64、冷めても美味しい
ルビーは、買ってきてもらった食材をテーブルにずらりと並べ、胸を張って宣言した。
「さあ!今日はですね――得意のクラシックショコラを作っちゃいます!」
その目は真剣そのもので、まるで戦場に向かう兵士のような気迫。
ラファとシーが顔を見合わせている間に、ルビーは鼻歌まじりにホワイトボードを取り出し、チョコレートの種類から湯煎の温度管理、カカオ含有率の違いによる風味の変化まで、熱弁をふるい始めた。
「ここで重要なのは!混ぜるタイミングと“空気の抱き込み方”なんです!普通のガトーショコラと違って――」
その横で、シーが小さくあくびをかみ殺す。
「……ラファ、これ、いつ試食できるの?」と目で訴える。
ラファは苦笑しながら、「もうちょっと我慢しよう、たぶんクライマックスが近い」と小声で返す。
ようやく自分の熱弁に気づいたルビーは、頬を赤らめながら笑った。
「ははっ、ちょっと脱線しちゃいましたね。えーっと、とにかく食べたらわかりますから!」
そう言って、袖をまくり上げると、勢いよくボウルにチョコを割り入れ、泡立て器を握った。
――その表情は、どこか誇らしげで、ほんの少しだけ、少女らしかった。
ラファとシーは、ルビーの動きを見守りながら感心していた。
ボウルを支える手も、泡立て器を回す手も無駄がなく、テンポよく材料が混ざっていく。
「すごいねルビーちゃん。手際いいし、慣れてるんだね」
とラファが素直に褒めると、ルビーは照れ笑いを浮かべながら、
「えへへ、昔からお菓子作り好きなんです。お父さん、甘いもの好きだから。」
と答えた。
シーは、チョコがとろけていく様子を見ながら腕を組む。
「へぇ〜、私もそんな風に作れたらなぁ。料理とかほとんどしないからさ。ねぇルビー、今度私にも教えてよ?」
するとルビーは、いたずらっぽく口角を上げ、にやり。
「え〜、シー先輩……アモンさんに何か作りたいんですか?」
その一言に、シーは「な、ななな、なに言ってるのルビーちゃんっ!?」と慌てて真っ赤に。
ラファは手で口を押え、笑いをこらえきれない。
「な、なんでそうなるの!? ただ料理教わりたいだけでしょ!」
「へぇ〜?じゃあ“たまたま”アモンさんの好きな味を聞いたりとか、そういうのはしないんですか?」
「しない!しませんっ!」
ルビーはわざとらしく肩をすくめ、
「じゃあ、チョコじゃなくて辛口カレーでも教えますね」
といたずらっぽく笑った。
その場には、笑い声と甘いチョコの香りが混じり、
束の間――警備部の日常とは思えないほど、穏やかな時間が流れていた。
焼き上がったクラシックショコラは、オーブンの扉を開けた瞬間にふわりと甘い香りを放った。
チョコとバターが混じり合った濃厚な香りに、シーが思わず鼻をくんくんと鳴らす。
「うわぁ〜! カフェみたいな匂いする!」
「上出来だね、ルビーちゃん」
ラファが感心して言うと、ルビーは得意げに胸を張る。
「ふっふっふ、当然です。クラシックショコラはね、シンプルだからこそ――」
「はいはい、また説明モード入った」とシーが笑いながら遮る。
「食べよ食べよ! 警備部のみんなで!」
「それいいね!」とラファも賛同する。
ルビーは満面の笑みでうなずくと、
「じゃあ、オフィスに持っていきましょー!」と声を弾ませた。
まだ湯気の立つケーキを慎重にトレイに乗せて、三人は並んで廊下を歩く。
香ばしいチョコの香りが漂い、通りすがる職員たちが次々と振り返った。
「ねぇあの匂いなに?」「甘い……チョコ?」
そんな声が後ろから聞こえてくる。
シーは笑って小声で言った。
「ルビーちゃん、これ武器になるよ。匂いで敵倒せるって。」
「えへへ、じゃあ甘味兵器ってことで!」
ルビーの言葉にラファも笑いながら、
「じゃあ、警備部初の“平和な出動”だね」と返した。
――そして、三人は甘い香りを引き連れて、警備部オフィスへと向かっていった。
オフィスに戻ると、チョコレートの甘い香りが一瞬で部屋を満たした。
「うわ、いい匂い!」「これ、まさか手作り!?」
あちこちから歓声が上がる。警備部のメンバーたちはぞろぞろと集まり、机の上に置かれたクラシックショコラを覗き込んだ。
「すごいなルビー!」「早く食べたい!」
そんな声に、ルビーは胸を張って得意げに笑う。
「でしょ? 今日のは自信作なんです!」
そんな中、ふと一人の警備員が首をかしげた。
「……あれ? 三つもあるけど、包丁なくない?」
言われてルビーたちも気づく。
「あっ、忘れてた!」とルビーが頭をかくと、警備員のひとりが「ちょっと取ってくる」と言って調理室へ走っていった。
数分後、彼は一本の包丁を手に戻ってくる。
「ほらルビー、包丁忘れてるよ」と笑いながら差し出したその瞬間――
ロジャーが素早く、反射的にその包丁を奪い取った。
「ッ!?」
空気が一瞬止まる。
ロジャーの動きはあまりに速く、周囲は息を呑んだ。
