55、チェイサー
煙が立ち込め、覆面の暴徒たちが患者を追い立てている。
その中へ、三人が足を踏み入れた。
アモンがフードを被る。
光学迷彩が展開し、彼の姿が空気に溶けるように消えた。
「二十秒後、右側の群れを分断する」
声だけが風の中に響いた。
その瞬間、空気を切り裂くように光が走る。
十数本の医療メスが放射状に飛び出し、暴徒たちの腕や脚の腱を正確に切断する。
誰一人殺さず、ただ「動けなくする」。
それがアモンの戦い方だった。
「……止血完了。次は左だ」
⸻
チェイサーが踏み込み、右手の義手を射出する。
「目視固定――〈追跡〉!」
金属の腕が空気を裂いて敵に突き刺さり、鎖がピンと張る。
次の瞬間、チェイサーの身体が“消えた”。
否――彼が狙った“動いている敵”へと、距離が一瞬で“詰まった”のだ。
爆風のような風圧が起こり、敵の群れが吹き飛ぶ。
「息がいい奴が多いほど俺は止まらねえ!」
笑みを浮かべ、義手を巻き取りながら敵を自分ごと引き寄せる。
近づいた瞬間、ハンドアクスが閃く。
鈍い衝撃と共に、敵の意識が闇に沈む。
⸻
一方のラファは、父譲りのハンドガンを構えていた。
「……っ!」
銃声が走る。
ラファは撃って、走る。
撃って、走る。
撃つたびに地面を蹴り、風を切るように動く。
まるで弾丸が進む方向に身体が“導かれる”ように――。
「ラファ、下がれ!」
チェイサーの声に応じ、ラファは即座に側方へ跳ぶ。
銃声と同時に移動――‘’疾走”
だがチェイサーは一瞬、目を細めた。
(……あの軌道、ただの加速じゃねぇな)
暴徒たちを制圧し終えた後も、彼の視線だけはラファの足元に残っていた。
⸻
アモンがフードを外し、無表情で告げる。
「制圧完了。負傷者の搬送を優先する。……動けるか?」
「もちろんっ」ラファが答え、ハンドガンを回転させて腰に戻す。
チェイサーはアクスを肩に担ぎ、無言でうなずいた。
三人は再び、炎と混乱の中へと歩み出す。
ラファたちが患者の避難誘導を続けている頃、
アモンとチェイサーは、薄暗い廊下を無言で進んでいた。
床には白衣の袖、焦げた機材の破片。
遠くからは金属が軋む音と、誰かの悲鳴が混ざって聞こえてくる。
「……ここから先は、書斎棟だ」
アモンが呟く。
その声と同時に、廊下の奥――天井を破って“何か”が降ってきた。
複数の人影。
どれも粗末な作業服に鉄製の仮面。
そして――口調だけは、どこか楽しげだった。
「アモン博士〜発見〜♪」
「わーい、すぐ近くで本物が見られるなんてラッキーだねぇ」
その声は、どれも“ハク”のものだった。
だがその姿は、老いた男、少年、痩せた女と、どれもバラバラ。
人格だけが“ハク”に統一された、異様な群れだった。
アモンの目が冷たく細まる。
「……人格データのコピー。ここまで再現していたか」
返事の代わりに、チェイサーが一歩前に出た。
右手の義手が、カチリと音を立てて外れる。
「目視固定――〈追跡〉」
次の瞬間、空気が裂けた。
閃光のような速さで義手が飛び、仮面の男の胸を貫く。
鎖が弾ける音とともにチェイサーの体が一瞬で間合いを詰め、
返す手でハンドアクスを叩き込む。
首が飛ぶ。
肉が弾け、床を叩く音。
それが一体目。
二体目、三体目――全て一瞬だった。
動くたびにチェイサーが“消え”、その直後に“音”だけが残る。
アモンは止めることもせず、淡々と前を歩く。
彼の足元を、死体が転がっていく。
だが四体目――
崩れ落ちる寸前の“ハク”が、血まみれの口で笑った。
「アモン……お前も……同じこと、してるくせに……」
「ひどいとか……言わないよねぇ……」
チェイサーのアクスが閃き、頭部が床を跳ねる。
沈黙が戻った。
チェイサーは血を払うようにアクスを振り、
無言でアモンの背に視線を送る。
アモンは立ち止まらず、ただ短く言った。
「……先を急ぐぞ」
その横顔は、何も感じていないように見えた。
だがチェイサーには――その瞳の奥で、
かすかに“自己嫌悪”が揺らいだのが見えた気がした。
廊下には、薬品と血と焦げた鉄の混じった匂いが漂っていた。
アモンとチェイサーがゆっくりと進み、重厚な扉の前で立ち止まる。
少し離れた影の中――ラファは息を殺して、その様子を窺っていた。
(……アモン、どうしたの?)
