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HUE ~だいだらぼっちが転んだ日~  作者: 宇白 もちこ
第四章 句朗
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4-9

 翌朝、一行はアマビエの元へ発った。人の行き来がない場所であることもあり、道は険しかった。岩場を歩き、川を越え、森を進んだ。昨日は体を動かしたくて仕方がなかったのに、目的地へ着くころにはすっかりくたびれてしまった。


 アマビエの住処は、巨大な美しい入り江だった。こんなところに住んでみたいと、夢見るほどの景色だと思ったが、そこへ足を踏み入れた時から、いたるところからの歓迎されない視線を感じた。


 一行は、身の危険をひしひしと感じ、互いに体を寄せながら、浜辺の真ん中を進む。海の近くまで来ると、狛季が、他のみんなにそこで待つよう指示して、一人で海の中へ歩いて行った。

 腰のあたりまで水に浸かると、「アマビエ殿」と呼んだ。その声は静かな入り江に響き渡り、句朗はわずかに緊張した。


 しばらく待っていると、狛季の少し前の水面が、明るくなった。海の底から光が浮かび上がってきているようだ。


「アマビエ殿、話をきいていただけないだろうか」


 しかし、アマビエが姿を現す気配はない。


「供え物を献上させてください」


 狛季がそう言うと、果物を持ってきていた朧と夜味が前に進み出て、それを地面に広げて置いた。しかし、やがてアマビエの光は波に揺れて、消えてしまった。狛季が何度か呼びかけ、しばらく待っていたが、静かな入り江に変化が訪れることはなかった。


 一行はいったん諦め、入り江から離れることにした。入り江から遠ざかると、平らなところにテントを張り、仮の拠点を作った。順に見張りを立て、休んだり訓練したりして各々の時間を過ごす。


 句朗は、入と獏の話をしたかったため、彼女を散歩に誘った。ちょうど朧に話がしたいと声を掛けられたところだったが、入と二人きりで話す機会がしばらくなさそうだったため、申し訳ないが、断った。テントを離れようとしたところを狛季に見つかり、入り江の方を見に行くよう頼まれた。すでに陽は傾いていて、飯の準備をし始める時間だった。


 夕暮れの入り江は、息をのむほど美しかった。夕陽が水面を輝かせ、目を開けていられないほど眩しい。小さな生き物が砂の中から頭を出したり、引っ込めたりしている。波の音まで、さらさらと美しい。


 景色に見とれていた句朗だったが、時間のあるうちにと、無事に獏に会えたという話を入にした。しばらく話に集中していた二人だが、入が何かに気づいた。視線の先を辿ると、水面が光っている。その光は、水の深いところから差し込んでいるようだ。アマビエだ。


 そのぼうっとした光は、まるでこちらを待つようにじっとしている。近づいてみると、その光が右の方へ動いた。追いかけると、また動く。ついて来いということだろうか。狛季たちを呼ぶべきか迷ったが、この場に一人だけ残るのは危険だと思った。しかし二人とも戻ると、アマビエを見失うかもしれない。二人は、いったんアマビエを追いかけることにした。


 その光は、入り江を回り込んで岩場の方へと二人を誘った。岩場は滑りやすく、這うようにして進む必要があった。しぶきが顔にかかり、しょっぱい。やがて入り江が見えなくなる所までやって来た。岩の間にわずかな隙間があり、アマビエの光は、その中へ入っていく。地面はなく、立ち泳ぎで濡れながら進むしかないようだ。


「句朗、やっぱり、狛季たちを呼んできて」


「入を一人にするわけにはいかないよ。大丈夫、浮文紙に書くから」


 水に濡れた手で、紙に文字を書くのはひと苦労だったが、なんとか今の状況を書いた。


「こんな分かりにくい場所、たどり着けないよ」


「分かった、木偶に案内してもらおう」


 そう言って句朗は、狛季たちをここまで連れてくるように木偶に言い含め、空に放った。入はそんなことできるはずがないと首を振ったが、結局他に良い手段が思いつかなかったのか、洞窟の中へ入っていった。


