21 銀髪野郎の言い分
短剣を首元に突きつけられたクルト様は「あ、うっ」と呻いています。
私はその様子を呆然と見ていました。
どうして、こんな愚かなことを?
テオドール様が「ご無事ですか⁉」と叫んだので、私はハッと我に返ります。
「あ、はい……大丈夫です」
「シンシア様……」
気がつけば、私はテオドール様の腕の中にいました。心地良い温かさにホッとしたとたん、私の身体が小刻みに震えてきます。
大丈夫だと思っていたのに、涙がこぼれました。私を抱きしめるテオドール様の腕にさらに力がこもります。
そんなとき、「仕留めるご許可を」とジーナの冷たい声が聞こえました。
えっ⁉ いやいや、確かに気持ち的にはそうですが、王宮内で公爵令息を私的に仕留めるわけにはいきません。
もちろん、このままなかったことにして見逃すつもりはありません。これからのクルト様には破滅が待っていることでしょう。なので、ジーナがわざわざ手を汚す必要はないのです。
それにしても、ジーナがあまりに本気なので、驚きすぎて私の涙が引っ込んでしまいました。
まぁ、ジーナの本当の主はテオドール様なので、テオドール様が止めてくれますよね?
そう思って黙っていると、テオドール様は私を抱きしめたまま無言でクルト様を見下ろしました。その表情は、感情が抜け落ちてしまったようにも見えます。
「……私はおまえが理解できない。両親からの愛も、公爵家の跡継ぎという地位も、社交界一と称えられる美貌も、人々から愛される話術も全て持っているのに……。これ以上、何を求めるんだ?」
「僕だってこんなことはしたくなかったんだ! でも、兄さんがいなくなったせいで、ベイリー公爵家はめちゃくちゃになった! 兄さんがバルゴアなんかに行ったから!」
「だから、シンシア様に危害を加えたと?」
クルト様は引きつった笑みを浮かべます。
「危害だなんて! 僕はただシンシア様に、兄さんより僕のほうがいいと知ってもらおうとしただけだよ」
興奮しているクルト様とは対照的に、テオドール様は淡々としています。
「反省も謝罪もできない相手からシンシア様を守るためには……もう、この世から消し去るしかないのか?」
テオドール様の独り言のような呟きを聞いて、クルト様は今さら慌て出しました。
「ち、違うんだ、待って兄さん! 本当に今、大変なんだ! 母さんは領地に行ってしまって戻って来ないし、父さんだけじゃ公爵家を回せない! 結婚なんてしなければ良かった、アンジェリカのせいで僕の人生はめちゃくちゃだよ!」
ガサッと音がしたほうを見ると、少し離れた場所でアンジェリカ様が立ち尽くしていました。いつからそこにいたのでしょうか。どちらにしろ、クルト様の言動はアンジェリカ様を深く傷つけたに違いありません。
そのことに気がついた様子がないクルト様がまだ喚いています。
「仲の良い友人たちには避けられて誰も助けてくれない。それに……サルマ夫人にずっと嫌がらせをされているんだ! もうどうしたらいいのか、分からないんだよ!」
私が「サルマ夫人?」と首をかしげると、テオドール様が「数年前に、クルトと付き合っているというウワサが流れた伯爵夫人です」と教えてくれます。
それって、既婚者にも手を出していたってことですか⁉
クルト様は、まだ自分勝手なことを叫んでいます。
「でも、僕がシンシア様を落とせば、兄さんが家に戻ってきて全てが元通りになる! 家族がまた幸せに暮らせるんだ! だから!」
どうしてそういう発想になるんですか?
自分勝手な言い分に黙っていられず、私はつい口を挟んでしまいました。
「あなたが言う家族の幸せの中に、テオドール様は入っていないんですね」
「そんなことはない! 兄さんだって、家族のために働けるのは幸せだろう?」
「あのですね……。意見も聞かずテオドール様の幸せを勝手に決めるのはやめてください」
テオドール様の深いため息が聞こえてきます。
「おまえと話しても何も解決しないことが分かった。シンシア様に危害を加えた大罪はベイリー公爵家に問う」
それを聞いたクルト様は、ハハッと乾いた笑い声を上げました。
「それって今回のことを公にするってこと? やりたかったらやればいいさ。でもね、こういう場合、損をするのは女性なんだ! 隙があったのではないか? 本当は女性から誘ったんじゃないか? そんな悪意ある憶測が社交界で飛び交うのが目に浮かぶよ」
この銀髪野郎は……。それが分かっていて、こんなことをしたんですね?
