53、復讐の果て
吹き荒れる風と爆音の中、病院の外壁はすでに半壊していた。
焦げた鉄骨の匂い、砕け散る石片。
そこに立つ二つの影――レックとガトー。
互いに血まみれで、もはや人の形を保っているのが不思議なほどだった。
ガトーは肩で息をしながらも、まだ笑っていた。
その背中から垂れる紐には、すでに爆薬の残りがわずか。
だが彼の拳はなお、鉄より重く、岩より硬い。
「…」
声は出さないが高揚しているのがわかる。
レックは、ただ右手を地面に叩きつけた。
血混じりの唾が口から飛び、割れたアスファルトの隙間に吸い込まれる。
「……なめんなよ」
低く、獣のような声。
次の瞬間、レックの身体を覆うように石の粒子が噴き出した。
それは皮膚のように、筋肉のように密着し、瞬く間に全身を鎧へと変える。
兜が閉じ、全身が灰色の巨体に包まれた。
その姿は、まるで古代の城壁が歩き出したかのようだった。
ガトーが笑いながら拳を構える。
だがその笑みも、一瞬にして掻き消えた。
轟音。
レックが地を蹴る。
巨体が跳ね上がり、手にした大槌が空気を震わせた。
「――砕けろッ!!!」
振り下ろされた衝撃波が地面を裂く。
ガトーは反射的に腕を交差させて防御するが、その上から叩きつけられた衝撃で数メートル後方へと吹き飛ぶ。
煙と瓦礫の中、ガトーは立ち上がった。
腕は痺れ、足元もふらついている。
だが――倒れない。
「効かねぇな……俺の石じゃ、ガトーは砕けねぇ。」
血混じりの笑み。
レックの仮面の奥から、鈍く光る眼がわずかに細められた。
「ただ砕くつもりなんざねぇよ……」
レックは大槌を地面に突き立てる。
その下――アスファルトの亀裂の隙間に、ガトーがさきほど投げ損ねた爆薬が数個転がっていた。
「お前の“硬さ”……利用させてもらうぜ。」
ガトーが目を見開く。
次の瞬間、地面が爆ぜた。
レックが叩きつけた衝撃は、残った爆薬をまとめて誘爆させ、ガトーの真正面で光と炎を生み出す。
空気が歪み、衝撃波が走り、周囲のガラスが一斉に割れた。
ロジャーたちがいた病院の廊下までも震えるほどの爆音だった。
煙の中――立っていたのは、ひとり。
石の鎧は砕け、腕は血に染まっている。
それでもレックは立っていた。
瓦礫の向こう、崩れ落ちた壁際に、ガトーの姿が見える。
まだ息はある。
硬化した皮膚が爆風を防いだのだろう。
レックは深く息を吐く。
「……まったく、しぶてぇな」
その声には、わずかな賞賛が混じっていた。
そして――彼は大槌を握り直した。
まだ終わってはいない。
だが、もう一撃が勝負を決める。
爆炎が収まり、焦げた匂いだけが残った。
白煙の中、レックは大槌を支えに立っていた。
足元の瓦礫が音を立てて崩れる。
すでに石の鎧の多くは砕け落ち、肩越しに見える皮膚には血がにじんでいる。
彼の視線の先――瓦礫の山の下で、ガトーがうごめいていた。
爆煙の影の中で、まだ息をしている。
身体は焦げ、硬化した皮膚の表面には無数の亀裂。
だが、それでも生きていた。
レックは少し口角を上げ、笑う。
「しぶとい、斬れない、ただこれはどうだ」
ガトーは答えない。
代わりに、血の泡を吐きながら、ただレックを睨み上げる。
その目に宿るのは怒りでも、恐怖でもなかった。
燃え尽きる寸前の執念――それだけだった。
レックはゆっくりと、右手を地面につけた。
その掌から、灰色の波が広がっていく。
――地面が唸る。
砕けたアスファルトが動き出し、まるで生きているかのように蠢く。
ガトーの足元の瓦礫がずるりと沈み、周囲の破片が彼を中心に集まり始めた。
ガトーが呻き声をあげて立ち上がろうとするが、
足が、腰が、腕が、次々と石に飲み込まれていく。
「レ……ック……!」
かすれた声。
だがレックは答えない。
その顔には、怒りでも快楽でもなく――
ただ、静かな決意の影が浮かんでいた。
「俺が生きてる限り、ガトー君は“復讐者君”のままだ。……だから、終わらせてやる。」
地面が一気に閉じる。
崩れた外壁が再び沈み込み、ガトーの姿は瓦礫の下に消えた。
最後に響いたのは、石と石が擦れ合う重い音だけだった。
沈黙。
レックはしばらくその場に立ち尽くした。
拳をゆっくり握りしめ、
やがて振り返る。
――遠くで、ヘリの音が近づいていた。
暴動の混乱はまだ終わっていない。
それでも、彼の中では確かにひとつの戦いが終わっていた。
