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25 後始末③【テオドール視点】

 私を殴るために振り上げられたベイリー公爵の腕は、アロンに掴まれ止められる。


「まさか、テオドール様に暴力をふるうつもりではないですよね?」

「くっ!」


 そのとき、慌ただしく使用人が駆け込んできた。


「旦那様! 奥様がっ!」


 使用人を押しのけてベイリー公爵夫人が執務室に入ってくると、とたんに金切り声が辺りに響いた。


「あなた! どういうつもりなの⁉」

「おまえ、領地から王都に戻って来たのか?」

「クルトではなくテオドールに公爵家を継がせるなんて正気ですか?」

「落ち着け! そんなことにはならない!」


 キッとこちらを睨みつけた夫人は、確かに私の母なのだが『こんな顔だったかな?』と思うくらい記憶に残っていなかった。


「テオドール、あなたクルトに何をしたの?」

「何もしていませんよ」

「ウソおっしゃい! 領地にまでクルトを批判する声と、あなたを称える声が届いているのよ⁉」

「それが何か?」


 顔を真っ赤にした夫人は、右手を大きく振り上げた。すかさず私と夫人の間にアロンが入る。


「どうやらベイリー公爵家では、手を上げるのが挨拶のようですね?」

「何者ですか、どこを退きなさい!」


 興奮する夫人に、私は「彼らはバルゴアの騎士です。私の護衛です」と教えてあげる。


「バルゴア? 田舎者が無礼な!」


 今度はアロンに向かって手を上げようとする夫人を、ベイリー公爵が慌てて止めた。


「やめるんだ! バルゴアを敵に回してはいけない」


 その言葉を聞いた私は、思わずため息をついてしまう。


「それが分かっていて、なぜこのような態度を取るのか……。今の私はバルゴアの役人であり、バルゴア辺境伯令嬢シンシア様の婚約者だというのに。私がシンシア様の寵愛を受けているとは思いませんか?」


 そう尋ねると、フッと母が嘲笑した。


「美しいクルトならまだしも、醜いあなたなんかが愛されるわけないでしょう? シンシア様は大変お優しい方で、哀れに思ったあなたを拾っただけという話は王都中の者が知っているわ」


 アロンとエドガーが頬を引きつらせながら、剣の柄に手をかける。その様子を見て青ざめるベイリー公爵に、私は淡々と尋ねた。


「どうして私をそっとしておいてくれないのですか? あなたたちが望んだ通り、私はアンジェリカ様に婚約破棄されて、クルトがアンジェリカ様と一緒になりました。望みはすでに叶ったでしょう?」


