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茶々に憑いた又旅は、軽やかに扉のところへ戻り、器用に扉を開けると、隙間から身体を滑り込ませた。
扉の先は真っ暗だが、広いようだ。山彦の目は、人間の目よりも暗闇に強い。又旅は、その部屋が、庵或留の屋敷の地下で見た部屋と、よく似ていることに気づいた。
中心に寝台があり、壁には大きな棚が並んでいる。棚に近づいてみると、乱雑に物が置かれており、その中に、箱に入ったワロドンののど骨と思われるものがあるのを見つけた。
その広い部屋は、奥に折れるように続いており、その先に階段を見つけた。階段から上を見上げると、ほんのりと明るくなっている。
しかし、茶々の背丈では、階段の上がどうなっているのか、全く見えなかった。
又旅は物音を立てないように気を付けながら、階段を上がり始めた。
途中で、階段の上に人影が見えた気がして、動きを止める。
目を凝らしてもその人影に動きがないため、耳を澄ませながら、またそっと足を進める。階段の一番上は、廊下になっていた。左右に通路が分かれているが、左手に大きな黒い扉があり、その扉の下から明かりが洩れている。人物の影は、その扉の前にあった。
その影がいつまで経っても動かないため、又旅はゆっくり顔を出した。
その横顔が見えるところまで近づくと、彼女は驚いて駆け寄った。
「名曳」
名曳は、まるで人形のように脱力していた。ぐったりと椅子に座っている。
「名曳、わしだ。分かるだろう?」
膝に飛び乗り、名曳の顔を見上げる。
名曳の目は焦点を結ばず、又旅を見つめ返すことはない。
「名曳」
声を抑えながら必死で呼びかけるも、名曳にはまるで、何も聞こえず、何も見えていないようだ。
「あれ?山彦がいるよ」
背後から聞こえたその声に、又旅は飛び上がり、慌てて名曳の後ろに隠れた。
廊下の反対側から現れたその人物は、名曳のところまで来ると、又旅のことを上から覗き込んだ。
目有と同じくらいの歳だろうか。少女のように可愛らしい女性だ。しかし、声がするまでは気配もなかったし、足音もしなかった。いや、名曳との再会に夢中で、気が付かなかっただけか。
山彦のふりをするべきか、名曳への呼びかけを続けるべきか。又旅が迷っていると、もう一人の女性が、後ろからやってきた。
その顔を見て、思わず又旅が呟く。
「スムヨア」
又旅の声を聞き、彼女の顔が硬直した。
「アノア?」
彼女は小さく呟く。警戒心の詰まった声だった。
急に、名曳が糸でつられたように背筋を正し、その目ではっきりと又旅を見た。
「名曳」
又旅はまた名曳の名を呼んだが、じっとこちらを見つめるのみで、反応がない。
「え?アノアなの?」
初めに現れた女性が、無邪気にこちらへ手を差し伸べる。又旅はそれをかわすと、スムヨアの足元へ行った。
「スムヨア、わしのことが分かるか?名曳の様子がおかしいんだが、何があったか、教えてくれないか?」
又旅は、今度は必死にスムヨアに呼びかけたが、再会を喜ぶような空気ではないことが、すぐに分かった。
スムヨアの様子も、どこかおかしい。何かを考えているのか、落ち着かない様子で視線をきょろきょろ動かし、顔を強張らせたまま、スムヨアはゆっくり後ずさる。
正体を明かしたのは間違いだっただろうか。又旅は不安に駆られた。空気が張り詰める。
「まあまあ、久しぶりなんだから、ゆっくり話せばいいよ」
もう一人の女性が、又旅とスムヨアの間に割って入り、こちらが思わずほっとするような笑顔を浮かべた。この娘なら、もしかしたら話が通じるかもしれない。又旅はその女性に向き合った。
「いきなり悪かった。はじめまして」
又旅はとってつけたように、早口で挨拶した。
「お前さんは、スムヨアの友達かい?」
その言葉に、少女のような女性は口をとがらせる。
「あ。ひどーい。ヘドリアだよ。忘れちゃったの?」
