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51、願いと選択

スカーレットの大鎌が唸りを上げて振り抜かれる。

刃の軌跡が空気を裂き、廊下の壁を容易く切り裂いた。


その鋭さは、目の前の女――エウを確実に仕留めるための一撃。

迷いもためらいもない、純粋な殺意だった。


「……ッ!」

エウは即座に雷光を迸らせ、防御の姿勢をとる。

だが受け止め切れるかはわからない――そう思った瞬間。


轟音とともに影が割り込んだ。


「やめろォォォォッ!」


ロジャーの体毛が逆立ち、骨が軋む音が廊下に響く。

次の瞬間、彼の姿は人のものではなくなっていた。

獣の爪、鋭い牙、そして筋肉の鎧に覆われた狼人間――ロジャーの本当の姿だった。


その巨躯がスカーレットの大鎌をがっちりと受け止める。

金属と爪がぶつかり合い、火花が散った。


「……父さん?」

刹那、スカーレットの瞳に微かに揺らぎが走る。

だがすぐに冷たい無表情へと戻り、力を込めて押し込んでくる。


ロジャーは獣の形のまま、必死に大鎌を押さえ込みながらエウへ叫んだ。

「頼む……! こいつは俺の娘なんだ! 命までは取らないでくれ!」


その声は獣の咆哮と、人としての懇願が入り混じったものだった。


エウは驚きに目を見開く。

「……娘? この子が……!」


スカーレットの冷たい瞳と、ロジャーの血に濡れた必死の横顔。

廊下には、言葉では片付けられない複雑な空気が漂っていた。


ロジャーは獣の爪で必死に大鎌を押さえ込み、牙をむき出しにして咆哮する。

「やめろ……! 俺の娘なんだ……命だけは……!」


その声は悲痛だった。

スカーレットは感情を見せないまま、大鎌をさらに押し込もうとする。

火花が散り、石畳にひびが走った。


エウは一瞬、ためらった。

だが戦場での決断は一瞬だ。

雷が掌に収束し、紫電が彼女の全身を包む。


「……わかった。命は取らない」


その言葉と同時に、エウの身体から奔流のような電撃がほとばしった。

稲光は通路全体を覆い、ロジャーとスカーレットをまとめて飲み込む。


「ぐぅっ……!」

ロジャーは獣の姿のまま痙攣し、床に膝をついた。


スカーレットもまた、大鎌を握ったまま目を見開き――しかし次の瞬間、力なく意識を手放して崩れ落ちた。


焦げた匂いと、石壁に残る焼け跡。

その中心で、二人の身体は重なるように倒れている。


エウは息を荒げ、電撃を収めた。

「……これでいい?」


廊下には、雷鳴の余韻だけがしばらく響き渡っていた。


稲光が収まり、焦げた匂いが漂う廊下に静寂が戻る。

倒れ伏したロジャーは、獣化の姿を保ちながらも、荒い呼吸の中でわずかに目を開いた。


そのすぐそばに横たわる少女――スカーレット。

だが、その表情には今までの冷たい無表情はなかった。


「……パパ……ひさしぶり」


苦しげな吐息と共に、それは確かにルビーの声だった。

かすかに微笑もうとするが、顔は歪み、瞼は重く閉じていく。


「ル、ビー……?」

ロジャーの濁った意識が一瞬だけ、光を取り戻す。


その表情を最後に、ルビーの瞳は完全に閉ざされた。

静かな眠りへと沈むように――。


ロジャーもまた、その姿を感じ取りながら、獣化の形態を解き、地面に倒れ込む。


稲光の余韻が消え、廊下は一瞬の静寂に包まれた。硝煙にも似た焦げた匂いと、割れたガラスのささやかな音だけが残っている。


そのとき、奥の扉が勢いよく開き、白と青の救護ユニフォームを着た隊員たちが駆け込んできた。


隊員の一人が駆け寄り、まずはロジャーの脈と呼吸を確認する。獣化の影がまだ少し残る彼は、荒い息を繰り返していたが、意識は薄くなっている。救護隊員は素早く手際よくストレッチャーを広げ、ロジャーの肩を支えながら言葉をかける。


「しっかりしてください。名前は? 分かりますか?」


返答は薄く掠れた声か、あるいは唸りだけかもしれない。だが救護の手は迷わない。毛羽立った衣服を切り裂き、出血箇所を圧迫し、酸素マスクを当てる。獣じみた体つきは慎重に扱われ、必要最低限の固定を済ませると、やがてストレッチャーに横たえられた。


隣では、スカーレット──否、今はルビーの面影を僅かに残す少女が、ゆっくりと意識を失っていった。大鎌は床に投げ出され、瞳は半ば閉じられている。救護隊は彼女の額にも手を当て、表情を覗きこむ。薄く震える唇を見つけて、誰かが小さく呟いた。


「この子が襲撃犯なのか?……二次被害に注意。」


隊員たちは互いに声を掛け合い、迅速に処置を進める。静脈路を確保し、輸液を繋ぎ、簡易モニターを取り付けて心拍と酸素飽和度を確認する。廊下で燃える赤い表示灯が、救護のテンポを刻むように点滅した。


エウは俯いたまま、それを見守っていた。電撃で二人を落としたときの痛ましさ、そして父と娘のわずかなやり取りが胸に刺さる。彼女は救護隊に目で合図を送り、事情を簡潔に説明する。「二人ともこちらで。経緯は現場で報告します」と。


救護隊は手際よくロジャーとルビーを担ぎ、廊下を引き戻す。時折、ロジャーの手がかすかに動き、ルビーの肩に触れようとする仕草が見える。救護の腕がそれを優しく抑え、痛ましいけれど確かな配慮を見せた。


「こちら、ICU受け入れ要請を出しました。すぐ手術室か、集中治療へ回します。」隊長の冷静な声が廊下に響いた。無線が応答し、救急エレベーターのドアが勢いよく閉じる。ブザーの音とともに、ストレッチャーは病院の奥へと吸い込まれていった。


残されたのは、乱れた床と冷えた空気、そしてエウがぽつりと漏らした小さな声だけだった。

「生かす。それが正しいなら……」


病院の救護班は二人を確保し、診療エリアへと運び去った。廊下には一瞬だけ父娘の気配だけが残り、やがて夜の雑音に飲み込まれていく――だが、誰もが知っていた。あの廊下で交わった刃と叫びは、決して簡単に消えない痕を残したのだと。

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