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61、父と娘

精神科の病棟の一室は、昼間の喧騒から隔絶されたように静かだった。白い蛍光灯の光が規則正しく床を照らし、ベッドにぐるぐる巻かれた少女の周囲だけが、どこか現実から浮いたように見える。


ルビーは、身体を縛る拘束具に固く巻かれ、ベッドの上で小さく震えていた。瞳は針のように細く、怯えた子どもそのものを映している。


モニターの向こう側。遠隔カメラの映像がゆらりと揺れ、そこに映るルビーを見つめる二人の顔が交互に映し出される。画面左には、冷静で精神科の女医も兼任している──エウ。右には、荒い髪を押さえつけるようにして画面越しに拳を握るロジャーの顔があった。


「──ルビーは、今回の襲撃に関与していた可能性が高い。入手した映像にも彼女の姿が確認されているし、被害者の供述も一致しています」

エウの声は淡々としているが、端的で厳しい。彼女はライトボーンの警備と医療の間で、常に慎重さを求められる立場にいる。


「いや、違うんだ。ルビーはスカーレットじゃない。あの子は巻き込まれただけだ」

ロジャーの声は予想以上に震えていた。画面に手を伸ばしたくなるほど、父親の焦燥がにじんでいる。看護師たちの報告、現場の断片、すべてを飲み込んで、彼は言葉を重ねた。

「一度でいい、俺に話させてくれ。父さんの声を聞けば、戻ってきてくれるはずだ。」


エウはロジャーの顔を長く見つめ、その慎重さと現状の危険を秤にかける。目の前の少女が「治療」か「隔離」か、どちらを必要としているのか、彼女には確固たる判断が求められていた。やがて、静かにエウは携帯端末を手に取る。通信先は──アモンだった。


通話は直ぐに繋がる。アモンの声は画面のこちら側でも分かるほど落ち着いていた。エウが事の経緯と現状を手短に説明する。アモンは言葉を遮るように、先日の襲撃の詳細を既に把握している素振りで頷いた。


「わかった。条件を出す」

アモンの返答は即断的だった。彼の声には執務者としての冷徹さが滲む。


エウは息を呑む。ロジャーの顔に希望の色が差すが、次に告げられる言葉でその表情はすぐに引き締まった。


「一つ。危険対策として首に小型爆弾と、電流を流すチョーカーを装着すること。万が一の暴発や突発的行動に備えるためだ。

 二つ。ロジャー、君と警備部の者たちが監督下に入れるよう、ルビーを警備部の“仮隊員”として一時的に奉仕させること。これは活動範囲を限定しつつ、人手が必要な場面で動けるようにするためだ。

 三つ。武器の携帯を一切禁じること。これは言うまでもなく、事故を避けるためだ。」


その三つの条件は、どれも冷たく無慈悲に響いた。父の胸は張り裂けそうになる。だがロジャーは震える声で、しかし確かな決意を込めて言った。


「──飲みます。どんな条件でも飲む。ルビーを、俺が守る。」


画面の向こうで、アモンはしばらく沈黙した。やがて、かすかなため息とともに、彼の口から零れた言葉は、予想よりも温度を含んでいた。


「分かった。だが、約束してくれ。ルビーを守るのは君の仕事だ。君が止められない時は、俺たちが介入する。スカーレットが現れても、君が何度でも止めると──それを信じよう。」


ロジャーは力強く頷いた。画面越しに見える自分の娘を、父親の眼差しでしっかりと見下ろす。その瞳には、恐れより先に一つの覚悟が灯っていた。


通信が切れると、病室の空気がほんの少しだけ冷たくなったように感じられた。拘束されたルビーは、誰にも気づかれないほどかすかに目を閉じ、唇を噛んだ。まるで、何かを飲み込むように。


