023 番外編 ツガイシステムと第六感1
少しだけ空いたカーテンの隙間から差し込む一筋の光が眩しくて、私はゆっくりと目を開ける。
まだ少し見慣れない、青い壁紙が目に入り私は一瞬戸惑う。
背中からはスースーと微かな寝息が聞こえ、私の腰には、思いの外逞しい腕が乗っかっている。
寝ぼけまなこで、ぼんやりとする頭の中。
私はここが、ローゼンシュタール帝国にある夫との屋敷だと気付く。
今は何時だろうと、私は自然な感じを装い寝返りを打つ。
そして私の前に現れたのは、無防備にすやすやと眠るオリヴァー殿下だ。
みんなの前に出る時にはいつだって完璧で素敵な皇子様なのに、毎朝ほんの少しだけ男らしくヒゲが伸びている。寝巻きの胸元はだらしなくはだけ、全身の力をこれでもかと抜き、無防備極まりない姿に、私の心は幸せで満たされる。
この姿は私だけが知る事が許される、夫の気取らない素顔だからだ。
「ふふふ」
私は彼の胸元に顔を近づけ、思い切り鼻から息を吸い込む。すると彼は少しくすぐったそうに、口元を緩めたあと無意識なのか私の頭を撫でてくれた。
その瞬間、私は幸せでうっかり昇天しかけた。
そしてそのまままどろみ始め、ふと我に返る。
(って、そろそろ起きないと。でもなぁ)
布団から出たくない。できれば大好きな夫の傍で一日中、ダラダラと惰眠を貪れるだけ貪りたい。
オリヴァー殿下の優しいぬくもりに完全敗北したまま、「仕事、休んじゃおうかなぁ」などと、不埒な気持ちと格闘すること数分。
私はまたもやうとうとしかける。しかし脳裏に未だツガイシステムに名の乗らぬ、とある令嬢の怖い顔が浮かび、私はビクリとして目を開けた。
(駄目だめ。仕事はしないと。ええと、バレないように、起こさないようにっと)
私は一日で一番スリル満点な任務に取り掛かることにする。
共働きの妻としては目を開けた瞬間、すぐ確認できるところに時計を置いておきたい。
けれど、私を一分一秒でも長くベッドに滞在させるため、愛する夫が視界に入る位置から時計を全て取り払ってしまったのだ。
よって、時間を確認するためにはベッドから起き上がらなくてはならないわけで。
「ん」
吐息のような、寝言のような。
私が彼から身をはがした瞬間。オリヴァー殿下が小さな声をもらし、私はピタリと固まる。
ここで彼を起こしたら最後、私は彼に捕獲され、髪の毛をセットする時間を短縮しなければならない羽目になる。それは帝国の第三皇子の妻として、避けなければならないこと。
(今日こそ、今日こそ一人で起きる。逃げ切るわ!!)
私はつま先にまで神経を研ぎ澄まし、彼の腕の中から何とか抜け出す事にチャレンジする。
私の身体がゆっくりと離れた彼は、もぞもぞと動き寝返りを打つ。
(くっ、起きないで!)
私は願うように祈り、息を殺す。するとすぐに、オリヴァー殿下は規則正しい寝息を立て始めた。
私は心でガッツポーズをし、背後から聞こえる寝息をしっかりと確認したのち、そろりと起き上がる。
「よし」
ホッとしたのも束の間、背後から伸びてきたらしい長い腕に、私の腰はガシリと掴まれる。
「まだ平気だよ」
「……えっ?!」
不意打ちで聞こえたのは、オリヴァー殿下の眠たげな、ちょっと掠れた声だ。いつもと違うその声に、うっかり萌えを感じ逃げ損ねた私は、しっかりと伸ばされた手によって、またもやベッドの上に逆戻り。ふりだしに戻る状態となってしまう。
「オリヴァー様?」
私は背後から抱き込まれたまま、オリヴァー殿下に問いかける。
「うん」
「あの……お目覚めですか?」
「いいや、寝てるよ」
「起きてますよね?」
「一日は長いんだ。もうちょっと、あと五分ほど寝てたって、世界は許してくれるよ」
後ろからギュッと抱き込まれ、さらには耳元で甘い声で囁かれ、私は「世界が許してくれるなら、それもありかな」とついうっかり流されかける。
しかしその瞬間よぎるのは、やはりとある令嬢の不機嫌そうな顔。
「オリヴァー様、離して下さい」
「嫌だ」
「遅刻したら、残業する羽目になるので、帰りが遅くなりますけど」
「それは……いやだな。じゃ、君からキスしてくれたら離すよ」
オリヴァー殿下はいつも通り、甘えん坊な声で私に強請った。
「眠り姫を起こすのは、皇子様の役目なのに」
笑いながら呟くと、私は彼にくるりと向き直り、頬に軽く唇を当てる。
「それじゃ、皇子は起きないよ」
目をつぶったまま、オリヴァー殿下が注文をつけてくる。
