12
店の中に入ると、予想外にも饐えた臭いなどはしてこなかった。
確かどこかしらのバザールのようなところで通りがかった時は、奴隷たちが何日も身体を清めていないのか、そんな匂いがしたのだが、どうやらこの店はそこら辺はしっかりとしているらしい。
寧ろ少しいい匂いがする気がする。流石は女性が管理しているお店だ。
この店の店主…彼女の名前はメリッサ。
エルフ族にも関わらず奴隷商という職をしているなんとも珍しい女性。
今、マインは従業員ではなく、店の主たる彼女に店を案内されているわけなのだが…。
「…で、こっちの娘は胸が大きくて…。」
「は〜い、僕〜。」
「……。」
「で、こっちの娘はロリっ子。」
「う、うふ〜ん…って、やっぱりダメです。わ、忘れてくださいっ!!」ブンブンブン(顔を真っ赤にして手を振る擬音)。
「………。」
「で、こっちの彼女は上がスレンダーなんだけど、お尻が大きくてムチムチの安産型というなんともエッチな…。」
「ハアハア、カッコ可愛い…ハアハア…わ、私をご主人様の奴隷にしてください…ハアハア…。」
「…あ…うん、この娘は忘れて…。(ああ…この娘ってショタ属性持ちだったのね…なんかハアハアしてるし…こわっ…。)」
「…………あの…メリッサさん…僕が言ったこと覚えてます?」
「?…コントロールできないくらい暴れ馬な下半身にも耐えられるくらい凄くエッチな奴隷がほしいだったかしら?」
メリッサのその言葉に周りのお姉さんたちはきゃーきゃーと黄色い悲鳴を上げ始めたが、マインは額に手を当てる。
「…違いますって、僕は…。」
マインが顔を上げると、そっとマインの唇に指先を当てて、それを遮るメリッサ。そして…。
「わかってるわ。ちゃんとね。戦闘用奴隷がほしいのでしょう?あなたからだけじゃなくて、今朝、ミラちゃんから聞いたわ。…それにもう十分わかったし…さあ、こっちよ。」
「え?わかった?何がです?」
マインのその問いに対する答えはなく、どんどんと階段降りて、下へと進んでいき、メリッサの言葉の後から聞こえ始めた「あれ?性奴隷買うんじゃないの?」というような惜しむような声はどんどんと遠ざかっていく。
すると、降りた階。そこは先ほどよりも薄暗く、さらには堅牢な檻の集まった場所となっていた。
…というか、これは完全な牢屋だな…うん…。
匂いもどこか甘い匂いようないい匂いから、冒険者ギルドの中にいる時のような馴染みのあるそれへと代わったのがなんとなくわかった。
そして、そこはなぜかガランとしていて、1人も奴隷はなく……なく…って、ん?
…あれ?なんか1人だけいるような…。
実のところ、メリッサはその階を通り抜け、さらに先の階段へと向かっているのだが、そんなことを知らないマインはここが目的地だと思い、暗がりの中、マインの目にはスクワットのような動きが窺え、思わず脚を止めた。
それは無音、さらには凄まじいスピード故に気づくのが遅れたのだろう。
…そこにいたのは全身汗だくの上半身裸の筋肉質なイケメンだった。
「やあ、メリッサさん。おや、そちらはお客さんかい?」
汗の様子から随分と長い間、激しい運動をしていたはずなのに男は息一つ乱れた様子なく、そうマインが付いてきていないことに気がつき、引き返したメリッサに尋ねた。
「…ええ、そうよ。ビリゲイ。ちょうどこの前、戦闘用奴隷がほとんど売れちゃってね。今、ここにいる戦闘用奴隷は彼だけよ。彼は優秀だけど……色々と特殊だから買い手がつかなかったのよね…。」
メリッサがどこかこんな商品どう売ればいいのよ…というように、色々と特殊?という言葉にマインは引っかかりを覚えたが、気の所為だと割り切り、ビリゲイなる男と向き合うマイン。
すると、彼はマインの元へと近づいてきて、なんとも優しいお兄さんの如く、笑顔で頷く。
「ふむふむ。これはこれは。」
「……うわぁ……。」
…そして、なぜかビリゲイの反応に、先ほどのスポーティーな女性のときどころではないレベルで引くメリッサ。
マインがそんなメリッサを見ていると、彼女は嫌気でも振り払うようにブンブンと頭を振ってから、説明してくれる。
「えっと…マインくん、彼はビリゲイ。元はとある都市の警備隊長をしていた猛者。確か冒険者としての推定ランクはBだったかしら?」
「ハッハッハッハッハッ!もう随分と鍛えているのだけどね。まだまだ精進が足りず非才の身を恥じるばかりだよ。君はマインくんと言うのだね、よろしく。」
「はい、こちらこそ。ビリゲイさん。」
両者が交わす握手。
…そして、それにメリッサはさらに引く。
「うわぁ…可哀想に気に入られちゃったわ…。」
こんなわけのわからないメリッサの反応の数々に彼女のお家芸的ななにかだろうと思い、またまたマインは流すことにすると、ふと気になったことを口にする。
「それにしても…警備隊長さんですか…なぜそんな人が奴隷に?」
マインの言葉にすぐさまメリッサは固まった。そして、口を開くと…。
「えっ………えっと…それは…。」
…それはなんとも歯切れの悪い言葉が出てくるのみ。
そんな彼女に代わって、ビリゲイはなんとも真剣な表情を作ると、今ようやくマインの手を離して、自分の顎に手を触れた。
「それはね…マインくん…。浅ましくも僕の愛が深くなかったからさ。」
遠い目で呟く彼のその言葉にメリッサはあちゃ〜と額に手を当てるが、そんなことには気がつかず、ビリゲイは続ける。
「僕はかつてある団員と愛し合っていた。それは僕にも妻、彼にも恋人がいたから、もちろん浮気なわけだけど…。」
「え?え?え?」
それからも話は続き、僅かばかり聞いただけに過ぎないにしても、マインは大混乱。
か、彼?う、浮気?こんなしっかりとしてそうな人が?確かこの人、警備隊長だったんだよね?
