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目有たちの暮らしていた村は、九頭竜国から庵霊院へ向かう途中で、北へ三日ほど歩いたところにあるそうだ。二兎山という山の近くだ。呪師ばかりの集落で、他の土地の人間とは交流せず、森の中で人間以外の生き物たちと共生していた。茶々は、その集落でも、特に呪術に秀でていたらしい。ただ、あることをきっかけにして、目有と茶々はその集落を抜け、九頭龍国で身を隠すことになったのだった。
「私は九頭竜国で暮らすことになったけど、この人は、国の外れで暮らしているの」と目有が茶々を指して言った。この小さな体でここまで来るのは、大変だったに違いない。
アヌ人形は、元々、村の人間の命を管理するために使われていたそうだ。
「十年ほど前かね。まだあのボウズがチビだった頃、私はあの子に命を助けられたんだ。村から逃げるときに死にかけてね。あの人形は使いようによっては便利な代物だから、くすねてきてお礼として渡した。他に何か価値のあるものが思いつかなかったもんでね」
「盗品ってこと?」
「文句あるか」
茶々が大きなあくびをひとつする。むき出しになった小さな歯は、思いの外するどかった。
「そういえば、五馬がしゃべる山彦に会ったと言っていたのは、みんなで二兎山の方へ、旅行したときだったね」
六鹿が懐かしそうにそう言って、みなはそれぞれ、昔の風景を頭に思い描いた。その頃にはまだ、ノウマも憑き物もいない、平和な時代だった。
「五馬を探すのなら、まずは庵老師に会いに行くべきだな」
「でもどうやって……」
六鹿は途方に暮れたように呟いた。
「煙羅国を経由するにはお金が足りないし、直接行くなんて馬鹿なことはできないしな……」
四蛇のぼやきを聞いて、茶々がにやりと笑う。
「なんだよ」
「いや、思い出し笑いだ」
思い当たるふしがあり、目有は結構おしゃべりなのかもしれないと、四蛇は思った。同時に、目有とそれほどの仲である茶々とは、一体どういう関係性なのかが気になった。
九頭龍国から庵霊院へ徒歩で行くとすると、十日ほどかかる。六鹿たちの持つ遊型車では、燃料を積んでいたとしても、途中で尽きてしまうだろう。道中で燃料を補充できるような場所もない。自衛団の車があれば、燃料を積んで片道分は持つかもしれないが、帰りの分がない。そもそも昨今の燃料は、胃が痛くなるほど高価なのだ。とても姉弟に払える額ではないのだった。さらに、距離よりも大きな問題は言うまでもなく憑き物の存在だ。到着するまでに、命がいくつあっても足りないだろう。
現実的な手段を挙げるとしたら、鳩車と雉子車を使う方法がある。どちらも煙羅国の乗り物で、それぞれ九頭龍国・煙羅国間と、煙羅国・庵霊院間をつなぐ乗り物だ。その二つの乗り物を乗り継げば、庵霊院へ行けることにはなるが、六鹿や四蛇のような一般人を乗せてくれるとは思えなかった。あの乗り物は、煙羅国のとある呪師が動かしているらしいが、利用できるのは、国の要人や、富豪に限られると思われる。一度だけ、ある事情があって乗ったことがあったが、同じ手は使えないだろう。
「お前たちの気持ちが定まっとるなら、庵霊院へ行く方法は考えてある」
茶々の言葉に、六鹿と四蛇は身を乗り出す。そのあとの言葉を待ったが、代わりにまた大きなあくびをした。
「その方法は、あとで目有に聞いてくれ。もう眠くて堪らん」
茶々は両手で器用に顔をぬぐうと、二人に向き合い、尻尾で二人の手を一度ずつぱしりと叩いた。
「最後にひとつだけ、わしと約束してくれ。庵老師に、目有の居場所を話したら、目有が死ぬと思ってくれ。この娘に何かあったら、わしは許さん」
「分かりました。絶対に言いません」
六鹿と四蛇はしっかりと頷いた。
「でも、どうして庵老師に話すと、目有が危なくなるの?」
「それは追々話す」
横で何か言いたそうにする目有を制し、「お前は、この国から出ることを許さんからな」と茶々が言った。目有は不満を露わにする。
「ふぁあ、もう、無理」
茶々がそう言って、倒れるように眠った。目有が六鹿に断ると、そっと茶々を抱えて六鹿の寝室へ連れて行った。
三人は、夜が更けるまでいろいろなことを話した。まずはこれからのことを話し、目有は、故郷のことをもう少しだけ話してくれた。軽く夕飯を食べた後は、昔話をした。学校のこと、憑き物のいる生活のこと、お金と仕事のこと、自分たちの育ての親のこと。五馬の名前はその端々に出てきた。
こんなに饒舌な彼女を見たのは、初めてだった。やっと自分のことを話せるようになったのが、嬉しいのかもしれない。
目有は明るくて、優しくて、正直で、六鹿は自分と対照的な女の子だと思っていたが、彼女の長所はそれだけではないことがよく分かった。今日軽く話を聞いただけでも、彼女が今の生活を手に入れるまでに、大変な苦労と孤独な思いをしたことが分かり、彼女の強さの背景が見えた気がした。彼女は感情に左右されず、公平で、ある意味では冷めている。だから、臆病で打算的な六鹿でも、素直な気持ちで安心して付き合えるのかもしれない。
六鹿は目有をいっそう好きになるのと同時に、胸の奥でまた小さな劣等感を抱いた。夜が更けるまで話し込み、そのまま目有は泊まっていった。
次の日、六鹿がいつもと同じ時間に目を覚まし、眠気のとれない頭のまま居間へ出ると、机の上に茶々が寝そべっていた。ちょうど窓から日の差す、わずかな部分に横たわっている。暖かいのだろうか。顔を上げ、しばし鼻をぴくぴくしていたが、何も言わずまた横になった。
「おはようございます」と小さい声で挨拶をしたが、聞こえなかったのか、無視された。
顔を洗って珈琲を啜っていると、やがて他の二人も起きてきた。四蛇が眠い目をこすりながら「んはよう」と言うと、「んはよう」と、同じ間抜けな声が聞こえた。茶々が真似したのだ。「おい」と言うと、全く同じ声で「おい」と答える。
目有が茶々の近くの席に座り、お腹を撫でながら「真似しないの」とたしなめる。茶々は、目有の手の動きを気持ち良さそうに楽しむと、小さな声で「にゃんすー」と鳴いた。その声は、誰の声でもなかった。昨日の茶々の声とも異なっていた。
「茶々は、今は話せないから」とだけ目有は言ったが、どういう理由でそうなっているのか、説明はなかった。目有が帰る際に玄関の扉を開けると、茶々は挨拶もせずどこかへさっさと消えてしまった。