 洞窟の中は、思いの外広かった。水深は浅く、幸い歩いて進むことができそうだ。ただ、下半身が冷えたこともあり、手足がこわばってきた。

 しばらく進むと、開けた場所に出た。ある程度広い地面があったので、二人はなんとか這い上がり、体を休めた。アマビエの光は、水の淵できらきらと輝いている。


 体中を擦りながらその光を見つめていると、光は徐々に大きくなっていって、ついにアマビエが姿を現した。


 その顔の恐ろしさに、句朗は一瞬息を止めた。


 アマビエの頭部からは髪のような長い毛が生えており、濡れて体に張り付いている。身体は鱗のようなものに覆われ、腕はない。下半身は水の中なので見えない。鼻と口の形状は、鳥の嘴に近いだろうか。ただし、やわらかそうに見えた。一番怖いのは、その目だ。目の数と位置は人間と同じだが、向きが異なっていた。縦に細長いのだ。


 句朗は、自分がアマビエの言葉を知らないことに気づいた。アマビエは人間の言葉を話せるのだろうか。誰かを待っているのか、アマビエは口を利かなかった。


 しばらくして、狛季たちがやってきた。みな水に濡れ疲れた様子だが、それを先導するのは句朗の木偶だった。隊員が順に地面へ這い上がると、すぐに狛季が進み出た。


「アマビエ殿、話をする機会を設けていただき、ありがとうございます」


 疲れを顔に出さずに、狛季は頭を下げた。


「こちらにも事情があったのだ」


 このアマビエは、人語を話せるらしい。その声には、しゅわしゅわと、泡がはじけるような音が混ざっていた。


「この近くには恐ろしい生き物が住んでいて、貴様たち人間を嫌うのだ。私たちも、その生き物の機嫌を損ないたくはない。だから早く要件を済ませたい」


「病に詳しいアマビエ殿に、ハカゼについてのご意見を頂戴できないかと、参りました」


 狛季は要件をまとめて伝えた。


「ハカゼとは、あの魂が絡まる病のことか」


 狛季が返事に詰まる。


「あれは身体の病ではない。魂の病なのだ。人から人へうつることはないが、身近な人の死はその進行を早めるだろう。魂が、身体に絡みつき、自分が自分であると分からなくなるのだ」


「治療法はありますか」


「絡みついた魂を解くことができれば、治るだろう。フッタチを知っているか」


「はい」


 フッタチとは、千年生きた生き物のことだ。千年生きると、生き物の魂が見えるようになるという伝承が、昔から油隠にはある。


「フッタチに、絡まった魂を解いてもらうのが良いだろう」


 鼓童が鼻で笑った。すると、アマビエの目が横にかっと開き、より恐ろしい顔になった。洞窟内に緊張が走る。狛季がアマビエに負けないくらい怖い顔で鼓童を睨み、それを見た句朗は思わず姿勢を正す。


「分かりました。それ以外に、例えば薬や治療法はないものでしょうか」


 狛季が尋ねると、「ない」というそっけない返事が返ってきた。


 狛季はお礼の言葉を何度も口にした。このアマビエに攻撃性はないようだが、アマビエの言う通り、話を聞けた以上、早めに帰った方がよさそうだ。帰る意思を伝えると、アマビエは目を見開いたまま、無言で一行を見送った。


 一行は、震えながら仮の拠点へ戻ってきた。その場に残っていた翠羽隊が食事の準備をしてくれていたため、すぐに暖かい食事にありつけた。鼓童は狛季に蹴りを一発入れられ、少しは反省したのか、静かに隅の方で壁にもたれかかっていた。


「庵霊院の庵老師がフッタチだと聞いたことがある」

 狛季が飯を食いながら言った。


「アマビエの言っていたことは、もしかしたら的外れじゃないかもしれない。つまり、魂が絡まる病だという話だ」


 いったい人間が千年も生きるとは、どういうことだろう?句朗は気になったが、口を挟まないでおいた。

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