プロローグ
赤い。
視界一面全てが赤い。
身体の内と外から悪意の奔流が襲いかかり。
息苦しさに堪らず吸い込んだ空気が喉を焼く。
ジリジリと炙られる肌。
喉はとうに灼けてしまった。
眼のむき出しの粘膜が弾け飛ぶ。
紅が轟々と廊下の絨毯や壁を飲み込み迫り来る。
赤かった視界は次第に霞んでいき、前へと一歩踏み出すごとに自分の命が削れていくのを感じる。
確かに近づく死。
死が恐ろしくないのではない。
自殺願望が有る訳でもない。
しかし止める事は出来ない。
この身が燃え尽きても自分は進まねばならない。
燃え盛る■の奥も奥。隠し通路を抜けた先。その場所に■■は居る。
もはや何も感じぬ躯で倒れるように扉を開ける。
「……■■!」
燃え盛る部屋の中央部。崩れる周囲のその中に。やはり■■はそこにいた。
終わる世界の中心で、顔に両手を覆いかぶせ、『今』■■はそこで何を思うだろう?
空いた指の隙間から、覗く■■の表情は、泣いているようにも見えて。
嗤っているような気もした。
この時、僕達はまだ何も知らなかった。
「あ、熱いっ!」
そう叫びながらベッドから跳び起きると、言いようもない焦燥とともに背中にびっしょりとかいた汗に不快感を覚えた。「はあ、はあ」と息を整えながら見た時計はまだ予定の三時間前を指していた。
「はあ、またか……」
起きるにはまだ早く、二度寝できなくもない時間。いつもなら迷わず寝る僕だが、残念ながら今日は目がもう冴えてしまい、これ以上眠れそうにも無い。早起きはいいことだ。何か普段できない事が出来るぞ。と、自分に言い聞かせてみるけど、特にすることもしたいこともない。何をするかあれこれ迷った結果、とりあえず汗に濡れた服をどうにかする事にした。
ぐるぐると目の前の水塊の中で服が回る。
水流に身を任せ右に左に、時には上に、時には下に。
そんな服を見ていると不思議と心が落ち着いた。
起きてからずっと心の中でチリチリと燻っていた焦りが服の汗と一緒に洗い流されていくような気がした。
それにしても。
水中の服を見たまま声に出して呟いた。
どうしてこんな夢を見るようになってしまったのだろうか?
少し落ち着いた頭で考えてみることにした。僕がこの手の悪夢を見るのは初めての事じゃない。そう、初めてじゃないのだ。だからと言って慣れているというほどじゃない。年に数回だけ、特にこの季節に多く、悪夢は唐突にやってくる。
初めて見たのはまだ両親と一緒に寝てたぐらい僕がまだ小さかった時だ。その時、僕は顔を真っ青にして泣いていたらしい。
夢の始まりはいつも違う。僕が最初にいるのは緑が綺麗な庭園だったり、蒼の透き通るような湖だったり、知らない場所だけどとても穏やかだ。そんな安らかで美しいシーンがいくつもいくつも切り替わりながら進んでいき、突然、終わる。
美しかった光景は一瞬で崩れ、一面に広がるのは燃え盛る炎、焼け落ちる天井。ここからいつも同じ光景。僕の悪夢だ。その炎の中で僕はいつも誰かを必死に探している。誰だか知らないけど、きっと夢の中の僕にとってその人は大切な人なんだと思う。いつも起きた後に感じる悲壮感や焦りは絶対に偽物じゃない。
この気持ちは本物だ。
と、僕の心の奥底からナニカが叫ぶ。
そのたびに僕は少し怖くなる。誰か他人が僕の中にいるみたいで……
思考の渦に呑み込まれた僕を現実に呼び戻したのは「ぐー」となった腹の音だった。ハッとボンヤリしていた意識を覚醒させると時計はいつもよりむしろ遅い時間を指していた。
ヤバい遅刻する。
そんな言葉が無意識に口から出た
サッと洗濯に使った水塊を消し、慌てて服をしまう。
僕が住んでいる学生寮、というか学校は朝昼晩と三食すべて同学年の生徒が全員で集まって食べる。もちろん集合時間も規定されているわけで、学年全体に迷惑のかかる遅刻はまず許されない。
この前、遅刻したやつなんかは学年主任にこってり絞られていた。学年主任は「自慢じゃないですが、」が口癖の嫌味な奴なので出来る事なら説教はごめんこうむりたい。
急いでクローゼットの中からローブを取り出し、制服の上から羽織る。
顔も洗った。歯も磨いた。宿題も終わってるし、部屋の鍵も持った。忘れ物は何もない。時間もまあ、まだなんとか間に合う。
「おい、アーサー、準備できてるか?飯行くぞ」
ちょうどその時、かなり荒っぽいノックと共に部屋に大声が響いた。
「そんな大声じゃなくても聞こえてるぞマーリン」
「じゃあ急げ、かなり時間ヤバいぞ」
「分かってるよ」
負けないぐらい大きな声でそう返し、飛び出しながら手に持っていた杖をふって部屋の明かりを消す。
今日もまた一日が始まる。そのことに少し安心し食堂めがけて走りだす。この時には夢の事なんて僕の頭からはすっかり抜けてしまっていた。
プロローグ以外見つからないけどもったいないので供養