58、クローゼット
照明を落とした部屋。
外では暴動後の復旧工事の音がまだ遠くで響いている。
ベッドの上、薄い毛布にくるまっていたティアンが、
こちらを見上げながら欠伸をした。
「……ラファちゃん、顔がこわいよ」
「え? ……そう見える?」
「うん。なんか、“考えすぎてる顔”。」
ティアンは、ハクとは似ても似つかない柔らかな表情をしていた。
感情の出方が妙に人間くさい。
それが、彼女を匿おうと決めた理由でもある。
ラファはカップの中の冷めた紅茶を揺らしながら言った。
「今日、チェイサーと訓練したんだ」
「へぇ~、負けたの?」
「……まあ、瞬殺だったね」
ティアンがくすっと笑う。
「そっか。あの人、強そうだもんね。でも優しいんでしょ?」
「優しい……のかな。
あの人、何考えてるのか分からないんだ。
でも、どこかで見たことがあるような、そんな感じがするの」
ラファは、机の上に置かれた父の形見のハンドガンをちらりと見た。
ティアンの瞳がその動きを追う。
「その銃、ラファちゃんの宝物?」
「……うん。父の形見。
「父さんがロジャーさんに預けてたの貰ったんだ」
「ふぅん……」
ティアンは毛布の中で小さく身を起こし、
両手で自分のこめかみをトントンと叩いた。
「ねえ、私、“盗用”できるからさ。
気になるなら、あの人の“目”をちょっと借りてみる?」
「……やめておこう。今はまだ、怖い」
「怖いの?」
「うん。……見ちゃったら、戻れない気がするから」
ティアンはしばらく黙っていたが、やがて笑った。
「ラファちゃん、ほんと人間だね」
「どういう意味?」
「怖いって言葉、ちゃんと使えるんだもん。
ハクの“輪”の中には、そんな感情、なかったよ」
そう言って、ティアンはラファの膝に頭を預けた。
軽い、けれど確かに温かい重み。
ラファは小さく息をついて、その髪を撫でる。
「ティアン。……いつか、全部話してね。
君が何を“見た”のか、あの夜の続き」
「うん。でもその前に、ラファちゃんの“怖い話”も聞かせてね」
「……怖い話?」
「うん。心の奥に隠してるやつ。」
静寂。
時計の針がひとつ音を刻む。
ラファは答えないまま、
ただ、そっとティアンの頭を撫で続けた。
外では、再び遠くで金属が崩れる音が響いた。
その音はどこかで聞いた銃声にも似ていた。
コンコン——と軽いノックのあと、返事を待つ間もなくドアが開く。
「やっほー! ラファ女子会しよ! 女子会っ!」
「ちょ、ちょっとシー!? また勝手に入ってきた!」
「いーじゃんいーじゃん、どうせ暇でしょ?」
シーは満面の笑みで袋を掲げた。
「お菓子とケーキ持ってきたよ〜、今日はチーズ系ね!」
——いつものことだ。
もう彼女の中で「ラファの部屋=立ち寄り自由」らしい。
ラファが呆れ顔をする横で、
ティアンは足音も立てずにスッ……と扉の隙間へ滑り込み、クローゼットの中に影のように身を潜める。
(……ごめんティアン、今は出てこないで……!)
ラファは心の中で叫んだ。
シーは遠慮なくソファに座り、
ケーキを広げながらおしゃべりモードに突入。
「でさー、今日の訓練どうだったの?
チェイサー隊長と手合わせしたんでしょ?」
「う、うん……まあ……ちょっと、ね」
「ちょっと? どのくらい?」
「……三秒で負けた」
「はやっ!? それ戦闘って言わないでしょ!?」
シーは爆笑しながらフォークを構える。
「でもさー、あの人の動き、やっぱすごいよねぇ。無駄がないっていうか……」
「うん、ほんとに……」
「てかフルフェイスの下、絶対イケメンだと思うんだよね!イケおじだと思う!」
「……え?」
「いや、だってあのシルエット! 背も高いし声低いし! あれで中身までおじさんだったら泣くわ!」
「動きの速いおじさんウケる……」
ラファは曖昧な笑みを浮かべた。
その瞬間——
――ぐぅぅぅぅぅぅぅ。
部屋に響く、控えめだが確実なお腹の音。
「……」
「……」
シー「今の、ラファ?」
ラファ「そ、そう! あ、あたし! お腹すいてたの忘れてた! えへへ!」
シー「タイミング完璧か!」
慌ててケーキを掴み、
「ほ、ほらっ、いただきまーす!」と勢いで頬張るラファ。
クローゼットの中では、ティアンが両手で自分の腹を押さえ、真っ赤になっていた。
「でね、アモンさんは?
最近どうなの?」
「……アモンくんっ?」
「うん。なんか、こないだの演説のとき、
ちょっとカッコよくなかった?」
「え? ラファも好きなの?」
「いや、ぜんぜん!」
ラファはフォークを止めて、
「シー……アモンさんのどこが好きなの?」と真顔で聞いた。
「優しいし、頼れるし、顔がいい」
「……最後が一番本音だよね」
「まあね!」と満面の笑みで返すシー。
ラファは呆れつつも、
(……こんなこと、ティアンが聞いてたらどう思うかな)と、
チラリとクローゼットの方を見やった。
中では、ティアンが小声でつぶやいていた。
「アモンって……そんな人気あるんだ……へぇ……」
ラファ(ティアン…中でアモンはマッドサイエンティストだもんね…)
「アモンくん!アモンくん!!」
シーが叫びながら、ソファに置いてあったクッションに顔を埋めてゴロゴロ転がる。
「なんであんなにかっこいいの〜!? あの時のあの仕草〜!!」
「ちょ、シー、うるさ……!」
「アモンくんっ、私ここにいるのよぉ〜!!」
両手でクッションを抱きしめ、ベッドの上を転げ回るシー。
(この人……もはや暴走列車だ……)
ラファがため息をついた瞬間、
ドンッ!!
