2-12
その頃、入は焦っていた。
顔付きは大きな四肢を持ち、二本の足で立っている。屈むような姿勢で、指先が地面に着くほど腕が大きい。巨大な手で、蒼羽隊の攻撃を鬱陶しそうに払う。あの手で叩かれたら、白駒のところまで吹き飛ばされるに違いない。
二足歩行のため、縄を使うのが有利に働くはずなのだが、一人では転ばせることができない。なんとか縄を足に絡ませても、身体があまりに大きいため、軽々と引きずられてしまう。顔付きの体は、二階建ての建物より大きいように見えた。
入はすでに五回以上地面を引きずられ、擦り傷だらけだった。幸い、こちらの攻撃を鬱陶しそうに振り払うことはあるものの、強い殺意を持って攻撃はしてこないようだ。
既に、はじめに発見した場所から大きく移動していた。白駒がぐんぐん近くなる。もっと後ろに引かないと、句朗らが危ない。何をぐずぐずしているのだろうか。
句朗とリオコは、なんとか憑き物の身体の三分の一ほどを破壊することができた。一度句朗が馬乗りにされたが、それが逆に敵の隙になり、リオコの打撃がまともに憑き物に当たったのだ。彼女は翠羽隊であるにも関わらず、十分に憑き物とやり合うことができていた。
二人は傷だらけで、砂塗れだった。憑き物の身体はぐらぐら揺れ、それでも攻撃の手が緩まることはない。憑き物は痛みを感じないのだろうか。
リオコが突然、句朗の後方を見上げながら、絶望の声を上げた。
句朗が後ろを振り返ると、巨大な影が目の前にそびえ立っていた。心臓をぎゅっと掴まれたように、一瞬で恐怖に支配される。
「句朗!」
どこかで入の声がしたが、次の瞬間、句朗の体は宙に浮いていた。
巨大な憑き物が、句朗を鷲掴みにして、持ち上げたのだ。
句朗は混乱の中で、逃れようと体をひねったが、顔付きの力はあまりに強かった。肋骨が砕ける想像が先走って、ぐっと奥歯を噛みしめたが、やがて力は弱まった。
平衡感覚を取り戻し、手をついて足をかけられる場所を探る。手には、ざらっとした感覚があった。
句朗はまだ憑き物の手の中にいた。指と思われるものに足をかけて、四つん這いで一番上から顔を出す。白駒も、桂班の人間も、見当たらない。
「句朗!」
声のする方を見下ろすと、入が必死の形相で追いかけてくるのが見えた。
「入!」
顔付きの手の縁から身を乗り出すと、次の瞬間後ろ向きに転がされていた。憑き物が手を丸めて逃げられないようにしたのだ。幸い、手の表面は柔らかい土でできているようで、怪我はなかった。
上下の揺れが激しくなり、憑き物が走り出したのだと分かった。
「句朗!」
入の声は、さっきよりも遥か遠くで聞こえた。すでに引き離されてしまったらしい。句朗は憑き物の指をこじ開けようとしたり、蹴飛ばしたりしてみたが、びくともしない。どうやら、四足歩行型の憑き物との戦いに夢中になっている間に、顔付きが近づいてきて、句朗のことを攫ったらしい。
句朗はやがて疲れ果て、指にもたれかかった。憑き物の顔を下から見上げると、目、口、鼻と思われるものが見える。そしてその作りの精巧さに、少しだけ驚いた。
他の憑き物とは違う。美術品のようにさえ感じる。顔は人間の物とはかけ離れており、機械のよう、もしくは分厚いお面のようだ。顎や額の部分に細かい装飾があり、口の中にもう一つ口があるような作りになっている。表情はない。ただ、空虚な視線で前方を見つめている。
顔付きは、たまに確認するように、こちらを見下ろす。目があるのは、ただの装飾ではなく、視覚か、それに似たような感覚があるのだろうか。
いったい、自分はどこへ連れて行かれるのだろう。掴まれたときに方向感覚がすっかり狂ってしまい、どちらへ向かっているのかさっぱり分からない。
ただ、不思議なことに、この顔付きには殺すつもりがないようだった。体が潰れないように、そっと両手で閉じ込めてくれている。よく見ると、顔付きの指は七本くらいあるようだ。関節の部分など、思わず指でなぞりたくなるような精巧な仕上がりだ。
顔付きの指の間から冷たい風が吹き込み、句朗は身を縮めた。
なぜこんなことになってしまったんだろうか。句朗は逃げ出す方法をしばらく思案したが、自分の身の安全を案ずるよりも、蒼羽隊にとって足手まといになったのではないかと、そういうことばかり気になった。すっかり忘れていたが、ポケットから浮文紙を引っ張り出すと、史紋から連絡が入っていた。句朗は、自分が無事であることと、指の間から見える景色について細かく文章で説明した。
指の隙間から見える景色は、徐々に寂しいものになり、それに伴い気温も下がっていく。
くしゃみがひとつ飛び出した。
それが聞こえたのか、憑き物がそっと手の形を変える。押しつぶされるのかとぞっとしたが、まるで布団をかけるように、手のひらでそっと挟み込んでくれた。
憑き物がこんなことをするのだろうか。句朗は驚いたが、顔付きに出会ったのは白紙に戻ってから初めての経験のため、句朗が知らないだけで、そういう個体もいるのかもしれない。
句朗は、この顔付きに対して、情のようなものが芽生えるのを感じた。しかし、憑き物である以上、破壊するしかないのだろう。
不思議な音を耳が捉え、あたりを見回した。音の出所が分からなかったが、どうやら、憑き物が声を発したらしい。なんとも悲しい声が、そのゆがんだ口から洩れていた。
もしかしたら、言葉が通じるだろうか。馬鹿げた考えとは思ったが、試す価値はあると思った。
「ここで、下ろしてくれないかな」
声を張り上げると、それが届いたのか、届かないのか、顔付きはうめき声をあげた。
「君は、どこへ向かっているの?」
「ううううう」
「僕、みんなのところへ戻らないと」
「ううううう」
「ごめんね、僕……」
憑き物が口を開けた。
「あああああああああ」
その咆哮に耳をふさぎたかったが、憑き物の手で押さえられており、腕を動かせない。
ふと、視界の端に何かが見え、次の瞬間には、顔付きの顔がすっと遠ざかった。
顔付きの腕が、切り落とされたのだ。地面に叩きつけられると同時に、句朗はそれを悟った。
「馬鹿が」
冷たい声が、彼を罵ったが、すでに句朗は意識を失っていた。




