7-20
雲が動いて影を作ったのかと思ったが、それにしては暗すぎる。四蛇が空を見上げると、そこには巨大な黒いものがあった。
そうだ、今日は『通り日』だ。
油隠には、一年に一度、だいだらぼっちが歩いて横切る日がある。『通り日』と呼ばれ、透と呼ばれる昔の呪師や、決まりを守ってくれるだいだらぼっちに感謝を示し、家族で集まったり、だいだらぼっちに因んだ飾りつけをしたりする日である。
この偶然が、何かの形で良い方に転んでくれないだろうか。四蛇は願う。
だいだらぼっちはあまりに巨大で、ここからだと膝のあたりまでしか見えない。彼らははるか昔の取り決めで、決められた場所を歩くのだ。ここからザムザを挟んで向こう側辺りに、だいだらぼっちが足を下ろす場所があるはずだ。
よそ見していた四蛇が前方に視線を戻すと、向こうに男が見えた。目を細めて男の顔を確認した四蛇は、慌てて足を止め、どこへ逃げるべきかと必死に見回す。
「なに?どうしたんだ?」
後ろから追う又旅は、状況を飲み込めずに尋ねた。
「庵或留がいる!」
四蛇がもう一度そちらを見ると、庵或留はこちらを見下ろすようにして、ものすごい速さで近づいてきた。不自然なほど背が高い。庵或留と目が合い、その迫力に気おされたた四蛇は、又旅のところへ駆け戻り、腕を掴んで強引に走り出した。
「待て、四蛇、何もいないぞ」
四蛇はもう一度振り返る。庵或留が恐ろしい顔でこちらへ迫ってくる。
「あれが見えないのか?」
「まずい」
後方から、スムヨアが迫ってくるのが小さく見える。
「おそらく、幻覚だ」
又旅は四蛇の腕を振りほどき、先ほど四蛇が指さした方へ、突進した。四蛇は必死で引き換えすよう呼びかける。又旅は庵或留を前にしても動じず、そのまま彼にぶつかったかのように思えた。
しかし、彼女は庵或留の後ろから「お前も来い!」と呼び掛けた。本当に幻のようだ。彼女は庵或留の中を通り抜けて行ったのだ。二人の悶着をじれったそうに見ていた茶々が、彼女に続く。
「早く!」
又旅が急かすと、やっと四蛇は駆けだした。
四蛇がついてくるのを確認した又旅は、走りながら納得した。これは蜃の術だ。やはり、ヘドリアを名乗るあの女が魚冥不だったのだ。
だいだらぼっちの影で、あたりは夜のように暗い。
通り日にだいだらぼっちの影に入るのは、初めての経験だった。遠くの方には青く明るい空が見えるので、不思議な感覚だ。
その時、小さな地響きと共に、低く唸るような音がした。その音は、耳と言うよりも、身体の芯で感じる音だった。本能で危険を感じ、又旅は気を引き締めて警戒する。その音は次第に大きくなり、地面が揺れだした。
だいだらぼっちが足を踏み下ろしたのだ。通り日には、だいだらぼっちの近くで地震が起こるというのは、本当だったのだ。
又旅は立っていることができず、しゃがんで地面に手をついた。
四蛇の方を振り返ると、テントに乗ったスムヨアと女が、すぐそばまで迫ってきている。
四蛇はこちらが見えないらしく、がむしゃらに腕を振り回し、何かを掻き分けるような仕草をしながら、走っている。おそらく、彼にかけられた蜃の術により、幻影に行く手を塞がれているのだろう。
このままでは、追いつかれてしまう。
何か手立ては…。又旅は途方に暮れた。
やがて地震が収まった。しかし、揺れが収まってしばらく経っても、低い唸り声のような音は、消えない。これはいったい何の音だ?
「四蛇ァ!」
男の声がする。
低い音は近づくにつれて、小気味よいエンジン音に変わった。砂煙を上げながら近づいてくるのは、あれは、九頭竜国の遊型車だ。五台くらいの遊型車が、横並びで近づいてくる。
先頭の遊型車のハンドルが、特殊な形状をしているのが見えた。四蛇は、まさか、と思った。
「何だ?」
又旅は戸惑う。
遊型車は勢いを落とさず、四蛇とスムヨアたちとの間に割って入った。
先頭の男が、四蛇に手を伸ばして、「早く乗れ!」と叫ぶ。
「う、潮?」
四蛇は驚きながらも、その男の後ろに飛び乗った。あっけに取られている又旅に、別の男が呼び掛けた。
「あんたも!」
又旅が茶々を探して辺りを見回すと、茶々は素早く駆け寄り、又旅の胸元に飛びついた。又旅は茶々を抱え、その男の遊型車の後ろに跨った。
遊型車はくるりと旋回し、その場を離れる。後ろから、スムヨアの叫び声が聞こえてくる。平原をまっすぐ突き進み、十分に離れたところで、又旅は後ろを振り返る。
遥か遠くで、スムヨアと思われる人影が、両手を天に掲げているのが見えた。