「この皇子様は、世界で一番わがままみたい」
私は彼の唇に優しく口づける。すると願いの叶った彼は、嬉しそうに目を開き私を抱き込む。
「おはよう、僕の可愛い奥さん」
「おはようございます。私のわがままな旦那さま」
私たちは、笑顔で朝の挨拶を交わした。
結婚して一ヶ月。私とオリヴァー殿下の朝は、甘くて幸せがたくさん詰まっていることは間違いない。
***
カランコロン
カランコロン
就業の合図が鳴ると同時に、エスメルダ王国婚姻解析課に駆け込む私。
「おっ、今日もギリセーフ」
肩で息をする私に向かい側の席から声が飛んでくる。
相変わらず独身を継続中である同僚のキースだ。
「新婚さんだもんな」
「というか、帝国から毎日ご苦労さん」
「でも仕事を続けてくれて助かるよ」
先輩たちの温かい励ましの声で支えられ、新婚一ヶ月の私は以前と同じように、「エスメルダ王国婚姻解析課」通称こんぶ課にて仕事を続けている。
なぜなら帝国にある屋敷と王城とを特別に繋ぐ転移装置を設置してもらったからだ。
私は国の力を使ってしまった。そのことが意味するのは、今まで以上に両国の為に働けという暗黙のプレッシャー。私はその期待に応えるべく、日々忙しくも充実した日々を送っている。
「アリシア、帝国からの出勤ご苦労様。って事でお客が来てる。応接室ですでにお待ちだ」
「え?」
(こんなに朝早くから?)
随分とやる気があるお客様のようだ。そしてこのパターンは手放しで喜べる状態ではない事を経験則からすぐに思いつく。
「もはやVIPだとも言えるお客様だ。よろしく頼むぞ」
窓際の席にいる課長に、念を押すように声をかけられる。
「はい、了解です」
VIPという言葉に嫌な予感たっぷり。気乗りしないまま返答し、引き出しに入れた黒いローブに袖を通す。
「ねぇキース、どんな人だった?」
「行けばわかる。そして仕事の出来る俺はほら」
ジャジャーンと効果音が聞こえそうな勢いでキースが私に差し出したのは、おなじみロンネの最高級の紅茶に、王宮訪問者用のクッキー。それからカップも王城オリジナルのいいやつ。つまり「おもてなし上セット」だ。
「それって、厄介ってこと?」
「だから行けばわかるってば。ほら」
グイグイとおもてなし上セットがのせられたトレイを押し付けられた。
「ありがとう……」
とりあえず礼を言い、私は応接室へ向かう。
「失礼します」
扉を開けるとそこには……。
「お久しぶりですわ、アリシア様。あら、全然幸せ太りをなさってないみたいですけど、結婚生活が上手く行ってらっしゃらないの?」
ピンクのドレスに身を包んだ可憐な、けれど辛辣な言葉を吐き出す令嬢。そして令嬢の隣には、無口な侍女とくれば。
「お久しぶりです。クリスティナ様、私は幸せですし、毎日充実しておりますので、ご心配なく」
(今日だってちゃんと、おはように、行ってきますのキスだってしたし)
むふふと頬が緩みそうになるのを何とか堪える。
「アリシア様、だらしない顔を晒さないで下さる?感染したら困るわ」
クリスティナ様は、わざとらしくバサリと広げた扇子で口元を隠した。
「…………」
私は黙ったままテーブルの上に、静かにお茶の準備を展開する。
「粗茶ですが、どうぞ」
内心「最高級なやつです」に変換し、クリスティナ様と無口な侍女の前に意匠の凝った美しいティーセットを差し出す。
「それで、本日はどのようなご要件ですか?」
私は二人の向かい側に座りながらたずねる。
「ナターシャ、例のものを頂戴」
クリスティナ様が隣に座る侍女に手を差し出す。
例のものという単語も気になるところだが。
(なるほど、彼女の名前はナターシャ様)
ようやく謎の侍女の名前を知る事ができた方がビックニュースだと、密かに感動する。
「お嬢様、こちらを」
ナターシャは持っていたポーチから白い封筒をクリスティナ様に差し出す。
「ありがとう」
クリスティナ様はナターシャから渡された封筒を手に取り中身を確認する。そして中に入っていた紙をソファーテーブルの上に広げた。パッと確認した感じ、人名が沢山記してあるように見える。
(一体なにこれ)
私はパズルを解くつもりで、ジッと広げられた紙に連なる名前を見つめる。
しかし男性の名前が連なって書いてあることくらいしか、共通点は見つけられなかった。
「クリスティナ様。こちらは一体」
「私の婚約者候補ですわ」
「えっ」
(ど、どういうこと?)
