57、黒塗りのフルフェイス
暴動から数日後。
補修作業の合間、ラファは警備部員たちに話を聞き歩いていた。
目的はただひとつ――「チェイサー」という男の正体を知ること。
◆エウの場合
白衣姿で工具を片手に、エウは苦笑しながら言った。
「チェイサーさん? うーん……あの人、年齢のわりに何も知らないっていうか、なんというか。」
「……知らない?」
「うん。冗談抜きで、食べ物の味とか、季節の花の名前とか、そういう“当たり前のこと”を質問してくるんだよ。」
「まるで……最近になって生まれたみたいな?」
「そこまでとは言わないけど。
もしかしたら――本当に……箱入りのおぼっちゃまなのかも…」
◆シーの場合
廊下の端でホウキを抱えたシーは、ため息をつきながら肩をすくめた。
「チェイサーさんってさ、ほんと謎多いよね。
私が見るときは、だいたい二択。」
「二択?」
「バイク磨いてるか、アモン君の隣に立ってるか。」
「……他には?」
「ない!」
「ないんだ……」
「うん。寝てるとこも食べてるとこも見たことないし。あれでちゃんと生きてんの?」
「それは……私も知りたい。」
二人は顔を見合わせて笑った。けれど、どこかひっかかるような笑いだった。
◆一般職員の話
休憩スペースの隅で、若い男性職員がコーヒーをすすりながら話す。
「いやぁ、あの人マジでやばいっすよ。
前の暴動のとき、あの人ひとりで十人相手にして勝ったって聞いた。」
「……十人?」
「そうそう。で、俺、聞いたんですよ。『どこでそんな訓練したんですか?』って。」
「それで?」
「“悪いな過去の話は嫌いだ”ってさ。笑いもせずに。
なんか、背中に氷つく感じでさ……もう二度と聞けねぇっす。」
⸻
◆別の職員・整備担当
「チェイサーの義手、あれ俺がメンテしてんだよ。
……正直言って、軍用のギアモード。
でも本人に聞いても“ただの拾い物だ”の一点張り。
拾い物であんな仕上がりあるかっての。」
皆の話を聞くたびに、ラファの胸の奥に奇妙な違和感が膨らんでいく。
その夜、ラファは屋上に出る。
風の向こう、駐輪場でチェイサーが黙ってバイクのカウルを磨いていた。
月明かりに照らされたその背中は、どこか寂しげで――
まるで“時間を使う為”に動いているようだった。
翌朝。
警備部のブリーフィングルームに、ラファの姿があった。
ラファは、みんなの話を一つ一つ拾いながら、心の中で点を繋げていく。
その時、アモンの声がスピーカーから響いた。
「全隊員へ。午後から訓練場を使って自由模擬戦を行う。希望者は申請を。」
ざわめく空気の中で、ラファの目が静かに光った。
(……チャンスだ。)
チェイサーは無駄のない動作で銃の整備をしていた。
その姿を見て、ラファは胸の奥が疼いた。
まるで、亡き父がそこに立っているようで。
「チェイサー隊長!」
ラファは歩み寄り、真っすぐに告げた。
「訓練、私にも混ぜてください。」
チェイサーはヘルメットの奥でわずかに顔を向けた。
「……模擬戦か。」
「ええ。私も、もう少し強くなりたいので。」
「いいだろう。希望者は全員参加だ。
遠慮はいらん――来い。」
重い声。
低く響く金属音のような、規則正しい響き。
それを聞いた瞬間、ラファの心拍が跳ねた。
ティアンの言葉が頭をよぎる。
――彼の中に“誰かの記憶”がある。
ラファは構えた。
(確かめる。あなたが誰なのか。)
訓練用の銃が鳴り響き、衝撃が床を伝う。
チェイサーの動きは正確で、無駄が一切ない。
しかし――その立ち回り、その狙撃姿勢。
ラファの指が震える。
“不死身のスナイパー”――アル。
彼の幻影が、仮面の奥に重なって見えた。
訓練場に乾いた風が流れる。
午後の光が鉄格子を透け、白い床に格子模様を描いていた。
チェイサーは黒いフルフェイスの下、微動だにしない。
その背には大型ハンドアクスと、鎖付きの義手。
その存在だけで、空気が引き締まっていた。
ラファは一歩、床を鳴らす。
手には愛用のハンドガン。
父の形見。
――不死身のスナイパー、アルが最後まで手放さなかった銃。
その銃口を、今はチェイサーに向ける。
「……準備はいいか。」
低く、金属を擦るような声。
あの声の響きだけで、ラファの背筋が震えた。
「始めよう。」
電子音と共に訓練タイマーが作動。
空気が爆ぜた。
⸻
■激突
ラファは初弾を撃つ。
乾いた破裂音。弾丸はまっすぐチェイサーの胸を狙う――が。
次の瞬間、視界が歪んだ。
チェイサーの姿が“跳んだ”ように消える。
「っ……!」
ラファは反射的に横へ転がる。
床を滑った直後、彼女の背後で「ガンッ!」と金属の衝突音が響いた。
振り返ると、チェイサーの義手が空中を滑り、鎖が床を削っている。
そしてその義手に「追跡」が発動した瞬間――
チェイサーの全身が、疾風のように義手の位置へとワープした。
「近いっ!」
ラファは銃を連射しながら後退。
だが、弾丸がチェイサーの装甲に当たるたび、ただ火花が散るだけ。
重いアクスが唸りを上げて床を抉る。
ラファの頬を風圧が裂いた。
一撃一撃が、殺意ではなく“精密な演算”のように無駄がない。
(これが……訓練? 本気じゃないのに、速すぎる!)
