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HUE ~だいだらぼっちが転んだ日~  作者: 宇白 もちこ
第二章 句朗
13/124

2-6

「で、本当に全部忘れてる?」


 入は、会話の続きのようにいきなり問いかけてくる。


「うん、ごめん」


 入はじっと句朗の顔を見つめると、短いため息をついた。


「君のことも、覚えてなくてごめん」と、そのため息に対して形式的に謝る。


「いや、いい」

 謝罪を鬱陶しく感じたのか、入はあっさりとした態度を返す。


古井フルイのことは?」


「古井?」

 初めて聞く名だった。人の名前だろうか。青い手記に書いてあっただろうか。


「覚えてない」


「あれ、青い手記は読んだんだよね?」


「うん」


「いまある?」


「あるけど」と言って引き出しから青い手記を取り出すと、入が手を伸ばしてきた。

 句朗は思わず、それを避ける様に、青い手記を遠ざけた。


 入は一瞬傷ついた顔をしたが、すぐにそれを隠した。


 「ごめん」と短く言って「そうか」と独り言のようにつぶやいた。句朗もそれに被せる様に、思わず「ごめん」と言った。


 なんだか、入の調子に乗せられている気がする。記憶を失ったのをいいことに、あたかも身近な人間だったような振る舞いをして、何か悪いことを考えているのだろうか。句朗は動揺を鎮めて、冷静に振る舞えるように自分の心を律した。


「説明しないといけないことが山ほどあるんだ。みんながいる時には話せないし」


 入は早口でそう言うと、眉間にしわを寄せて何かを考え始めた。句朗が入の言葉の意味を考えているうちに、また入が言った。


「ひとつだけ、約束してほしい。それが無理なら、無理だと言ってほしい」


 あまりに真剣な様子に、句朗は背筋を正して「わかった」と返事した。


「私を信用しなくてもいいし、君が知っていることを私に伝えなくてもいい。だけど、私と話したことは、絶対に口外しないでほしい」


 入が何かを急いでいることは分かったが、句朗は十分に時間をかけて考えた。入を傷つけるのは本意ではないのだが、あまりにも情報が少ない。『信用ならない』という自分の言葉と、目の前の彼女の様子を照らし合わせ、どちらを信用できるだろうか。句朗は、自分の言葉を選んだ。


「それは、約束できない」


 予想外の答えだったらしく、入は目を見開き、それから深い悲しみを浮かべた視線をゆっくり伏せた。


 二人の間に沈黙が降りる。句朗は心の乱れを悟られないように気をつけた。約束は信頼の上に成り立つものだ。口先でだけ約束することは可能だが、句朗はそうしたくなかった。


 長い沈黙は、句朗が破った。

「古井って、誰?」


 入が顔を上げ、まるで泣いているように見えてどきりとしたが、涙を流してはいないようだった。


「古井は……」

 入は言葉を止め、耳をすませた。廊下を足音が近づいてくる。


「この話はまた後で」

 小さな声で入は言った。


 ノックの後、史紋が入ってきた。

「いたか」


 部屋の中の空気に気付いているのか、いないのか、史紋は気にしていない様子で手を差し出した。


「この部屋の鍵を預かってきたんだ。下で、事務員と鍵屋に会ったから」


 史紋は句朗に鍵を渡すと、そのまま入の隣に腰を下ろしたので、少し意外に思った。


「鍵屋が珍しがって、きょろきょろしてたよ」


 鍵屋がきょろきょろしていた理由について、「外部の人は、滅多にここへ入れないからね」と入が説明してくれた。


 史紋は句朗の顔をちらりと見ると、「大丈夫か」と言った。


「はい」


「お節介だと思ってくれて構わんが……」

 史紋は迷いながら口を開く。


「俺はお前たちとは別の班だったが、お前たちがよく一緒にいたのは覚えているよ。古井さんに、くっついていたな」


 また、古井という名前が出た。句朗はしっかりとその名前を覚えた。青い手記を読み直す必要がありそうだ。史紋がそう言うのであれば、本当に入と自分は、周りから見て近い関係性だったのだろう。ただ、内心では入のことを信用していなかったのだ。拒絶されて悲しんだ入の様子は、演技ではなかったのかもしれない。


 史紋は立ち上がり、二人に言った。


「仲良くな」


 入は「うん」と素直に頷いた。


 夕飯の後、自室に戻った句朗は、青い手記を開いた。人物に関するページを読み、もう一度丁寧になぞっていったが、古井の名は一度も出てこなかった。その意味を考え、句朗はその晩なかなか寝付けなかった。


 次の日、句朗は風呂に入り、ひとりで朝食を食べに向かった。本部への連絡用と、班内の連絡用の二種類の浮文紙を折りたたんで、ポケットに入れておいた。浮文紙には、既にいくつかの連絡が来ていたが、句朗に関するものではなかった。


 机の引き出しの奥に、現金の入った財布があるのを、昨日の晩見つけたので、朝食代はそれで支払った。翠羽隊だと木偶を持たない人の方が多いらしく、そういう人は普段現金を使用するようだ。もちろん、蒼羽隊であっても、本部から外へ出ると現金を使う。給料を引き出すのには、街の銀行へ行く必要があるらしいが、ある程度はまとめて引き落としていたのだろう。財布にはまとまった額のお札が入っていた。


 広場の様子を眺めながら時間をかけて食べていると、蒼羽隊の人間数人に声をかけられた。みんな句朗が白紙に返ったことを知っている様子だった。同情の言葉をかけられ、ここでの生活が、そこまでひどいものではないということが分かった。


 食事を終え、部屋に戻る途中で入に会った。訓練場へ案内するため、句朗を探していたらしい。ポケットの中を確認すると、班内用の浮文紙に、『句朗どこにいる?』と文字が浮かんでいた。


「なんでそんなに早起きなの」と入は驚く。


 昨日の気まずさはなく、あっさりした態度だ。彼女は大きな鞄を背負っている。入が朝食を食べている間、彼女の指示で部屋へ戻り、仕事のための道具を持って、広場へ戻ってきた。腰につける鞄と、背中に背負う鞄を伴うと、体重が二倍になった気がした。

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