いつもは冷静沈着で、感情を表に出すことのない彼が、
今はまるで“何かを追い求めている”ような顔をしていた。
焦燥でもなく、恐怖でもない。
それは――信仰に近い、歪んだ安堵の色。
アモンは震える指先で、書斎のセキュリティ端末に触れた。
「…ん…間違いない…………!」
ピッ――。
低い電子音が鳴り、ロックが外れる。
「兄さん……?」
アモンの口から、掠れた声が漏れた。
泣いているのか、笑っているのか、わからない。
頬を伝う涙が、嬉しさによるものなのか、後悔なのかも。
「……あ……兄さん……やっぱり……生きていたんだね……」
アモンの肩が震え、両手で扉に触れた。
書斎には焼け焦げた金属片、荒らされた書斎、
そして床には足跡。
ラファは壁の影から覗き込み、息を呑む。
(これ……まさか……)
チェイサーが口を開く。
「侵入者が“シオン”だと、なぜ言い切れる?」
アモンはゆっくりと立ち上がり、笑った。
その笑みはどこか壊れていた。
「だって……この扉は……僕自身でしか開かないんだよ」
静まり返った廊下に、電子ロックの音だけが響く。
アモンはうっとりとした表情で、床に落ちた仮面の欠片を拾い上げた。
その手が震えている。
「……兄さん……やっぱり、君は僕の中で……まだ生きていたんだね」
チェイサーはわずかに眉を寄せ、視線を逸らした。
「……アモン坊ちゃん、冷静に。侵入者の痕跡を分析しようぜ」
「いいんだ、チェイサー。これで確信が持てた。
兄さんは、僕が造った“あの肉体”を受け入れてくれたんだ」
その声は穏やかで、しかしどこか陶酔していた。
ラファの胸の中に、冷たいものが広がっていく。
(……“あの肉体”? 何の話をしてるの……?
兄さんって……シオンのことだよね?
でも、シオンは――)
アモンは希望を胸に抱き、微かに笑った。
「やっと、これで……完全になる」
その表情は、ラファの知る「アモン」ではなかった。
冷静で頼もしい医師ではなく、
何かを“信じ切ってしまった人間”の顔だった。
ラファは一歩、後ずさる。
(……アモン、いったい何をしたの……?)
彼の頭の中で、
それは――確かに“シオン”の痕跡だった。
書斎の奥、壁面に隠されたエレベーターが、低く唸りを上げながら開く。
アモンは迷いなく中へ足を踏み入れた。
その背にチェイサーが続く。
「シオン兄さんが……何か残していないか、確認しよう。」
アモンの声には、理性の色がもうほとんど残っていなかった。
その瞳はまっすぐ、虚空の向こうを見ている。
エレベーターの扉がゆっくり閉まり――二人は地下へと消えた。
ラファは壁の影から出て、慌てて駆け寄る。
「……待って、アモン!」
だが、間に合わない。
扉は静かに閉まり、階層表示のランプが「−3」を示して止まる。
「どうする……私も……下に……」
ラファは操作パネルに手を伸ばすが、セキュリティロックがかかっており、認証は拒否される。
そのとき、不意に背後から柔らかい声がした。
「無駄だよ、下には行けないの。」
ラファが振り返ると、そこにはひとりの少女が立っていた。
白いワンピースに、焦げ茶の髪。
だが首元の皮膚の下では、かすかに機械の光が瞬いていた。
少女は、かすかに微笑んだ。
人間のそれよりも、どこか演算的な、仕草だけの笑み。
ラファの喉が乾いた。
「あなたも侵入者?、戦えるの?」
「ううん。戦闘ユニットは、もう全部……あの義手の男にやられたよ。
私は非戦闘員。観測と記録用。生き残っちゃっただけ。」
そう言って少女は、ひとつの提案をした。
「見逃してくれるなら、面白いものを見せてあげる。」
ラファは構えを解かずに、問い返す。
「面白いもの?」
少女は胸の前で手を組み、小さく笑った。
「“盗用”っていうの。
他の生物が見て、聞いて、感じているものを一時的に共有する能力。
わたしたちはこれで話してたんだ。言葉より正確で、あたたかいんだよ。」
言いながら、少女は手を差し出す。
「ラファちゃんも、わたしたちの輪に入れてあげる。」
ラファがその手を取った瞬間――視界が歪んだ。
◆
金属の床。
無数のモニター。
アモンとチェイサーが、暗いラボの奥で話している。
声が、脳の内側で響く。
(これが……盗用……? アモンの“視界”?)
アモンは机の上のデータファイルをめくりながら、息を吐いた。
「兄さんは、このラボのA7のカルテと……
その初期段階の実験素材――つまり、君の資料を持っていったみたいだ。」
チェイサーが苦く笑う。
「シオン坊ちゃんが、俺の資料をですかい?」
「まあ、“あの作品”は兄さんの作風じゃないと思うけどね。
でも、実際に君の模造品をこの襲撃で確認してる。」
「覆面の木偶の坊たち、ですかい? あいつらは動きが鈍い。
スペックからして、俺の型とは違う。」
アモンは唇の端を持ち上げた。
「違うさ。君の“素体”は特別だったからね。」
「戦場の英雄って言われても、今の俺には何のことやら、ですけどね。」
アモンは椅子に腰かけ、指先でモニターをなぞる。
その瞳が、どこか恍惚としていた。
「“不死身”と言われた戦場の伝説さ。」
◆
ラファの意識が一気に現実へ戻る。
膝が震えていた。
心臓が早鐘を打つ。
少女は、ラファの顔を覗き込み、
「見たでしょ」とでも言うように、微笑んだ。
ラファは言葉を失いながらも、
そっとホルスターに触れた。
指先が――冷たい金属に触れる。
父の形見、黒いハンドガン。
(“不死身のスナイパー”……
まさか……)
記憶の奥で、父の背中が霞んで揺れた。
胸の奥で、何かが崩れた。
ラファは銃を握りしめ、震える息を吐いた。
――父が、アモンたちの“素材”にされた。
その確信が、静かに胸の奥を焼いた。




