33、シオンの古巣
次に訪れたのは、製薬と技術開発を主に行っているエリアだった。シーの案内によれば、このエリアは病院の中でも特に厳重な警備が必要な場所らしい。産業スパイや不審者に狙われることが多く、そのため警備部が常に目を光らせているという。
「もともとシオンも、このエリアで仕事してたんだよねー」と、シーは何気なく付け加えた。
その言葉を聞いたラファの足が、一瞬だけ止まる。シオンがここで何をしていたのか。今もどこかで無事なのか。その答えを知りたかったが、聞くべきか迷っているうちに、視界の先から見覚えのある二人組が近づいてきた。
「おや、シーさんじゃないですか!」
声をかけてきたのは、先日ラファが街で出会った製薬営業部の二人だった。爽やかな笑顔を浮かべているが、その目にはどこか心配の色がうかがえた。
「大丈夫でしたか?あのあと、あの街で出動した警官がメッタ撃ちにされるなんてニュース、見ましたよ。すごく物騒で――」
「大丈夫、大丈夫!」シーは軽い口調で遮った。「銃は別の子――ほら、この子ね!」とラファを指しながら、「この子に撃たれたけど、ぜーんぜん平気だったよー!」とケラケラ笑う。
その場にいた全員が一瞬固まった。営業部の二人は戸惑いを隠せない様子で、「え、冗談ですよね?」とお互いを見合った。
「またまた、冗談ばっかり!」ようやく笑顔を取り戻した二人は、軽く茶化しながらその場の空気を和ませようとしていた。
しかし、ラファは横で複雑な表情を浮かべていた。シーが笑い話に変えてくれたおかげで場は丸く収まったが、ラファ自身は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
(本当に……当たらなくてよかった……)
あのとき、シーが銃弾を避けてくれたことに改めて感謝しつつ、ラファは思わず視線を落とした。その様子に気づいたシーは何も言わず、ただ柔らかな微笑みを浮かべて彼女の背中を軽く叩く。
「さ、次行こっかー!」
いつもの調子で明るく声をかけるシーに、ラファも「はい」と短く答え、再び歩き始めた。
技術開発部に足を踏み入れると、そこにいる全員が白衣を身にまとっていた。まるで実験室の光景そのものだった。ラファは周囲を見回しながら、ここで働く人たちがシオンと同じように新しい技術革新を目指して日夜研究を重ねているのだと感じ取った。
部屋の中を覗き込むと、壁一面に設置されたガラス越しに、さまざまな研究機材や実験が行われている様子が見えた。しかし、目に映るものはどれも専門的すぎて、ラファにはさっぱり理解できない。ただ、すべてが異世界のように物珍しく、思わず見入ってしまう。
「この奥が、シオンくんが使ってたラボだよ」と、シーが指さした部屋に目を向ける。
シオン専用のラボラトリー。その響きだけで胸がざわついたラファは、静かに部屋の中を覗き込んだ。作りかけの義手が机の上に無造作に置かれ、巨大なモニターがついたパソコンには無数のファイルが開かれたままだった。何かを培養しているようなシャーレがいくつも並び、散乱したデスクには書類が山積みになっている。
ラファは一歩足を踏み入れると、机の上に転がっている紙の中から一つのファイルに目が留まった。
「元軍人リスト」
そうタイトルがつけられたそれには、色とりどりの付箋が貼られている。そのうちの一つを手に取ると、まさかと思う名前が目に入った。
「アル・カナレス」
ラファの父の名前だ。
慌ててファイルをめくり、そのページに目を走らせる。そこには、父の過去の功績や、戦場で発揮した能力について事細かに記載されていた。彼がどのような場面で、どんな能力を使い、何を成し遂げたのか――ラファが知るはずのない情報が、ここに明確に記録されていた。
ラファの手が震える。
さらに数ページをめくると、またしても知っている名前が目に飛び込んできた。
「ロジャー・シモンズ」
「ロジャーも……?」
書かれている内容を読み進めるうちに、ラファの胸はざわつき、頭の中は混乱していった。そこには、ロジャーが**「獣に変身する能力を有している」**と記されていたのだ。
