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その日の夜、屋敷の食堂で、ハルバは事務員たちと食事をした。急に背が伸びたみたいいだと数人に驚かれ、鏡の前に立ってみると、確かに背が伸びたようだった。
カシャンボはある年齢になると、一気に成長するらしいので、その血のせいだろう。ハルバはみんなに見せたら驚くぞと、友人の顔を思い浮かべ、少しほほ笑んだ。
ちょうど全員の食事が終わる頃、それを見計らったかのように、ヨアとリアが食堂に現れた。ハルバと話がしたいのだと言う。事務員たちは遠慮するようにそそくさと去り、すぐに三人きりになった。
一体何の話をするのだろうと座っていると、ヨアがまず席を立ち、三人分のお茶を運んできた。ハルバは眉を顰める。昼間にヨアが言っていたのは、このお茶のことだろうか。
ヨアは、ハルバと話がしたいといった割には、口数が少なかった。その分、リアがよく喋った。最近の屋敷の手入れの話や、瓜呪族の村での生活の話、エノキの仕事の話など、話題はころころと変わった。
しかし、ハルバの注意は常にお茶に向いていた。ヨアは何度かお茶に口をつけたが、リアは口をつけない。何か意味があるのだろうか。
一度、ヨアにお茶を進められたが、カップを口に運ぶふりをし、難を逃れた。
結局、何事もなくその会は終わった。リアは機嫌よく、そしてヨアはいつも通り難しい顔で彼女らの部屋の方へ消えた。有用な話ができたとは思えなかった。
自室に戻ったハルバは、いったいどういうことだか分からないまま、部屋の明かりを消した。
今夜、あと数時間したら、句朗たちとの約束の時間になる。屋敷のみんなが寝静まるまで、じっとしているつもりだ。部屋の明かりがついていたら怪しまれる可能性があるため、真っ暗にして椅子に座り、その時を待つ。
あと少しで約束の時間だという頃、部屋の外で足音がした。近くには事務員たちの寝室しかないため、彼らのうちの誰かか、彼らの部屋に用がある誰かだろう。
ハルバは内心舌打ちをして、静かな足取りでベッドにもぐりこんだ。足音の主が万が一自分の部屋を尋ねに来た場合、寝たふりをしておくべきだと考えたからだ。静かな部屋に布団のこすれる音が大きく聞こえ、ハルバは焦る。なるべく早く体勢を整え、じっとすると、何も聞こえなくなった。
先ほどの音からして、足音の主は近くにいるはずだ。立ち止まっているのかもしれない。ハルバは目を開け、耳を澄まして様子をうかがう。
部屋の扉の取っ手がガチャリと回り、心臓が飛び出そうになる。足音の主は、自分の部屋の前にいたのだ。
扉がゆっくり開くのを見て、ハルバは慌てて目を閉じる。自然な寝息を作り、身体からなるべく力を抜く。
侵入者は、音を立てないように動いているようだ。まるで、ハルバを起こさないように行動しているように思える。いったい誰が、何のために忍び込んだのだろう。
ハルバは、今頃屋敷の外に到着したであろう句朗たちのことを思い、歯がゆい気持ちになった。
眠り込んでいる演技を続けながら、ハルバは侵入者の情報を掴もうとする。しかし、侵入者が部屋のどの辺にいるのか、また何をしようとしているのかは、分からない。
急にベッドが沈んだ。足元に侵入者の体重がかかったのだ。一体何をしようとしているんだ?
眠っている間に、枕元に贈り物でも置いてくれるのであれば、目を覚ますのも野暮だが、そんなはずはないだろう。
またベッドが沈む。今度は肩の横あたりだ。
侵入者が、四つん這いのような形で自分の上に乗っている様子が思い浮かぶ。恐怖で上手く呼吸ができない。意識して長めに息を吐きながら、自分の恐怖を抑えようとする。
相手の息が、顔にかかる。
殺される!