クリスティナ様は胸を張って答えたが、意味がわからない。
(だってツガイシステム……ってまさか)
私は嫌な予感たっぷりで紙から顔をあげる。
「そこに記載されている男性が出席する舞踏会に参加したいの。だからアリシアお姉様、手配をお願いしますわ」
どうやらクリスティナ様は未だ運命の相手を、自ら引き寄せようとしているようだ。
「ええと、私はツガイシステムの解析をしている、ただの職員でして」
(斡旋業務はしてないから)
喉まで出かかった言葉を飲み込む。なぜなら、そんなことを言えば、クリスティナ様は烈火のごとく怒りだすと思ったから。
「その、そういったことは、クリスティナ様のお父様に頼んだほうがいいかと思いますけど」
「お父様は私を溺愛するあまり、結婚しなくていいと仰っているから、全くアテにならないの」
「では、お母様のほうに」
「お母様は、社交界にいい思い出がないとかで、寄り付かないのです」
「では……」
私が次の案を考えている間にも、クリスティナ様はペラリと紙をめくった。
(うそ、二枚目もあるの!?)
驚きつつも、相変わらずやる気に満ちた様子に少し安心する。
棚ぼた的にというか、みんなが気遣ってくれたお陰で私は一夫多妻を免れ、オリヴァー殿下のたった一人の妻の座につくことができた。
(だからその恩返しはしたいところなのだけれど)
ここに記載されている全ての男性と出会う機会を用意するのは至難の技だ。
「私達の忖度する心により無事、ご結婚なさったアリシア様は王国に所属する職員ですわよね?しかも国費を費やし帝国より通勤される、特別待遇の」
私にとって耳の痛い、あれやこれやを強調しまくるクリスティナ様。
「ええ、まぁ……」
「だとしたら、私がきちんと幸せな結婚が出来るよう、斡旋する義務があると思うのですが。私は何か間違っていますか?なんなら国民にアンケートを実施されますか?」
私が渋る様子を察知したクリスティナ様は先手を打ち、痛い所をチクチクとついてきた。
「でも、私はツガイシステムを読み解く、いわば技術者のような立ち位置で」
はいそうですねとすんなり受け入れるわけにもいかず、私はなんとか逃げ道を探す。
「あら、ご自分だけ幸せになった途端、国民の幸せはどうでもいいと」
「そう言う訳じゃ」
「じゃあ、決まりですわ。アリシア様は私に恩があるはず。だから私に婚姻の斡旋をする義務もある」
「……はい」
逃げ切れない事を悟った私は、クリスティナ様が新しく示した二枚目に見慣れた名前を発見する。
『トム・グランジ』
彼は顔馴染みだけれど私の結婚相手ではない、エリオット兄様の近衛騎士であるトム様に間違いない。
(そっか、トム様も未だ独身だったわね)
彼の実家は由緒正しい伯爵家だし、見目麗しく、実力重視の近衛騎士という、大変立派な職についている。
そして、彼が未だツガイシステムに引っかからないのは、明らかに真面目に任務に励みすぎているからだ。
何よりトム様は、来訪の予定なく訪れる私をエリオット兄様に合わせてくれる、何だかんだ優しい部分を持ち合わせた好青年には違いない。
考えれば考えるほど、クリスティナ様にはお似合いかも知れないという気持ちになってきた。
(そう言えばそろそろ陛下主催の舞踏会も開催予定だったはず)
「わかりました。全ての方との顔合わせは無理かも知れませんが、私に出来る限りの事はさせて頂きます」
「まぁ、やっぱりアリシア様はお優しいのね。ありがとうございます。お姉様」
クリスティナ様が満足気にニコリと微笑み、明るい声を出す。
こうして私は密かに、クリスティナ様とトム様を引き合わせる作戦を単独で開始したのであった。
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