その刹那、ルビーの瞳が虚ろになり、表情がすっと消える。
無表情のまま、まるで別人のような声で、静かに呟いた。
「私を爆死させたいの?……やめときなさい」
その声には温度がなく、どこか底の見えない冷たさがあった。
数秒後、ぱちりと瞬きをしてルビーが戻る。
「あ、あれ……?」
自分でも何が起きたのか分からないといった顔で、視線を泳がせる。
ロジャーは包丁を握ったまま固まり、誰も言葉を発せなかった。
空気が張り詰めたまま、ただチョコの甘い香りだけが重たく漂っている。
やがてルビーは震える手を見つめ、うつむいた。
「……また、勝手に……スカーレットが……」
唇を噛みしめ、俯いたその背中は小さく、痛々しいほどだった。
ラファとシーがそっと顔を見合わせる。
ラファが優しく声をかけようとするも、ルビーはかすかに首を振った。
彼女はそのまま椅子に座り込み、膝の上で手を組み、深く俯いた。
――ショコラの甘い香りの中に、ほんのりとした苦味が混じった。
ルビーは警備部の隅の椅子に座り込み、膝を抱えたまま小さく震えていた。
泣いているのか、呼吸を整えようとしているのか、自分でもわからなかった。
先ほどまで笑い声で満たされていたオフィスは、いつの間にか静まり返っている。
ロジャーは、ラファに包丁を渡しながら静かに言った。
「切り分け、頼む」
ラファは何も言わず、うなずいて包丁を受け取った。
ロジャーは娘のほうへ歩いていく。
そっと背後から手を伸ばし、ルビーの肩に手を置いた。
「……お前が作ったクラシックショコラ、いい匂いだな。オフィス中が甘い香りでいっぱいだ」
ルビーは顔を上げない。
ただ、小さく鼻をすすって、肩だけがかすかに震えた。
ロジャーは、あくまで穏やかに、少し柔らかい声で続けた。
「お菓子作り、母さんを思い出すよ」
その言葉に、ルビーの瞳がかすかに動いた。
「結婚する前にな、よく母さんとケーキを作ったんだ。最初の頃は、砂糖と塩を間違えてさ。あのときの顔、今でも覚えてるよ。眉を八の字にして、もう泣きそうになってた」
ロジャーは少し笑ってみせた。
「それでも、次の日にはまた台所に立ってた。あの人、失敗しても諦めなかったんだ。……お前も、似てるよ」
ルビーはゆっくりと顔を上げる。
目元は涙で濡れていたが、どこか懐かしさに包まれたような表情だった。
「……お母さんも、チョコのお菓子作ってました?」
「ああ。よく作ってた。クラシックショコラも、ガトーショコラもな。お前が小さいころ、手にチョコまみれになって笑ってたの、覚えてるか?」
ルビーは、少し考えてから、
「……なんか、覚えてるような気がします」と呟いた。
ロジャーは優しく頷き、ルビーの頭をそっと撫でる。
「大丈夫だ、ルビー。スカーレットのことも、少しずつ慣れていけばいい。今は無理に笑わなくていい。……でもな、お前が作ったケーキ、みんな楽しみにしてるんだ」
ルビーは小さく笑った。
「……じゃあ、お父さんもちゃんと食べてくださいね」
ロジャーは軽く目を細め、
「もちろんだ」と答えた。
少しずつ、ルビーの肩の力が抜けていく。
その横で、クラシックショコラの甘い香りだけが、静かに二人を包んでいた。
ロジャーは、泣きじゃくるルビーの姿を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「……そういえばさ、昔もあったな」
ルビーは顔を上げる。涙で濡れたまつげが光っていた。
「お前がまだ小学生の頃、飼ってた子犬……モカが逃げ出したって言って、泣いてた日があった」
その名前を聞いた瞬間、ルビーの表情に懐かしさが滲んだ。
「……モカ。懐かしいな」
ロジャーは静かに続ける。
「お前、あのとき本当に泣き続けてたな。ご飯も食べないで、子ども部屋の隅でずっと膝を抱えてた」
「俺も、お母さんもどうしていいかわからなかった」
ルビーは俯いたまま、微かに笑った。
「……だって、本当に大事だったんだもん」
ロジャーは頷き、遠くを見るように目を細めた。
「結局、モカは戻ってこなかった。あの夜は家中、静まり返ってた」
少し間を置いて、穏やかな声で続ける。
「でも次の日の朝には……“探してくる”って、お前、自分で立ち上がってたんだ」
その言葉に、ルビーは目を見開いた。
「……そんなこと、言ってました?」
「あぁ。寝癖のまま、顔ぐしゃぐしゃでな。外に出ようとして俺に止められた。
『大丈夫、モカは待ってるから』って笑ってたんだ。あの時の顔、今でも覚えてる」
ロジャーは優しくルビーの肩を叩く。
「だから、今回も同じさ。泣いて、落ち込んで、それでも最後はちゃんと立ち上がれる。
お前はそういう子だ、ルビー」
ルビーは唇を噛みしめていたが、やがて少しだけ笑顔を見せた。
「……立ち上がれるかな、また」
「立ち上がれるさ」
ロジャーは穏やかに言った。
「だってお前は、俺の娘だからな」