ロジャーは手を胸に当て、静かに呟いた。

「何があっても、何度でも……必ず助ける。」


その言葉だけが、白い部屋に残っていった。


隔離室の重い扉が、

ガチャン――という金属音を立てて開いた。


長く閉ざされていたその空間に、

冷たい空気とともにロジャーの息が流れ込む。


「……ルビー!」


彼は迷いもなく部屋に駆け込んだ。

病院のスタッフが止める間もなく、

ベッドの上で拘束された娘のもとへ一直線に。


ルビーの身体を覆う拘束具は、

まるで人間を“安全な標本”として閉じ込める檻のようだった。

彼は震える手で金具を外していく。

一つ外すたびに、

彼女の細い腕や手首に残る赤い痕があらわになっていく。


「もう大丈夫だ、ルビー。

 父さんが来た。怖い夢はもう終わったんだ。」


ロジャーの声は、

いつもよりもずっと柔らかく、懐かしい音をしていた。

まるで過去の穏やかな家庭の記憶を、

その声だけで取り戻そうとしているようだった。


ルビーの唇が震え、瞳がにじむ。

「……お父さん……」

その一言が、彼女の中に積もった数年の孤独を一気に溶かしていくのだろう。


拘束が解かれると、ルビーは糸の切れた人形のように、

ロジャーの胸に飛び込んだ。

その瞬間、抑えていた感情が溢れ出すように、

彼女の嗚咽が静かな病室を満たした。


「お父さん……ごめんなさい……ごめんなさい……!」


ルビーは泣きながら、

とぎれとぎれに言葉を紡いだ。


「スカーレットが……お母さんを殺したの……

 あの時、怖くて……逃げるしかできなかった。

 どこにも行けなくて……あの組織に拾われて……

 利用されているって分かってたけど……

 何も、できなかったの……」


ロジャーの腕の中で、彼女の肩は小刻みに震えていた。

その震えは、恐怖でも後悔でもなく──

ようやく“父の前で泣ける”という安堵に近かった。


「人格が……入れ替わるたびに、

 私は、ただ見ていることしかできなかったの。

 スカーレットが誰かを傷つけても、

 止めたくても、声が出なかった……

 止められなかったの……ごめんなさい……」


ロジャーはその髪を撫でながら、

何も言わず、ただ静かに抱きしめた。

彼の目尻も、涙で赤く濡れている。


「いいんだ……もういいんだ、ルビー。

 生きててくれた、それだけで十分だ。」


その言葉に、ルビーはさらに泣きじゃくり、

小さな子どものように彼の胸に顔を埋めた。


涙で滲んだ病室の灯りが、

二人の影を長く伸ばしていく。

その影は、

壊れた家族の輪郭を、ほんの少しだけ取り戻しているように見えた。


ロジャーはルビーの頭を撫で、少し落ち着かせてから、

ゆっくりと息を吸い込んだ。


「……ルビー。ひとつ、話さなきゃいけないことがある。」


その声音に、彼女の肩がわずかに強張る。

ロジャーは娘を安心させるように、

その手をそっと包み込んだ。


「お前をここから出すために、俺は上と掛け合った。

 だが、そのために――いくつかの条件がある。」


ルビーは父の目を見つめた。

その瞳は、かつて見た優しさのまま、

しかしその奥にある覚悟の光が違っていた。


「……条件?」


「そうだ。アモンから出された。

 一つは、お前の首に小型爆弾と、電気式のチョーカーを装着すること。

 二つ目は、俺たち警備部で一時的に働くこと。

 三つ目は、どんな状況でも武器を持たないことだ。」


ルビーはその言葉を聞くたびに、

目を見開き、手をぎゅっと握り締めた。


「……そんな……」


「分かってる。酷な話だ。

 だけど――そうでもしなきゃ、お前を外に出せないんだ。」


ロジャーの声は静かだった。

しかしその目には、鋼のような決意が宿っていた。


「……もし、スカーレットが出てきたら?」

ルビーの問いは震えていた。


ロジャーは一瞬、彼女の目を見つめ、

まるでその先にいる“もうひとりの娘”まで見据えるように、

深く、静かに答えた。


「その時は――父さんが、絶対に止める。

 何度でもだ。」


その言葉には、怒りでも悲しみでもない、

**強い“愛の誓い”**が滲んでいた。

ルビーは唇を噛み、

視線を落としたまま、震える声で呟いた。


「……本当に、止められるかな。

 スカーレット、あの子は強いよ。

 私なんて、いつも見てることしかできなくて……」


ロジャーは、彼女の手をそっと持ち上げた。

「いいや。父さんはお前を信じてる。

 ルビー、お前はもう“ただ見ている”だけの子じゃない。

 自分で選んで生きていける。

 だから……一緒に戻ろう。」


ルビーは迷いの中で、父の言葉を噛み締め、

やがて小さく、しかし確かに頷いた。


「……分かった。やってみる。」


ロジャーは安堵の笑みを浮かべ、

娘をもう一度抱きしめた。


その瞬間――

隔離室の外、分厚い防弾ガラス越しの廊下で、

