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HUE ~だいだらぼっちが転んだ日~  作者: 宇白 もちこ
第六章 句朗
58/124

6-4

 あたりが少しだけ静かになった。隣の男も、肉を食べる手を止めた。

 油隠様を見たという男は、恐ろしそうに自分の腕を抱いている。


「姿は見たのか?」

 誰かが尋ねた。


「それは見てねえ」

 数人が薄い笑いを浮かべ、背中を向けた。作り話だと思ったのだろう。


「でも、聞いたんだ。油隠様の声をよお」

 また注目が集まる。


「耳元で!おっきな声で!笑い声が聞こえたんだよお」

 半分くらいの人が、自分の席へ戻って行った。

 白けた空気なのは、男の話を信じていないというよりも、油隠様への畏怖で酔いが冷めたからかもしれない。


「本当だ、あの時の俺の様子を見れば、本当だってわかるさ。俺、連れていかれると思って、縮み上がって、泣いちゃうところだったよ」


 入は肯定も否定もせず、ただ肩をすくめた。


「おい、そんな嘘っぱちを話していいなら、蒼羽隊のボウヤたちにあの話をしてやれよ。おーい」


 野次馬のうちの一人が、誰かを呼びにいった。呼ばれた男は、医者だと名乗り、入と句朗を珍しそうに眺めた。男は話をするのを、はじめは遠慮したが、周りの連中に勧められ、信じなくても構わないが、と前置きしてから話し出した。



「俺が昔、庵霊院の門前市の診療所で働いていたときのことだ。


 たまたま俺一人しかいない時間に、満身創痍の蒼羽隊の男が訪ねてきたんだ。男は、千切れかけた左腕を、右手で押さえながら、診療室の外から俺を呼んだ。俺は慌てて男をベッドに寝かし、治療をしようとしたが、ちょうど蒼羽隊が長期滞在して煙羅国へ帰った直後で、呪術のかかった医療道具や薬が切れていたんだ。


 このままでは死んでしまうと思った俺は、庵霊院への浮分紙を使って、死にかけの蒼羽隊を拾ったと伝えた。庵霊院の人間が駆け付けるまでの間、俺はその男の話を聞いてやった。


 その男は、『俺は一度死んで、生き返った』と言った。

 興奮しておかしなことを言っているんだと思って、宥めるつもりで、黙って話を聞いてやったんだ。


 そいつが言うには、門前市の外れで、憑き物に殺されたらしい。大型の憑き物に踏みつぶされて、腕は身体から完全に切り離され、腹には大きな穴が空いたらしい。仲間は、男を死んだと思い、置いて行ったのだろうと言った。


 ここまで自力で歩いてきて、先ほどから元気に話している男を前に、そんな話は信じられるはずがなかった。

 ただ、血で真っ赤なのでその時まで気づかなかったが、念のため腹を診てやると、服が破れていて確かに皮膚にも大きな亀裂があった。


 ただ、その亀裂の表面は、薄い桃色の膜が張っていた。傷が治る時のやつだ。随分前の傷が、治りかけているように見えた。

 こいつは、死ぬような経験をして混乱し、少し前の記憶と混同しているのかもしれないと、俺は思った。


 男が言うには、憑き物に殺された後、気絶し、その気絶している間に腹の穴は塞がり、腕がくっ付いたのだそうだ。それからやがて立ち上がれるようになって、診療所まで歩いてきたんだと言う。


 俺は、男の言うことを真に受けてはいないが、蒼羽隊と関わった珍しい経験だったこともあって、ずっと覚えているんだ」



 入はさっきよりもさらに興味のない顔だ。まるで信じていないのだろう。


「後日談もある。この近くで、俺はその男と再会したんだ。だが、あの男は俺のことを覚えていなかった。聞けば、蒼羽隊はたまに記憶を失くすらしいじゃないか。だから、あの男が話したことは、俺しか知らないんだ」


「その蒼羽隊の名前は?」

 句朗が尋ねる。


「ヒューだか、なんだかと名乗っていたな」


「火湯?」


「ああ、そんな名だ」


 句朗と入は視線を交わす。『不死の蒼羽』という、火湯の二つ名を思い出した。


「ああ、美味かった。結婚してなかったら、こっちに住むんだがなあ」

 隣の男が口をぬぐいながら、しみじみ言った。


「俺は布雲も好きだけどね」

 はす向かいの男がこぼした。


「狸や狐がいないだけ、どこだってましさ」

 隣の机から、疲れ果てたような声が聞こえた。どの土地から来た人だろうか。


「俺んどこはテンとシイがいるぜ。鵺だっている」


 油隠の外の話は刺激的で、面白かった。

 油隠の憑き物とノウマの話しかり、当人らにとって深刻な問題でも、部外者から見ると、面白おかしい物語なのだ。

 句朗は、この間のアマビエの任務から暗く沈んでいた気持ちが、少し軽くなった気がした。


 窓の外の暗さに気づき、入と句朗は慌てて店を飛び出した。

 憑き物とノウマについて、外の人間の意見を聞いてみたくて話し込んでいたら、あっというまに夜になってしまったのだ。

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