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66、カプセル

庭には夜の風が吹き抜け、

花壇の白い花々が月明かりに淡く揺れていた。


ネビアはその花々をそっと撫でるように見つめていた。

静寂の中、館の扉が開き、

廊下の灯りを背にしたシオンの影がゆっくりと伸びてくる。


「ネビア、待たせた。」


その声に振り向いたネビアは、微笑みながら小さく首を振った。

「いいんですのよ。今週は私が護衛担当ですから。」


月光が彼女の金の髪を照らし、夜気の中でゆるやかに揺れる。

その表情は柔らかかったが、

どこかに“職務”の冷たさが宿っていた。


――実際は護衛というより、監視。

それをシオンは知っていた。

いや、勘づいていたというより、最初から承知していた。


だが彼はそれを口に出すことはない。

むしろ静かに笑って言った。


「来週はランだっけか?」


「お姉様は別件の仕事で、来週も私ですわ。」


「そうか。」


短い会話。

だが、そのやりとりの裏にある感情の機微は、

お互い、決して無視できるものではなかった。


庭の奥から虫の声が響く。

シオンは夜空を一瞥してから、

ゆっくりと花壇のそばに立つネビアの隣に歩み寄った。


彼の護衛は三人。

銃を自在に操る“ハク”、

格闘の達人である“ネビア”、

そして剣を生き甲斐とする“ラン”。


三人とも、戦場で名を馳せるほどの実力者。

癖は強くとも、腕前は確かだった。





ラボの照明は昼夜を問わず白々と輝いていた。

機械の駆動音と薬品の匂いが絶えず漂うその場所に、

シオンとネビアの二人の足音が響く。


シオンとネビアは黙ってそれぞれの位置につく。

会話といえば、ネビアが「お茶でも淹れます」と声をかける程度。

それ以上は言葉を交わす必要も、理由もなかった。


シオンは黙々と端末を操作しながら、

幾つものデータログを照合していく。


彼はグラルに自らの研究成果を献上する代わりに、

研究所と資金、コネクション、そして護衛を与えられていた。

その環境の中で、彼は黙々と“兵器”を作り続けている。


このラボでは、先日の暴動を起こした覆面の者たち――

そして“ハク”の量産型が造られていた。


シオンは静かに呟く。

「初期型の覆面型は、一般人に装着しAIによる擬似人格をマウントする想定だった。

単純な命令なら問題ないが、抽象的な指示を複数処理するのは不得手だったな。

……そういう意味では、チェイサー資料が役に立ちそうだ。」


ネビアは、また始まったと心の中でため息をつく。

「これでは読書も進みませんわ……」


「悪態をついているところ悪いが、紅茶のお代わりをもらっていいか?」

シオンは画面から目を離さず、事務的に言った。


「はいはい、私は給仕じゃありませんのよ。」

言葉ではそう返しながらも、

ネビアは丁寧にカップを取り、

シオンの好みに合わせて砂糖とミルクを正確に入れていく。


「君は傭兵よりも給仕の方が向いているんじゃないか?」


ネビアはそっぽを向いて、返事をしなかった。


端末の光が、シオンの横顔を青白く照らしていた。

彼はモニターに映る数値を睨みつけながら、独り言のように呟く。


「ハクの能力――“直感”。

あれは危機感知能力だ。脳が危険を認識するよりも先に、身体が自動的に回避行動を取る。

理屈でも思考でもなく、まるで“運命が体を動かしている”ような本能的反応だ。」


彼は手元のタブレットを操作しながら、いくつものシミュレーションデータを重ねていく。

指先の動きは正確で、まるで感情を持たない機械のようだった。


「……だが、量産型の検証をすると、コピーされた個体によって性能にばらつきが出る。

特に、ハク特有の“危険予知”に関しては著しく精度が落ちる。

――つまり、単純な遺伝情報や筋肉反射だけでは再現できないということだ。」


端末のスクリーンに並ぶ複数の個体データ。

どれも似てはいるが、“本物”の動きには及ばない。


シオンは淡々と続ける。

「だが、ハクの遺伝因子と、選定した個体を掛け合わせれば……現行のハクに近い精度を持つ個体は作成できる。」


無機質な声。

まるで命の重さなど、数値の一つに過ぎないような口調だった。


ネビアは、椅子の背にもたれながら、退屈そうにため息をつく。

「ハクさんがいっぱい……なんて、私は嫌ですわ。

あの人、うるさくて仕方ないんですもの。」


シオンはわずかに口角を上げたように見えたが、画面から目を離さない。

「確かに、そうだね。」


再び端末を操作する音だけが、静かな研究室に響いた。


研究棟の重い扉が開く音がした。

無機質な空気の中に、ひときわ軽やかな足音が響く。


「――うるさいなんて、ハクかなしいなぁ。」


東洋系の顔立ちにショートカット。

動きは獣のように俊敏で、身にまとった戦闘服がただ者でないことを物語っていた。

彼女――ハクが両手を広げ、泣き真似をしてみせる。


ネビアはため息をつき、冷たく言い放つ。

「キャラじゃないことしないでくださる? 見てるだけで不快ですわ。」


「ひどいなぁ。」

ハクはまるで気にした様子もなく、すぐに満面の笑みを浮かべた。

その笑顔は無邪気でありながら、どこか異様な光を帯びている。


「そうだ、あの前に攫ってきた個体――覚えてる?

