だけが、静かな部屋に響いている。


 ロジャーは短く頷き、「……わかりました」と答えると、踵を返した。

 エウも続いて部屋を出る。

 扉が閉まる瞬間、アモンは一度も二人を見なかった。

 まるで、すでに次の作戦を考えているかのように。


 廊下に出ると、蛍光灯の白い光が無機質に床を照らしていた。

 ロジャーは無言で数歩進んだのち、低く問いかける。


「……ルビーに付けられていたチョーカー。あれは、この病院の敷地を出たら爆発する仕掛けじゃなかったのか?」


 その声には、怒りと困惑が混ざっていた。

 エウは一瞬、言葉を選ぶように黙り込み、それから静かに首を振った。


「アモン様は……無闇に命を奪うような方じゃありません。むしろ――どこまでも甘い人です。」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥がわずかに痛んだ。

 自分でも気づいていた。

 その“甘さ”に、いつの間にか好感を抱いていたことを。


 ロジャーは何も言わず、ただ前を向いたまま歩き続ける。

 彼の横顔には、父親としての苦悩が深く刻まれていた。


 遠くで、警報灯がひとつ、赤く点滅を始めた。

 まるで、これから始まる“追跡”を告げる合図のように――。

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