ラファは焦りながらも、いつもの癖で銃を斜め上へ撃つ。
そしてその弾丸と“疾走”――
弾丸の軌跡を滑るように移動する。
チェイサーの死角に回り込み、銃口を突きつけた。
「っ……捕まえた!」
だが、彼の声は冷静だった。
「……そうか。」
次の瞬間、ラファの手首が掴まれた。
視界が一回転する。
背中が床に叩きつけられ、銃が滑り落ちた。
鎖がラファの手首を絡め取っている。
金属が冷たく、息が詰まる。
チェイサーはゆっくりと彼女の顔を覗き込んだ。
黒いバイザーの奥に、何かが光った――
まるで“悲しみ”のように。
「なぜ、そんな撃ち方をする。」
「え……?」
「その回避の仕方……“誰か”と同じだ。」
その言葉に、ラファの胸が痛んだ。
(やっぱり――見えてる。見えてるんだ、私じゃなく、“父”を。)
「……訓練、終了。」
チェイサーは短く告げ、拘束を解いた。
彼の義手が戻る音だけが、静かな訓練場に響く。
⸻
■揺れる確信
床に座り込んだラファは、ただ彼の背中を見つめていた。
仮面の男が歩き去る。
その動作の一つひとつが、母に聞いた父のそれと同じだった。
銃の扱い、足の運び。
全部――アルのもの。
(嘘……でしょ。
だって父は……死んだはずじゃ……)
脳裏に、ティアンの言葉が蘇る。
――「彼の中に、別の誰かの熱がある。」
ラファは、震える指で父のハンドガンを拾い上げた。
銃身に映る自分の顔は、涙で歪んでいる。
「……チェイサー。あなた、いったい誰なの……?」
彼女は、答えを求めるように仮面の奥を見つめた。
だが、そのバイザーは何も返さず、
ただ無機質に――光を跳ね返すだけだった。
汗が頬を伝い、肩で息をしながら訓練場を後にするラファ。
その前に、観覧デッキで見ていた警備部の面々がぞろぞろと集まってきた。
「おいラファちゃん、すげぇじゃねぇか!
チェイサー相手に一分以上持った奴、初めて見たぞ!」
「ほんとほんと! あの人、手加減しないんで有名なのに!」
ラファは苦笑しながらタオルで汗を拭った。
「……手加減、してくれてたと思うけど」
「いやいや、してたらあんな音しねぇって。
お前、最後の蹴り、床ごとひび入ってたぞ」
「え、まじで?」
「まじ。整備班が今、泣いてる」
「……後で謝っとく」
笑いがこぼれる。
それでも皆、ラファの様子にどこか感心したような目を向けていた。
エウが腕を組みながら言った。
「……あんた、あの人と真正面からやり合ったの、怖くなかったの?」
「怖かったよ」
ラファはあっさり答えた。
「でも……確認したかった。自分がどこまで通じるかって」
「ふーん……そういう顔してたね、あの時」
エウの声にはからかいが混じる。
別の隊員が笑いながら肘でつつく。
「いやいや、“確認したい”っていうより、
“あの中身を覗きたい”って顔してたぞ、ラファちゃん?」
「な、なにそれっ!?」
顔を真っ赤にして反論するラファに、
周囲からどっと笑いが起こる。
「ほら見ろ〜、図星だ〜!」
「チェイサーのフルフェイスの下が気になるとか、
新人らしくていいじゃねぇか!」
ラファは頬を膨らませてタオルで顔を隠す。
「……もう、みんなうるさい!」
エウが少し笑って、ぽんとラファの肩を叩いた。
その様子を、遠くのモニターで見ている男がいた。
アモン。
彼の指がゆっくりとモニターの縁を撫でる。
「やっぱり、似てるね……ラファちゃん。」
静かな笑みが浮かぶ。
背後では、別のスクリーンにティアンのバイタルデータが映っていた。
“Subject T-03 : active / stable / location unknown.”
アモンは軽く息をつき、呟いた。
「もう少しだけ、このままでいい。
まだ“家族ごっこ”は終わらせたくないからね。」