ハルバは、相手を突き飛ばすようにして、飛び起きた。相手が扉の傍にいるので、部屋の反対側へ逃げる。
侵入者はよほど驚いたようで、よろよろと立ち上がるとベッドに捕まり息を整えた。
「ハルバ……」
ヨアの声だった。
「なぜ」
戸惑いの混ざった声で、ヨアが言う。
窓の外の明かりで、彼女の手元が見える。
縄を持っていた。 縄で、何をしようとしていたのだろうか。
ヨアがその縄を取り落とす。床に落ちた縄が、ばらんと音を出す。
次の瞬間、ヨアはこちらに突っ込んできた。
彼女の、歪み、悪意がむき出しになった表情が視界に飛び込む。ハルバは大きく目を見開き、頭が真っ白になる。
気づけば、床に倒れていた。なんとか避けたみたいだ。ヨアの方を見上げると、隠し持っていた刃物を手に、突っ立っている。
ハルバは倒れたまま、後ろに這う。ヨアがこちらを素早く見る。殺意に満ちたヨアの顔は、恐ろしいが、ひどく哀れに感じた。不思議なことに、ヨアはすぐに襲い掛からず、二、三度、空に刃物を振った。
部屋の扉を何度も確認している。
様子がおかしい。ヨアの方を見るのに必死だったハルバは、ようやくその理由に気づいた。自分の身体が、透明になっていたのだ。
カシャンボの血が半分しか流れていないため、その体質を引き継いではいないのだと、思っていたが、土壇場でそれが使えるようになったみたいだ。
ヨアもそれに気づいたらしく、部屋全体に気を配りながら、じりじりと扉の前へと移動している。
ハルバはヨアが別のところに視線を向けた隙に、素早く机の上にあったペンを手に取り、反対側の壁へ投げた。
物音に注意を逸らされたヨアを突き飛ばすようにして、部屋の外に飛び出る。助けを求めて声を上げるべきか迷ったが、誰が信用できるのか分からない。自分の居場所がばれる危険を負うくらいなら、姿が見えない利点を活かして、このまま逃げた方が良い気がした。
ハルバの頭には、エノキのことが思い浮かんだ。何とかして会いたい。
後ろから、ヨアが追ってくる音がする。どこへ逃げるべきだろうか。
正面玄関からではなく、どこかの部屋の窓から逃げるべきである気がしたが、そこで句朗たちのことを思い出した。彼らのことを考えると、ヨアを屋敷から遠ざける方が良いだろう。
ハルバは玄関の前の広間まで来ると、壁に背をつけ息を止め、ヨアと向かい合う。鼻からゆっくり息を吐き、呼吸を整える。ヨアはすぐに到着したが、ハルバが見えず、苛立ったように手を振り回している。
二人の根競べはしばらく続いたが、ヨアはハルバが既に別の場所へ移動したものと思ったのか、ゆっくりと奥の廊下へと消えた。
ヨアが去ったことを確認すると、ハルバは左の袖をまくり、腕の内側に爪を立て、『ヨアに殺される』と書いた。
ハルバの左腕の内側は、エノキの左腕とくっつけて術がかけてある。宮殿及び蒼羽隊本部で、何か事件があった時にそれぞれすぐ連絡がつくように、二人だけの秘密で、術をかけているのだ。
エノキは寝ているかもしれないが、痛みで目を覚ますはずだ。今ハルバの腕は見えないが、きっと爪でひっかいた部分の皮膚が腫れ、赤く文字が浮かび上がっているはずだ。エノキは自分の腕を見て、すぐに助けに来てくれるだろう。
少し落ち着いたハルバは、玄関の扉を静かに開けようとした。
ここを開けておけば、ヨアはハルバが外に逃げたと思うだろう。そうすれば、句朗たちの助けになるはずだ。
ハルバが開けた扉の向こうに現れたのは、勝ち誇った顔でこちらに腕を伸ばすヨアだった。