又旅は混乱した。
スムヨアの妹のヘドリアは、どんこの娘で、センポクカンポクの血が半分流れている。幼い頃のあの子を、今もはっきり覚えている。こんな顔ではないはずだ。見た目も、仕草も、話し方も、別人だ。娘の言い方だと、まるで古い知り合いのようだが、知り合いにヘドリアという名前の人物は一人しかいないのだ。
「悪いが……わしの知っているヘドリアとは、印象が違ったもんで……」
「うるさいうるさい!」
突然、スムヨアが叫んだ。頭をかきむしったかと思うと、今度は上半身をがむしゃらに動かし暴れ、それから又旅を睨んだ。
激しい悪意を感じ、又旅は反射的に名曳の膝に飛び乗る。
「殺してやる。殺すしかない」
興奮のあまり、スムヨアの目がぎょっと飛び出している。普通ではない状態に、又旅は自分の毛が逆立つのを感じた。話は通じなさそうだ。
「ヨア、落ち着いて」
ヘドリアを名乗る女性がなだめる。スムヨアはわずかに理性を取り戻したのか、はっきりした口調で「お前たち、向こうへ行っていなさい」と言った。
それを聞いた名曳がすっと立ち上がり、その拍子に又旅は床に転げ落ちる。
「名曳!」
必死で名前を呼んだが、やはり反応はない。
名曳は、無言のまま両手を又旅の方へ差し出してきた。又旅が動かずにいると、その身体を掴み上げ、突き出すように遠くへ放り投げた。
「二度と私の前に現れるな!」
名曳の放ったその大きな声は、又旅の身体を貫いた。
名曳はヘドリアを名乗る女性と共に、黒い扉の向こうへ消えた。上手いこと床に着地した又旅が追いすがろうとしたが、間に合わず、廊下には扉の鍵をかける音が響いた。
スムヨアが、大きな声で笑い出す。ぎょっとして振り返ると、目が吊り上がり、恐ろしい顔をしている。又旅の知っているスムヨアの面影はなく、まるで別人のようだ。
彼女は笑いすぎて苦しくなったのか、おなかに手を当て、椅子に手をついて身体を支えた。目の端に滲んだ涙を指で拭いながら、今度はこちらに向き合い、じりじりと又旅との距離を縮める。
隙をついて逃げようと、階段の方をちらりを見たが、スムヨアはそれを防ぐように、姿勢をかがめ、手を広げる。彼女の歪んだ笑顔に、気味の悪い矛盾を感じる。この子は何かがおかしい。
スムヨアの手が、又旅に迫る。捕まったら殺される。又旅は彼女の指を避け、壁に背中をつくと、限界まで身を引く。
今にも掴まれそうなところで、ゴツンと、痛そうな音がした。
スムヨアの身体が、その場に倒れる。彼女の後ろには、両手でカンテラを持った四蛇がいた。
「早く!」
又旅はすぐにムネンコの術を解き、自分の身体に戻ると、巣穴の方から扉へ向かった。ちょうど中から四蛇と茶々が出てくるところだ。扉を閉じて布を掛け、鍵の術をかけなおす。
二人と一匹は巣穴へ戻ると、荷物を引っ掴み、走ってそこを去った。横道が見えなくなるまで離れてから、歩みを止めないまま、又旅は起こったことをかいつまんで話した。
「どういうことだ?名曳はどうしちゃったんだ……?」
話の不可解さに、四蛇は困惑する。
しかし、ゆっくり意見を交換する暇はなさそうだ。
「スムヨアが追ってくるかもしれん。横穴まではできるだけ眠らずに、歩き続けた方がいい」
それから二人は、体力が果てるまで歩き続けた。頭の中では考えがぐるぐるしている。話し合いたい気持ちはあったが、嬉しい話ではないため、気力が削がれるのを懸念して、黙々と進むことにした。
初めに茶々が足を止め、地面に丸まり意思表示した。足を引きずるようにして歩いていた四蛇が、それにつまずきそうになる。又旅が茶々を抱えてしばらく歩いたが、やがて地面に倒れ込んだ。
一度休むことにして、泥だらけの寝袋を広げ、巣穴の端に避けて眠った。順番に見張りをするべきかとも思ったが、四蛇の眠気も限界だった。
四蛇は眠りに落ちる直前、「わし、あんなに嫌われとったんだな」という又旅の呟きを聞いた。