あの少年、成長カプセルに入れておいてくれたやつ! そろそろいいんじゃないか?」


弾むような声。

まるで楽しみにしていた玩具の完成を待つ子供のようだ。


シオンは端末のホログラムを操作し、淡々と答えた。

「調整もまだ終わってないぞ。」


「見るだけ、見るだけ!」


ハクは跳ねるように近づくと、透明なカプセルを覗き込む。

液体の中には、まだ眠り続ける少年の姿があった。


「……早く会いたいね、ロンくん。」


ハクは微笑んだ。

その声音には、慈しみとも、好奇心ともつかぬ狂気のような響きがあった。


ネビアは腕を組み、眉をひそめる。

「……また厄介な“おもちゃ”を作る気ですのね。」


シオンは何も言わず、ただ端末の画面に映るデータを見つめ続けた。

彼の瞳に浮かぶのは、研究者としての冷静な光――

だがその奥には、確かに何か“個人的な執念”が宿っていた。



「私も量産型が欲しかったですわ!」

突然、ネビアが口を尖らせて言い出した。


ハクが首を傾げる。

「なんで欲しかったの?」


「だって、私と私でお茶が出来るなんてとっても優雅じゃない?」

ネビアはうっとりと両手を組んだ。


ハクはあきれ顔で肩をすくめる。

「……ダメだこりゃ。」


「ネビアはだめだめー」

ハクは指を振りながら笑う。


シオンは端末から目を離さず、淡々と口を開いた。

「ネビア、君の能力はデコイとしての性能は高いけど、生存率の確保に向いているかといえば——ハクの方が直結して優れているからね。

グラル叔父さんはそこを見て選んだんだよ。」


「ほらねー!」

ハクは誇らしげに胸を張って、大きく頷く。


シオンは続ける。

「試作品っていっても、資金はそれなりに掛かる。実際、一体でそこそこの車が買えるんだ。」


ハクはまた大きく頷く。

「うんうん、だから大事にしてね、シオンくん!」


「……まあ、ネビアのデータも取りたいし、一体くらいなら作ってもいいけど。」


ネビアの顔がぱっと明るくなる。

「まぁ、シオン様は本当に話がわかりますわ!」


ハクがすかさず叫ぶ。

「ちょっと! シオンくん、グラル様に言いつけてやるー!」


シオンはため息をつきながら、画面をスクロールさせた。

「どうせ許可は取るさ。」


「むぅ……!」

ハクは頬を膨らませたが、どこか楽しそうだった。



ラボの奥、ガラスの筒が並ぶ区画。

無機質な光の中で、無数の成長カプセルが静かに泡を立てていた。


ネビアは興味津々といった様子で、カプセルの列を覗き込みながら歩いていく。

「まぁ、すごい数ですわね……この中に“人”がいるなんて、信じられませんわ。」


彼女の視線があるカプセルで止まる。

中には、まだ幼い少女が静かに目を閉じて眠っていた。

外見年齢は八歳ほど。成長途中の柔らかな顔立ちをしている。


ネビアは目を輝かせて、ガラスに手を添えた。

「この子がいいですわ!」

振り返り、ウキウキした声で言う。

「とっても可愛らしいじゃありませんの。私の人格データが入ったら、きっと楽しくおしゃべりできますわ!」


シオンはちらりと視線を向けると、淡く笑った。

だがその笑みは、どこか冷たい。

「その個体は、僕の実験に使う。ダメだ。」


「えぇ〜? ケチですわね!」

頬を膨らませるネビア。


横で聞いていたハクが、にやにやしながら口を挟んだ。

