30、見えない事実
ラファが目を覚ましたとき、視界に広がったのは無機質な白い天井だった。どこまでも冷たく無感情なその空間に、なんとも言えない不安感が押し寄せる。
「……ここ、どこ……?」
体を動かそうとするが、手首と足首に硬い拘束具が巻かれていることに気づき、思わず身震いした。どうやら完全に動きを封じられているようだ。周囲を見回すと、簡素な部屋の中に自分一人。手元にはスイッチのような装置が置かれている。
「これ、何……?」
恐る恐るスイッチを押すと、間もなく扉がスライドして開き、そこに現れたのは――見たくもない顔だった。
「おはよう、アルちゃん!」
シーがにこやかに手を振りながら部屋に入ってきた。その軽い態度に、ラファの胸中に苛立ちが募る。
「何これ……どうなってるの?」
シーは悪びれる様子もなく、いつもの調子でにこにこと笑っている。
「少しはゆっくりできた? あ、あと暴れないでね!」
「暴れたくても、これじゃ動けないじゃない……。それより、ここはどこ?」
冷静さを保とうとしつつも、声には不安がにじんでいる。
「ここ?」
シーは軽く指を鳴らして答えた。
「ライトボーン病院だよー。悪いけど、アルちゃんを連れて来ちゃったの。」
「ライトボーン病院……?」
その名前を聞いた瞬間、ラファの心臓が一気に跳ね上がる。この場所が何を意味するのか、そしてシーの目的が何なのか、全く見当がつかない。
「どうして……私をこんなところに……?」
声が震えそうになるのを必死に堪えながら、ラファは問いかけた。しかし、シーはその質問に答える気配もなく、あっけらかんとした口調で話し続けた。
「アルちゃんには、ちょっとだけ手伝ってほしいことがあってね。まあ、今の状態じゃ動きたくても動けないよね。しばらく、ここでのんびりしてて!」
明るく軽い調子のシーに対し、ラファはただ困惑と警戒を隠せないままだった。
胸の中に湧き上がる不安を押さえながら、ラファは必死に状況を整理しようとしていた。
シーが明るく声を弾ませながら言った。
「とりあえず、アルちゃんに会わせたい人がいるんだよね。」
そう言うと、扉の向こうから一人の男性を連れてきた。その人物を見た瞬間、ラファの目が大きく見開かれる。
「ロジャー……?」
ロジャーはいつもの調子で片手を挙げ、優しく微笑んで挨拶をしてきた。
「よう、ラファ。一週間ぶりだな。」
ラファは言葉を失いながら、目の前に立つ彼を見つめた。その笑顔は変わらないが、どこか少し疲れたような雰囲気がある。それでも、久しぶりに見る仲間の顔に、複雑な感情が湧き上がる。
「ロジャー……どうしてここに? それに……どういう状況なの?」
ラファの問いに、ロジャーは軽く苦笑いを浮かべながら床にしゃがみ込み、彼女と視線を合わせた。
「ラファ、まずは落ち着け。俺もお前と同じで、ここに運ばれてきたんだ。」
「運ばれてきた……? 何を言ってるの?」
ロジャーは彼女の困惑した様子を見て、少し真剣な表情になり、ゆっくりと言葉を選びながら説明を始める。
「お前とシオンが逃げた後、エウと一緒に俺もここに連れて来られた。ここはライトボーン病院って施設らしい。俺たちがここにいる理由は……お前を狙ってた連中から『保護』するためだとさ。」
「保護……?」
ラファが眉を寄せて問い返すと、ロジャーは軽く息を吐き、少し身を乗り出して彼女に語りかける。
「ラファ、正直に言うと、俺も最初はここが信用できる場所なのか疑ってた。でも、ここにいる人たちは思った以上に良い人たちだ。敵意も感じなかったし、少なくとも俺が接触した限りじゃ、お前や俺を傷つけようとしてるわけじゃない。」
ロジャーはラファの目をじっと見つめながら、真剣な口調で続ける。
「お前がここで目を覚ましたと聞いて、正直ほっとしたんだよ。ずっと心配だった。あの状況で、お前が無事かどうか分からなかったからな。」
ラファはその言葉に一瞬戸惑いながらも、ロジャーの表情が真剣そのものであることに気づいた。
「……心配、してくれてたの?」
「当たり前だろ。」ロジャーは即答し、少し微笑んだ。「お前のことだ、無茶してたんじゃないかって、そればっかり考えてたんだよ。」
ラファは視線をそらしながら小さくため息をついた。それでも、ロジャーの言葉にわずかに胸の中が温かくなるのを感じた。
「まずは落ち着いて話を聞いてくれ。ここにいる人たちは本当に悪いやつらじゃない。今は少し状況を整理する時間が必要だ。」
ラファは不満そうに眉を寄せながらも、ロジャーの言葉に耳を傾けた。
胸に渦巻く疑念と不安を抱えながらも、彼女は静かに目を伏せた。
シーがラファに気楽な調子で声をかけた。
「ごめんねー、アルちゃん。わたしから話してもいいんだけどさー、こういうのって、やっぱり偉い人から直接聞いたほうが分かりやすいよねー?」
そう言うと、軽い足取りで部屋の出口へ向かう。
「ちょっと呼んでくるねー!」
扉を開けて手を振りながら、シーは勢いよく部屋を飛び出していった。その瞬間、部屋の中が静まり返る。
ラファは一瞬考えたあと、視線をロジャーに向けて口を開いた。
「ロジャー……シオンは?! まだ捕まってないよね?!」
焦りがにじむ声で問いかけると、ロジャーは困ったような顔をして頭を掻いた。
「まあ、その……なんだ……」
曖昧に言葉を濁しながら、彼の目がどこか遠くを見ているようだった。その態度に、ラファの胸の中で不安がさらに膨らむ。
「ロジャー、ちゃんと――」
ラファが詰め寄ろうとしたその時、部屋の扉が開く音がした。二人は同時にその方向へ視線を向ける。
入ってきたのはシー――ではなく、彼女の後ろから続いて現れた、見知らぬ人物だった。
それは、シオンによく似た顔立ちをした、けれど遥かに大人びた雰囲気を持つ、美しい少年だった。年齢は17歳くらいだろうか。整った顔立ちに、冷静さを湛えた深い瞳。その場の空気を支配するような佇まいを持っていた。
その青年は軽く一礼し、穏やかな口調で名乗った。
「はじめまして。僕の名前はアモン。シオンの双子の弟だよ。」
その言葉を聞いた瞬間、ラファは勢いよく反論した。
「嘘つかないで! シオンはそんな大人びた見た目じゃない! あいつ、どう見たって10歳くらいでしょ!」
眉を吊り上げて訴えるラファに対し、アモンは微笑を浮かべたまま、落ち着いた声で答えた。
「そうだね。その疑問も含めて、少しずつ説明するよ。」
そう言うと、彼は部屋の中央に置かれた椅子を引き、ゆっくりと腰を下ろした。姿勢を正し、ラファとロジャーに向き直る。その仕草ひとつひとつが、まるで舞台の演者のように洗練されていた。
ラファはその堂々とした態度に圧倒されながらも、眉間にしわを寄せたまま、彼をじっと見つめ続けた。