49、それぞれの目的
病院内部は、地獄だった。
覆面の者たちはベッドをひっくり返し、点滴スタンドを振り回し、患者や医師を恐怖に陥れている。目的は見えない。ただ暴れたいだけの獣の群れ。
警備部の面々が総動員され、廊下のあちこちで衝突が起きていた。シールドを構えて押し返す者、負傷者を担ぎ出す者、誰もが余裕を失っていた。
だが――。
その混乱のさらに奥、病院の誰も立ち入らない一角で、別の影が蠢いていた。
静寂に包まれた廊下。
重厚な扉を前に、牧師服の男レックが手をかざす。石の力に呼応するように、扉の錠前が音を立てて砕けた。
「……急げ。奴らの注意は充分そらしてある」
背後には、軽やかに銃を弄ぶハクがいた。
「へいへい、時間通りね。暴れてる連中が楽しそうで何より~」
彼女は笑みを浮かべながらも、その瞳は鋭く、常に周囲を測っていた。
さらに闇から現れたのは、無言の仮面の男。黒い仮面で表情を隠し、重い足取りで部屋の中へと踏み入る。
最後に――。
廊下の天井を蹴って降り立ったのは、大鎌を肩に担ぐ少女。赤い瞳が妖しく光り、銀色の鎌が冷たく軋む。
「スカーレット、行動開始」
その声は低く、だが確かな悦びを含んでいた。
彼らの目的はただひとつ。
アモンの書斎、そしてかつてシオンが使っていたラボに隠された“あるもの”を探し出すこと。
病院の表では無秩序な暴力が吹き荒れる。
だが、その裏では静かに――確実に、もっと危険な計画が進行していた。
病院は炎の中にあった。
だが、その奥深く――人知れぬ廊下を抜け、二組の影が別々の道を歩んでいた。
◆
重厚な大きな扉の前に立つ二つの影。
ひとりは牧師服を纏った大男レック。もうひとりは赤い瞳を輝かせ、大鎌を肩に担ぐ少女スカーレット。
扉には古びた木目が見えるが、そこに走る細かな光の筋――それは最新鋭のセキュリティシステムが張り巡らされている証だった。
「……やれやれ。古臭ぇ見た目のくせに、中身は最先端かよ」
レックは口の端を歪めると、壁の石の柱から再び巨大な石剣を生み出した。
振り下ろす一撃は、地面をも割る威力を秘めている。
しかし。
「ガァンッ!」
耳をつんざく衝撃音が響くだけで、扉はびくともしなかった。
一瞬遅れて、走査光がレックをなぞり、警告音が赤く点滅する。
「ふふ……無駄よ。アモンの書斎、そう簡単に開くわけないじゃない」
スカーレットは大鎌を構え、同じく全力で斬りつける。
漆黒の刃が閃き、扉に火花が散る――しかし傷一つつかない。
彼女は舌打ちして、銀髪をかきあげた。
「病院の連中、普段はあんなに杜撰なくせに……ここだけ異様に守りが固いわね」
「ってことは、中身は本物ってことだろ?」
レックは石剣を肩に担ぎ、煙草を咥える。
「扉ひとつで俺とお前の攻撃を止めるなんざ、なかなかいい趣味してやがる」
セキュリティの赤光が、無機質に点滅を繰り返していた。
二人は互いに一度視線を交わし、諦めるように肩をすくめる。
「……強引に突破は無理。だったら別の手を探すしかないわね」
スカーレットは鎌を肩に担ぎ直し、視線を廊下の奥へ向けた。
「アモンの秘密はここにある……間違いない」
レックは吐き出した煙を見上げながら、低く呟いた。
重厚な扉の前で、鋭い赤光が点滅を繰り返していた。
アモンの書斎を守る最新鋭のセキュリティが作動し、耳障りな警報が廊下を震わせる。
「チッ……やっぱり起動したか」
駆けつけた警備部の男が顔をしかめた。
ガンショップの店長であり、今は非常時の応援要員として駆り出されたロジャーだった。
片手に抱えた自前のカスタムライフルを軽く叩き、アモンの書斎に繋がる廊下を走っている。
「……やっぱり、こりゃタダモンじゃねえな」
かつてガンショップを営んでいた男は、今では警備部の現場要員として応援に立っていた。
その隣に立つのは、背の高い無口な男――レック。
警備部の中でも腕が立つと知られるが、その言葉数の少なさゆえに、彼の内心を知る者は少ない。
今も赤く点滅する光に照らされ、鋭い眼差しをただ扉に向けているだけだった。
「おい、レック。お前、どう見る?」
ロジャーが軽口を飛ばす。
だが返ってくるのは沈黙のみ。
その静けさに慣れているのか、ロジャーは苦笑して肩をすくめた。
赤光がふたりの影を壁に映し出し、緊迫の気配を濃くしていく。
この先に確実に“侵入者”がいる――ふたりとも、それを理解していた。
ロジャーはライフルを下げ、正面に立つ石剣のレックを射抜くように睨んだ。
「……お前ひとりか?」
レックは煙草でもくゆらすような口調で答える。
「さてね。どうだろうな」
「ここで抵抗したところで逃げ場はない。……武器を捨てろ」
短く吐き出す声は冷徹だ。