(ロジャーが能力者だったなんて……知らなかった。)
驚きとともに、ファイルを手にしたまま立ち尽くすラファの耳に、微かにシーの声が届いた。
「ラファちゃん、大丈夫?なんか見つけた?」
声をかけられてハッと我に返ったラファは、慌ててファイルを元の場所に戻す。そして、震える声を抑え込むように答えた。
「……いえ、なんでもないです。」
シーが不思議そうな顔をしながらもそれ以上詮索しなかったのを見て、ラファはひとまず胸を撫で下ろした。
ラファが机上の書類をそっと戻したそのとき、不意に冷たい声が部屋に響いた。
「ちょっと!部外者はこの部屋に入らないでください。」
振り向くと、ピンク色の長い髪を背中まで垂らし、銀のフレームのメガネをかけた白衣姿の女性が立っていた。その端正な顔立ちは冷ややかで、まるで侵入者を見つけたかのような鋭い眼差しを向けている。
「ここには貴重な資料が多数あります。アモン様の許可があるからといって、好き勝手触れられては困ります。」
視線の先にいるのはラファだったが、その言葉の矛先は明らかにシーに向けられている。
シーは慌てる様子もなく、軽やかに女性の元へ歩み寄ると、名札を覗き込むようにして言った。
「えーっと、アモン君には許可もらってるんだけどー……あ、レンさんね?」
女性――レンと呼ばれた研究員は、冷淡な表情を崩さないまま、シーに向けてピシャリと言い放った。
「アモン様の許可があるのは承知していますが、ここは技術開発の要です。大切な資料や機材が揃っていますので、どうか余計なことはしないでいただきたい。」
その態度は毅然としており、研究室を預かる者としてのプライドが滲み出ている。
シーは目を細め、少し肩をすくめながら適当に返事をした。
「へいへいー、了解了解。でもそんなに怒らないでよー、レンさん怖いって評判になっちゃうよ?」
軽口を叩きつつも、どこか楽しげな様子で振る舞うシーに対し、レンはため息をつくように目を閉じ、再び冷たい視線を向けた。
「評判は結構です。私の仕事は研究とデータ管理、それだけですから。」
そのやりとりを横で見守っていたラファは、気まずそうに視線をそらした。緊張感の漂う空気に居心地の悪さを覚えつつも、この場所がいかに重要な場所であるかを改めて感じ取った。
シーとレンの口論が続く中、ラファはふと部屋の壁に目を向けた。そこには微妙に日焼けした跡が残されており、何かがかつて貼られていた形跡があった。しかし、今はその痕跡を示すもの以外は何も見当たらない。
「何があったんだろう……?」
自然と興味が湧き、ラファは目線を下げながら部屋をくまなく見回した。そして、机の下で写真の角が少しだけ顔を覗かせているのを見つける。
「これ……」
しゃがみ込んで写真をそっと引き抜くと、そこに写っていたのは意外な光景だった。父――アル・カナレスがシオンの頭を大きな手でわしゃわしゃと撫でている。シオンは明らかに不満そうな顔をしているが、その仕草にはどこか親しい絆が垣間見えた。
ラファは写真をじっと見つめた。心に込み上げる何とも言えない感情を押し込めるようにして、その写真をそっとポケットにしまう。
その間も、シーとレンの言い争いはエスカレートしていた。
「もう、レンさんってば本当に融通がきかないんだからー!」
「融通の問題ではありません。ここは機密情報の宝庫です!」
レンの冷たい声に対し、シーは子供のように口を尖らせて反論を繰り返す。
ラファが写真をしまったのと同時に、シーが大げさに声を上げた。
「ねぇラファ、この怖いお姉ちゃんがうるさいからさ、ほか回ろうよー!」
その発言は明らかにレンに聞こえるようなボリュームで、しかもわざとらしい調子だった。
「怖いとはなんですか!」とレンが眉をひそめて抗議するが、シーは軽く手を振りながらラファの肩を叩いて、部屋の外へ向かうよう促す。
「さ、行こ行こ! こんなところにいたら固くなっちゃうよー。」
ラファは苦笑しながらその場を後にした。シーとレンの掛け合いに、妙にこの施設での日常の一端を垣間見た気がした。