「もしかして、シオンくん……ロリコンなんじゃないの?

幼い女の子の体をこう……」


「黙れ、ハク。」

シオンの声が一瞬で低くなった。

その目は笑っていない。


「冗談はよせ。お前の趣味を世間に露呈させたいのか?」


ハクは「へいへーい、昔は可愛かったのに…」と両手を上げ、口を閉じる。

からかい半分の笑みを浮かべながらも、目だけはシオンを慎重に見ていた。


「……実際、この個体は実験に使うんだ。それ以下でも、それ以上でもない。」

淡々とそう言いながら、シオンはカプセルの端末を操作した。

青い光が少女——“ジス”のカプセルを照らし、モニター上に複雑なデータが流れ始める。


ラボの片隅、端末の電子音が響く中で、ハクが伸びをしながらネビアに話しかけた。

「ねぇネビア、次の任務なんだけどさー……山で人探しなんだよねー。めんどうだなー。」


ネビアは紅茶を注ぎながら、眉をひそめた。

「ハクさん、そんなこと言わないでくださいませ。働きましょう。賃金はいただいているのでしょう?」


「意外と真面目なんだねぇ、ネビアは。」

ハクは軽口を叩きながらも、机に突っ伏すようにして大きく息を吐く。

「でもさぁ、だるいんだもん。どうせ敵がいるわけでもないでしょー?」


ネビアはため息をつき、紅茶を置いた。

「ハクさん、ちゃんと報告書を読んでいませんの?

先に依頼を受けた傭兵部隊の方々、全員亡くなって見つかったそうですよ。」


「……え?」

ハクの顔が一瞬で引き締まった。


次の瞬間、ハクは立ち上がり、あたふたと装備をかき集めはじめる。

「やばいやばい、準備しなきゃ! えっと、ラン姉は次いつ戻るの!?」


ネビアは少し呆れたように肩をすくめて答える。

「二週間後ですわ。」


「マジかー! もう行くしかないじゃん!」

言い残すと、ハクはバタバタとラボを飛び出していった。


その足音が遠ざかっていくのを聞きながら、シオンは静かにため息をついた。

端末の光が彼の顔を照らし、ぼそりと小さく呟く。


「……うるさい。」


ハクの足音が完全に消え、研究室には静寂が戻った。

わずかに鳴る機器の駆動音と、モニターの明滅だけが空間を支配している。


シオンは無言のまま、再び端末に視線を戻した。

指先が画面を滑るたび、並ぶ成長カプセルの一つがゆっくりと照明に照らされる。

淡い緑光が、透明なカプセルの内側に眠る少女の輪郭を浮かび上がらせた。


――ジス。


白い呼気がガラス面に淡く曇り、内部の彼女の穏やかな寝顔がぼやける。

シオンはその手を静かにガラスへと添えた。


「……君は。」


まるで誰かに聞かせるようでもなく、

自分に言い聞かせるようでもなく、

ただ心の奥底に沈む“記憶”が、言葉として零れた。


幼い頃の面影。

もう二度と戻らない過去。

“ティナ”という名を胸に抱いたまま、

シオンはわずかに目を細めた。


「失ったままではいられない……」


端末の光がその瞳に映り込み、冷たくも狂気を帯びたように煌めく。


彼は指先でカプセルのロックデータを確認し、

まるで恋人に触れるように微かに笑んだ。


「もうすぐだよ、ティナ――」


研究室の静けさの中、

機械の低い唸りだけが、彼の呟きを飲み込んでいった。




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