成功しても失敗しても、こちらが事件を簡単には公にできないと思って。
「あーあ、兄さんを選ばなければ、シンシア様はこんな目に遭わなかったのにね? ねぇ、兄さん。助けてくれたら、今回のことは黙っていてあげるよ。僕たちは家族だろう?」
私を抱きしめているテオドール様の腕がビクッと強張りました。そんなことを言われたら、きっと真面目なテオドール様は、自分のせいで私をつらい目に遭わせてしまったと悩んでしまいます。
そんなことはさせません。
私はテオドール様をギュッと抱きしめながら、クルト様を睨みつけました。
「助けてだなんて、今さら何を言っているんですか? テオドール様を家族扱いしてこなかったのは、そちらでしょう? それに一方的に搾取する関係を、家族と呼んではいけません! そういうのは虐待というんです!」
クルト様は、なぜかヘラヘラと笑っています。私の言葉なんて少しも届いていません。
こういう相手に感情的になってはダメです。そうだ、私もバルゴア辺境伯夫人のお母様のように、堂々と冷静に……。
私はテオドール様の腕から抜け出して、姿勢を正しました。大きく息を吸って、ゆっくり吐きます。そして、胸を張ってから、クルト様を静かに見つめました。
「そんな脅しが、バルゴアに通用するとでも?」
「うっ」となったクルト様がようやく口を閉じたので、辺りは静まり返ります。
その中でジーナが怖いくらい冷静な声で「この者を仕留めますか?」と再度テオドール様に問いました。
「……いや。離してやれ」
ジーナが突きつけていた短剣をしまうと、クルト様は「た、助かった」と言いながら荒い呼吸を繰り返しました。
「クルト。明日、ベイリー公爵家に向かうと父に伝えろ」
「テ、テオドール様⁉」
驚く私にテオドール様は微笑みかけてくれます。
「ご安心ください。もう二度とこのようなことが起こらないように後始末をつけてきます」
「後始末って?」
「わざわざ復讐するつもりはありませんでしたが……。向こうが私だけではなく、シンシア様にまで危害を加えようとするのなら仕方ありません」
そう言ったテオドール様の目は、少しも笑っていません。
そんなことには気がつかず、クルト様は嬉しそうです。
「やった! これでやっと全てが元通りだ!」
喜ぶクルト様を無視して、テオドール様はジーナに話しかけます。
「体調不良のため、私たちは先に帰る。陛下やロザリンド様に、そのことを伝えるように」
「はい」
テオドール様は「行きましょう」と私の手を優しく引きました。そのとき、私の手首に手形の痣ができていることに気がついたようです。
悲痛な表情を浮かべたテオドール様は、それきり黙ってしまいました。
少し離れた場所では、アンジェリカ様が呆然と立ち尽くしたままです。
「アンジェリカ様……」
声をかけたものの、なんて言ったらいいのか私には分かりません。
私の顔をみたとたんに、アンジェリカ様がクスッと笑いました。
「あなた、なんて顔をしているのよ。私の心配をしている場合? こんなときぐらい自分の心配をしなさいよ」
「で、でも」
「私は大丈夫だから。早く行きなさい」
結局、それ以上何も言えず、アンジェリカ様をその場に残して、私はテオドール様と一緒に馬車に乗り込みました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
ここまでの間に【クルト視点】を入れて、周囲から追い詰められている様子や、これまでの間に【ジーナが何をしていたか?】を書いたほうがよかったかも?と思いつつ、とりあえず、最後まで書きますね…!
ちょっと分かりにくいかもしれませんが、引き続きお付き合いいただけると幸いです♪