「わぁっ!?」
バタバタしていたシーが足を滑らせ、床に転がりながらクローゼットの方へ勢いよく転がっていった。
そのまま——
ガンッ!!
「いったぁ!!!」
鈍い音と共に、クローゼットの扉に思い切り蹴りを入れていた。
バキッ、と嫌な音。
……見事に、靴の先が扉に穴を開けていた。
「ご、ごめんごめん!! やっちゃったぁ!!」
慌てて扉をさするシー。
「し、シー!? な、何してんの!!」
ラファが青ざめて駆け寄る。
その穴の向こうから——
「……いったぁぁ……」
聞き覚えのある少女の声が漏れた。
「!?」
ラファの顔が一瞬で引きつる。
(やばい!ティアン!!)
シーは不思議そうに首を傾げた。
「……今、誰か喋った?」
「い、いや!? 私の、腹話術! ほら! 最近の趣味!」
「腹話術!?」
「そうそう! クローゼットの扉の声的なー!」
ラファの苦しすぎる言い訳。
だがシーは案外、納得していた。
「へぇ〜! ラファ、そういう特技あったんだ!」
「……う、うん……(助かった……)」
ティアンの方では、穴越しに小声で囁き声が。
「ラファちゃん……あの子、すごいパワーだね……」
「……うん。ごめん。女子会、戦場だからね」
シーは気づかず、またソファに戻ってクッションを抱きしめる。
「はぁ〜……アモンくん……」
「……お願いだからもう転がらないで」
空気がちょっと気まずくなったところで、シーは急に手を叩いた。
「そうだ! ラファ、今度のカーニバル行こうよ!!」
「カーニバル?」
「そうそう、あの——“勝利祭”!」
シーの目がきらきら輝いていた。
「昔、この国が抗争に勝ったとき、みんなが広場で踊ったのが始まりなんだって! 身分とか関係なく仮面をつけて、同じ場所で笑える日。今でもその名残で“仮面着用”がルールなんだよ!」
手をばたばた動かしながら、まるでプレゼンのように熱弁するシー。
「屋台もたくさん出るし! あの焼き串とか、砂糖の花とか! 夜には大きな花火も上がるんだよ!」
「へえ、すごいね……」
「だからさ、ラファも行こう! 二人で仮面つけて! 女子の仮面チョイス対決!」
「……それ、絶対あんた勝つじゃん」
「そりゃあ当然!」と胸を張るシー。
「で、本当は誰を誘いたいの?」
「え?」
「アモンさんでしょ?」
「っっ!!?」
顔が真っ赤になるシー。
「ち、ちがうし!? そ、そんなつもり——!」
「いやいや、そんなつもり“だけ”でしょ」
「ラファまでいじわる言う! もうっ!」
頬をふくらませながら、シーはバッグを掴んだ。
「……じゃ、今日はもう帰るね」
ラファが扉まで見送ると、シーはくるりと振り返り、
ニシシとイタズラっぽく笑った。
「ラファー。クローゼットの中の、恥ずかしがり屋さんの友達も、カーニバル誘っていいからね〜!」
バタン、と扉が閉まる。
静寂の中、クローゼットの中から小さな声がした。
「……あの人、こわい」
ラファは深いため息をついて、笑いながら返した。
「慣れるよ。あれで優しいんだから」
部屋にはようやく静寂が戻った。
——と、同時にクローゼットの中から、
バタンッと扉が開く音。
「……はぁ〜、もう限界。」
ティアンがふらふらと顔を出した。
ラファは慌てて手を貸す。
「ごめん、ごめんねティアン! あの人ほんとにいつも突然だから……」
「ううん。
……でも、クローゼットの中で聞く“女子会”はちょっと過酷だったけどね」
ラファは苦笑しながら、机の上に残ったケーキの皿をティアンの前に置いた。
「これ、残ってた。お腹、鳴ってたでしょ」
ティアンは一瞬ためらったが、
「……いただきます」
と、スプーンを手に取る。
甘いクリームを口に運んだ瞬間、
ぱぁっと表情が緩んだ。
「……おいしい……。
こういう味、なんだか懐かしい感じがする」
ラファは少し首を傾げる。
「懐かしい? もしかして、元になった子の記憶とか?」
ティアンはスプーンを止めて、静かに目を伏せた。
「……ううん、わからない。
でも、あの子——ティアンって呼ばれてた子、
多分“誰かに優しくされる感覚”を覚えてたんだと思う」
ラファはその言葉に少し胸を詰まらせる。
そして小さく笑って言った。
「そっか。じゃあ、少なくとも今、優しくしてるのは私だから。
……このケーキは“今のティアン”の思い出にしとこ」
ティアンの瞳が少しだけ揺れた。
「……ありがとう、ラファちゃん」
二人の間に、柔らかい空気が流れる。