そして、なぜメリッサの反応が芳しくなかったのか、なんとなくわかり、彼の手が届かないところへと、少し牢屋から身を離すマイン。
マインが混乱していたその間もどうやらビリゲイの話は続いていたらしく…
「つまりは妻や襲われたと証言した彼への慰謝料が僕の財産だけではどうにもならなかったから、自分の身を売ったというわけさ。どうだい、マインくん?僕の売り込みは中々のものだろう?ということで、君みたいな可愛い男の子は大歓迎さ。フレンドとして僕を買わないか?」
…と話は結ばれた。襲われたというワード。そこから考えるフレンドの意味なんて考えるだけでも恐ろしい。もちろんマインはノーマルなのだから。
だから、当然、マインの反応はというと…。
「す、すいませんでした!!」
…全力で頭を下げた。
なにせ魔物退治なんかに行けば、もう常に前門の虎、後門の狼。ダンジョンなんか考えたくもない。
男は皆狼…とは言うけれど、共食いするようなやつは勘弁してほしい。
それもマインに興味がないならまだしも明らかにメインターゲットとして認識しているなら尚更だ。
そんなマインの反応にビリゲイは気を悪くした様子なく、爽やかに、そして少し残念そうに言葉を発する。
「ハハハッ!!なんだ…君はノーマルのようだね…。少しがっかりだ。」
「すいません。はい、ノーマルなので、僕、女の子大好きです!!(まあ、正直そこら辺はよくわからないけど、ここでは強くそう言っておこう!!)」
「…うん、それなら今のことは忘れてくれ。無理矢理は趣味じゃないからね。じゃあ、興味が出たら、買いに来ておくれよ。」
「えっと…ま、まあ…あは…あははは…。」
ここまで聞きたくなかったけれども、話を聞いてしまった以上、そんなことはないとはっきりと断るのが憚られ言葉を濁すマインをビリゲイは手招きしたので、マインは思わずそれにつられて、檻の前まで行くと、メリッサに聞こえないような小声で話し始めた。
「…たぶん僕が目当てじゃないということは、君はこの奥の子を見に行くのだろう。どうやらメリッサさんは君を買っているらしい。なに、少し気難しいかもしれないけど、下の子たちもいい子だから安心するといい。それじゃあ、またいつか。」
そう言い残し、再び檻の奥へと去っていき、スクワットを始めるビリゲイ。
それからマインがメリッサのもとに戻ると、メリッサはどこか心配した様子で聞いてくる。
「…大丈夫?何してたの?もしかしてキスでもされた?」
いや、メリッサさん、キスって、あのね…というか、そんな心配するなら止めてくださいよ…。
「…いいえ、奥の子を頼むって…。」
マインがそう口にした瞬間、メリッサが目を見開いたのがマインにはわかった。
「っ!?」
すると、すぐにメリッサは目を伏せ、「そう…バレていたのね…それなら…。」と呟き、さらに奥へと先行し、なにもないと思われた壁の向こう…階段に掛けていたらしい幻術を解き、もう1階ほどフロアを降りると、そこには重厚な鉄の扉があった。
鍵を開けたメリッサがマインを招き入れる前に説明してくるからと、マインをその前で待たせ、自分だけでその部屋へと入っていく。
―
メリッサがドアを開けると、そこにいたのはフードを被った仮面を付けた女性。
一目見ただけではほとんどの者にはわからないだろうが、店主であるメリッサは知っている。隠し部屋の主、彼女はエルフだ。
「…メリッサ、遂に私を買うような客が来たのか?」
「ええ、そうよ。」
彼女は沈黙の後、短く笑う。
「……ハハッ……いったいいくらだろうな?エルフというやつは高く売れるのだろう?金貨500?それとも1000か?ハハッ…高く売れるといいな。なあ、メリッサ。」
死んだ目の彼女の態度は全てを諦めた自暴自棄なそれ。
メリッサ自身、彼女の身に降り掛かった出来事にかなり同情してはいるが、そんな以前の彼女ならしなかったような巫山戯た態度がなんとも彼女を苛立たせる。
「…自惚れないでほしいわね、小娘。あんたなんて金貨1枚でも高いわね。奴隷のランクとしては、最低も最低ランク。あんたなんて何に使えばいいの?」
メリッサのこの言葉に彼女の瞳には怒りが滲み出した。おそらく彼女のなけなしのプライドを刺激したのだろう。
「…なに?」
と、怒りを滲ませた呟き。
「あら聞こえなかった?貴様なんてババアやジジイより価値が低いと言ったのよ、お・じょ・う・ちゃ・ん?」
「……っ!!」
一拍の後、彼女が感情を爆発させ、ブチキレるのがわかったメリッサは悪い笑顔を浮かべながら、部屋を出た。
そして、メリッサがマインに向き合った頃合い…。
『貴様ーーーっ!!メリッサーーーーーーっ!!!』
…なんて喉がちぎれんばかりの声が聞こえてきた。
ふう…一仕事終えた気分…。
メリッサがどこか満足そうにしていると、視線を送ると、マインが苦笑いを浮かべていた。
「あの…メリッサさん、なんか中の人怒ってるみたいなんですけど…僕、あそこに行くんですよね?」
不安そうなマイン。それはとても可愛いらしく、それを見たメリッサは抱き締めたい衝動に駆られたが、そこはプロ。
なんとか耐えて……ほんの少しハグをする程度にとどめた。