しかし、石剣のレックは嘲るように笑う。
「降伏? そんな趣味はない。俺はいつだって、自分の道を選んできたんでね」
その余裕の笑みに、ロジャーの隣で沈黙を守っていた“警備部のレック”が――小さく震えた。
やがてその肩がわずかに揺れ、押し殺していた声が漏れ出す。
「……ふ、ふふ……はははは……」
廊下に、不意打ちのような笑い声が響いた。
普段は無口で感情を見せない男が、今だけは獣のような笑みを浮かべている。
ロジャーが振り返ると、彼はもう表情を戻していた。
ただ、その瞳だけが燃え盛る復讐の炎を映している。
次の瞬間、彼は無言で石剣のレックに突っ込んだ。
石剣が閃き、斜めに振り下ろされる。
「チッ……!」
刃が警備部のレックの身体を両断する――はずだった。
だが、火花が散っただけ。
硬化した肉体は微塵も切り裂けない。
レックの瞳が細められる。
そして――思い出したように呟いた。
「ああ……そういや、昔いたなぁ」
愉快そうに口角を吊り上げる。
「俺が攫ったガキの保護者でな……どんなに斬っても切れねぇ奴がいた。
……名前は確か――ガトー、だったな?」
ロジャーは息を呑む。
“レック”として警備部にいた男の真名が――敵の口から暴かれたのだ。
ガトーの正体が暴かれた瞬間、空気は一変した。
無口な男が――もはや理性の鎖を外された獣へと変貌していた。
ロジャーは横目で彼を見やり、低く声をかける。
「落ち着け、ガトー……ここで突っ込んだら――」
しかし、言葉は届かない。
ガトーはただ前だけを見据え、硬化した身体で歩を進める。
石剣が彼の胸を裂こうと振り下ろされる。
火花が散る。
だがガトーは止まらない。
「……ハッ、冗談だろ」
石剣のレックが片眉を吊り上げる。
斬撃を浴びながらも、まるで無視するかのように歩み続けてくるのだ。
ガトーは両腕を大きく振り回した。
ブン、ブン――と風を裂く音が響く。
大振りで荒々しい、洗練とはほど遠い拳の軌道。
しかし、一撃一撃に乗せられた力は、人間を砕くに十分だった。
「ガトーッ! 冷静になれ!」
ロジャーの声は鋭く、必死だった。
だが、怒りの炎に呑まれた男にはもう届かない。
レックは迫る拳を受け止めながら、笑った。
「クク……いいねぇ。
やっぱりお前は、あの時と同じ――復讐に囚われた、ただの怪物だ」
それでもガトーは拳を止めない。
切られ、斬られ、血が流れても。
ただひたすらに――石剣のレックを殴り潰すためだけに。
ガトーの拳は止まらなかった。
石剣の刃を浴びながらも、一歩、また一歩と前に出る。
硬化した身体が火花を散らし、鈍い音を響かせる。
その執念の姿に、レックは口の端を吊り上げた。
「……ハッ。変わらねぇな、ガトー」
低く吐き捨てるように言いながら、石剣を横薙ぎに振るう。
金属音にも似た衝撃が走るが、ガトーは揺るがない。
その迫力は確かに猛獣のそれだった。
だが、レックの目には――ただの玩具に映っていた。
「結局、お前は前と同じだ。
固いだけで、殴られるだけのサンドバッグ。」
言葉に嘲りが混じる。
それでもガトーは応じない。
怒声も、返答もない。
ただ、拳を振り下ろし続ける。
「ククッ……ほら見ろ。
また俺の剣で切られながら突っ込んでくる。
まるで芸がないな、ガトー!」
レックの声は嘲笑に満ちていた。
その侮蔑が、さらにガトーの拳を重く、荒々しくしていく。
ガトーの拳が空を切る――その瞬間、レックは何か異様な重みを感じ取った。
硬化した背中越しに、鈍い金属の音が響く。
次の一拍、ガトーがぐるりと身をひねった。
その背から、紐で結わえられた無数の円筒――手榴弾のような鉄塊が、鎖の鞭のようにうなりを上げて振り抜かれた。
「……っ!」
レックの顔から余裕が消える。
本能が告げる――直撃すればまずい、と。
石剣を咄嗟に盾に構える。
爆音が轟き、病院の廊下にある窓際の壁が一瞬で崩壊した。
ガラス片とコンクリートの破片が飛び散り、夜風が勢いよく吹き込む。
「チッ……!」
レックは石剣を盾に構えていたが、ガトーの仕掛けた爆裂の衝撃はそれをも押し切り、全身ごと吹き飛ばしていった。
分厚い窓枠を破り抜け、レックの身体は火花と瓦礫を散らしながら病院の外へと叩き出される。
地上の駐車スペースに激突し、車のボンネットをひしゃげさせてから、石畳に転がった。
廊下に残ったガトーは、崩れた壁の縁から身を乗り出す。
瞳は爛々と輝き、口元は笑っていないのに、背中の爆裂鎖が「次だ」と言わんばかりに鳴っている。
「……まだだ」
硬化した足が床を砕くほどの音を立て、ガトーは壁の裂け目から夜の病院敷地へと飛び出した。
復讐の炎に突き動かされ、仇にとどめを刺すためだけに。