「……さあ、仕事に戻るか。」
石の鎧が砕け落ちる音を残して、レックは瓦礫の上を歩き出した。
血を滲ませた足跡が、病院の廊下へと続いていく。
崩れた壁の隙間から、足音が近づいてきた。
軽い靴音。血と埃の匂いの中には、まるで場違いなほど明るい足取りだった。
「お疲れさま~、レック先輩。ギリギリの試合でしたねー」
軽やかな声。
ハクが、爆風に煽られた前髪を指で押さえながら姿を現した。
その口元には、悪びれた様子もなく笑みが浮かんでいる。
レックは、崩れた床に腰を下ろしたまま顔を上げた。
額からはまだ血が流れ落ちているが、口調は妙に軽い。
「ギリギリって言うなよ。勝ちは勝ちだろ?」
「うんうん、まあ、見た目はボロ負けでしたけどね?」
ハクは悪戯っぽくウインクを送る。
レックは小さく笑って、手に残った血を服で拭った。
「口の悪さは相変わらずだな。……けど、嫌いじゃねぇよ、そういうの。」
ふたりの間には、戦場とは思えないほどの軽やかな空気が流れた。
ハクは瓦礫を蹴飛ばしてレックの隣に立つと、腰に手を当てて言った。
「で? 仮面さんはどうした? 一緒に行動してなくて平気か?」
「んー? あの人ならもう帰っちゃったよ。目的のブツは手に入ったみたいでさー。
私に『お前は後片づけでもしてろ』って。ひどくない?」
「そりゃ……お前が“片づけ”担当に見えるんだろ。」
レックは苦笑して、割れた床を軽く叩いた。
「まあ、あの仮面のやつが何を考えてるかは知らねぇが――
目的が終わったなら、もうここに用はねぇだろ。」
「そうそう。私もあいつの“無口すぎる空気”は苦手だしね。
帰り道、ずっと沈黙とか拷問だもん。」
「お前がうるさすぎるだけだろ」
「えー? それ、褒め言葉として受け取っとく♪」
軽口が交わされる。
血と煙の匂いがまだ漂う中、ふたりの笑い声だけが妙に鮮やかに響いた。
やがて、ハクが遠くで響く警報音にちらりと目をやる。
「ねえレック~」
瓦礫の上で軽くストレッチをしていたハクが、思い出したように声を上げた。
「そういえば、スカーレットちゃんは? 一緒じゃなかったの?」
レックは首を鳴らしながら、ふっと空を見上げる。
「ん? あー、あの子な。……俺、すぐに戦闘に入っちまったからな。
どこ行ったかまでは見てねぇけど、まあ大丈夫だろ。
あいつも“やりたいこと”があるみたいだったしな。」
「へぇ~、“やりたいこと”ねぇ。」
ハクは口の端を上げ、意味深に笑う。
「ま、スカーレットちゃんたちなら勝手に死なないでしょ。あの子、しぶとそうだし」
「お前も人のこと言えねぇだろ」
レックが苦笑する。
「上から“実験も忘れるな”って言われてただろ? こっちはもう血まみれだぞ」
「うんうん、でも~、ちゃんとお仕事はしてるよ?」
ハクは軽やかに笑いながら、腰のホルスターから黒い小型端末を取り出す。
「これ、さっきの現場に数体放っておいたんだ。
“試作品群”ね。可愛いでしょ?」
レックは興味なさそうに片眉を上げた。
「お前の“可愛い”は信用できねぇ」
「失礼な。今回は成功率、かなり高いんだから~」
ハクは端末を弄りながら楽しげに続けた。
「ほら、病院で暴れてる覆面たちいるでしょ? あれは“AIを人に乗せただけ”。
命令待ちのロボットみたいなもん。
でも――こっちは違うの。
捕まえた能力者の肉体に、“私の人格データ”を入れてるのよ」
レックは鼻で笑った。
「……つまり、お前のコピーが暴れてるってわけか」
「そ。いわば“ハク量産型”♪ でも中身は私の劣化版よ。
考えるより、壊す方が得意な私のね」
ハクの声は、軽い。
だがその笑みの奥には、どこか底の見えない黒さが滲んでいた。
「“命令待ち人間”とは違って、
彼らはちゃんと“楽しみながら壊す”ことができる。
つまり、成功よ。ね?」
レックは肩をすくめる。
「楽しんでるのはお前の方だろ。……まったく、五月蝿そうで怖ぇな」
「えー、怖いのはそっちでしょ。
頭から血流してニコニコしてる岩男が言う?」
「言われてみりゃそうだな」
レックは喉の奥で笑い、足元の瓦礫を踏みしめた。
遠くでまだ断続的に爆音が響いている。
ハクはその音に合わせて、軽い調子で口笛を吹いた。
その背中を見送りながら、レックはふと息を吐く。
「……狂ってるのは、どっちだか分かんねぇな」
その呟きに、ハクは振り返りもせず手を振った。
「そんなの、どっちもでしょ~?」