 ベイリー公爵は「アンジェリカが女王になって、クルトが王配にならなければ意味がないではないか!」と語気を荒くする。


「クルトは、王配になれるほど優秀ではなかった。それはあなたたちも気がついていたでしょう?」

「だからおまえがクルトを補佐すれば良かったのだ! バルゴアなどに行かず、王都に残れば良かった。そして――」

「死ぬまであなたたちの奴隷として生きれば良かったと?」


 私が睨みつけると、ようやくベイリー公爵は口を閉じた。


「なぜ、未だに気がつかないのか、不思議なのですが……」

「な、なんの話だ?」

「私の容姿が厳しい祖父にそっくりだからだと、あなたたちは私を憎んでいますよね?」

「それは……」

「そんなことをしておいて、どうして、私にも憎まれると思わないのですか? シンシア様と引き離そうとしたあなたたちを、私は殺したいほど憎んでいますよ」


 ベイリー公爵が、信じられないものを見たかのように目を見開いている。


「何もできなかった子どもの頃とは違い、大人になった私はあなたたちを陥れ、そろって断頭台に送ることもできるのに」

「テ、テオドール……? おまえ、本当に、あのテオドールなのか?」


 ベイリー公爵が、言いたいことは分かる。

 シンシア様に会う前の私は、ずっとベイリー公爵家の言いなりで、王女殿下の奴隷だったから。


 まさか、無気力な奴隷が主に逆らう日がくるなんて誰も思わない。彼らの中では、私は未だに奴隷のままで、奴隷が自分たちに危害を加えるなんてあるはずがない。


「そんなに私に復讐されて死にたいのですか?」


 私の言葉と共に、アロンとエドガーが剣を鞘から引き抜いた。彼らは私の命令なくしてベイリー公爵夫妻に危害を加えるつもりはないだろうが、脅すには最高のタイミングだ。


 血の気の引いた顔で、夫人が床に座り込む。


「や、やれるものならやってみろ!」と言ったベイリー公爵の声は震えていた。


「たった二人で何ができる⁉ 我が公爵家を守る騎士たちがどれくらいいると思っているんだ! テオドール、死にたくなければバルゴアの騎士たちを今すぐ追い出せ!」


 エドガーが「こいつら、やっちゃっていいですよね?」と呟いたので、アロンが「やめろ。テオドール様の指示に従え」と小声で返している。


 窓の外が騒がしい。夫人が慌ててここに駆けつけたように、傍系の者たちが続々と集まってきている。


 ベイリー公爵一族が治める領地は、そのほとんどが王都の近郊にあった。だから、半日もあれば領地で暮らす親族たちも王都に集まることができる。


 私は3日間で貯め込まれていた書類仕事を終わらせた。4~5日目には返送先に届いたはずだ。そして、6日目の今日、その書類を見た者たちが、ここに集まってきている。彼らの目的は、無能な現当主を引きずり降ろし、新しい当主を選ぶこと。今のところ、私の予想通りに全てが動いている。


 使用人が泣きそうな顔で「旦那様、皆様がお待ちです」と伝えた。


 舌打ちしたベイリー公爵は、「おまえたちは、この部屋から一歩も出るな!」と叫んでから出て行った。床に座り込んでいる夫人を、使用人が支えながら連れ出す。


 ガチャリと鍵を閉める音がした。扉を開こうとしたアロンが「外から鍵をかけられていますね」と教えてくれる。


 エドガーが「窓から逃げます? 俺がテオドール様を担いで飛び降りましょうか?」と言ってくれたが丁重にお断りした。


「大丈夫です。明日には、シンシア様に会えるので」


 アロンとエドガーが顔を見合わせてニッと笑う。


「なるほど、それは楽しみです」


 夜になっても私たちには、食事の差し入れはなかった。そんなことをする余裕がないほど、ベイリー公爵家内は混乱しているのだろうが、3人で過ごす執務室の中は静かだ。


 時折、ぎゅるぎゅるとお腹が鳴る音がして、エドガーが「腹減った……」と呟くくらい。


 窓の外には明るい月が浮かんでいる。

 あの月が沈み太陽が昇れば、シンシア様に会える。

 シンシア様のことを思うだけで、私の心は温かくなった。


 いつのかにかウトウトしてしまっていたが、ガチャガチャという大きな音で目が覚めた。部屋の中には朝日が差し込んでいる。


 開かれた扉からは、ベイリー公爵が転げ込んできた。


「バルゴアが、バルゴアが軍を率いて攻め込んで来た! 王都で戦を起こすなんてとんでもないやつらだ! 至急陛下にご報告して王宮騎士を派遣してもらわなければ!」


 窓の外を見ると、ベイリー公爵家の塀を取り囲むバルゴアの騎士たちがいる。門番はとっくに持ち場から逃げ出したようで、騎士たちはどんどんと敷地内へ入って来ていた。


「あなたがいくら陛下に懇願しても、王宮騎士は派遣されませんよ」

「何を……」


 窓を開けると、可憐な声が聞こえる。


「テオドールさまぁ! どこですか?」

「ここです、シンシア様」


 私を見つけたシンシア様が嬉しそうに手を振っている。


 呆然としているベイリー公爵に、私は「これは戦ではありません」と教えてあげた。


 窓の外からまた愛らしい声がする。


「テオドール様、お迎えに来ました! バルゴアに帰りましょう!」


 自然と口元が綻んでしまう。


「ただ、愛する人が帰り支度をして、私を迎えに来てくれただけですから。それに、シンシア様は、本当にお優しい方なので、あなたたちに危害を加えることはありません」

「そ、そうか……」


 瞳に希望の光が差したベイリー公爵の襟首を、私は乱暴に掴んだ。


「だから私が、あなたたちを2度とシンシア様の目に触れないように、ベイリー公爵領の山奥に押し込んで、一生貧しい生活をいるだけにしてあげますね」


 手を離すと、ふらついたベイリー公爵は、無言で床に崩れ落ちた。

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