エウが無言でその光景を見つめていた。


腕を組み、表情にはわずかな緊張と複雑な感情が浮かぶ。

彼女は職務上、判断を誤ることはできない。

だが、それでも――

父と娘の抱擁を目にした彼女の瞳には、

ほんの一瞬、人としての温かさが揺らいでいた。


「……頼むわよ、ロジャー。」

小さく呟くその声は、

ガラス越しの静寂に、かすかに溶けていった。


後日。


医療棟の白い廊下を抜けた先、

観察用の小部屋でルビーは、

首元に冷たい金属の輪――チョーカーをつけられていた。

小さな赤いランプが、微かに点滅を繰り返している。


その様子を見つめながら、

ロジャーは胸の奥がざわめくのを抑えきれなかった。


「……苦しくないか?」


低く、穏やかに声をかける。


するとルビーは、

ちょこんと椅子の上に座ったまま、

わざと大げさに首を両手で掴んでみせた。


「ううっ、くるしいい~っ……! がくっ!」


舌を出して、椅子からずり落ちるふり。

その芝居がかった様子に、ロジャーが思わず吹き出す。


「お前なぁ……」


「だって~、怖い顔してるから。

 父さんがそんな顔してたら、こっちまで不安になるよ?」


ルビーは舌をぺろりと出し、

くるくると指先でチョーカーを回して見せる。


「ほら、意外と似合うでしょ?

 最新のアクセサリーってことで!」


ロジャーは苦笑しながらも、

胸の奥で小さな安堵を感じていた。

この無邪気な調子――それこそが、

かつての娘そのものだったからだ。


部屋の外では、観察窓越しにエウがその様子を見ていた。

彼女は腕を組んだまま、小さく息を吐く。


「……ふざけてるように見えても、

 あれがきっと、彼女の“素”なんでしょうね。」


ルビーが笑っている姿は、

どこにでもいる年頃の少女のようだった。

病棟の冷たい空気の中で、

その笑い声だけが、不思議と柔らかく響いていた。


警備部の装備課。

整然と並ぶロッカーの列の中、

ルビーの前には、黒とグレーを基調にした制服が丁寧にたたまれて置かれていた。

肩章には警備部の紋章が刺繍されている。


「わぁ……思ったよりカッコいい!」


ルビーは目を輝かせながら、

制服を持ち上げてくるりと広げた。

生地の匂い、金具の音。

どこか緊張したように、それを胸に当ててみる。


横で見ていたロジャーが苦笑しながら、

「サイズ、きつくないか?」と声をかける。


ルビーは制服を鏡にかざしながら、

にやりと笑った。


「ん~、いい感じ!

 でもさぁ……これって、父さんとペアルックみたいだね!」


そう言って肩をすくめるルビー。

言葉の端に、年頃の女の子らしい照れと冗談が混じっていた。


ロジャーは少しむずがゆそうに頭を掻きながら、

「まぁ、部隊服だからな」と苦笑する。


そのやりとりを後ろで見ていたエウが、

書類を片手にふっと笑い、声をかけた。


「警備部全員おそろいよ。

 お父さんとペアルックってわけじゃないから、

 そこまで気にしなくていいわ。」


「え~、そうなの? せっかくちょっと恥ずかしがってみたのに!」


ルビーはそう言って肩をすくめ、

制服をぱんっと軽くはたいて袖を通す。

すぐに、あっけらかんとした笑顔を浮かべた。


「ま、いっか! せっかくだしカッコよく着こなしてやるんだから!」


その明るさに、エウとロジャーは

ほんの一瞬、同じように小さく笑い合った。

その笑顔だけがやけに“普通”で、温かかった。


ロッカールームの扉が開くと、

金属のロッカーがずらりと並び、

新品の制服を詰めたダンボール箱がいくつも積まれていた。

どこか油と洗剤の混じった匂いが漂っている。


案内役の警備員が軽く敬礼して出ていくと、

ルビーはその空間をきょろきょろと見回した。


「へぇ〜、けっこう綺麗なんだね。

 もっと汗くさいとこ想像してたのに!」


「訓練後はそうなるさ」と、ロジャーが苦笑まじりに返す。


制服を受け取ったルビーは、

ロッカーの扉を開けて荷物を置きながら、

ちらりとロジャーを振り返る。


「……ねぇ父さん、着替えるから出てって。」


「……あ、あぁ、そうか。」

ロジャーはわずかにたじろぎ、

頭を掻きながら後ずさった。


「くれぐれも武器は持つなよ、いいな?」


「わかってるってば!」


ルビーは片手をひらひらさせながら、

明るい声で答える。

その声には、ほんの少しだけ“普通の女の子”らしい響きがあった。


ロジャーが扉を閉めて出ていくと、

ルビーは制服を手に取り、

鏡の前でくるりと一回転した。


「……ふふ、似合うかな。

 スカーレットには負けないんだから。」


そう小さくつぶやき、

彼女は制服のボタンをひとつずつ留めていった。

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