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天使の素顔

(騙された……!)


 まんまとリチャードに騙されたことに気付いた頃には、シェリーの姿もなかった。


(そもそも、彼女とはまだ一曲しか踊っていないのに……


 素直にシェリーの手を離してしまったことが口惜しい。


「くそっ……!」


 アランは苛立ちを隠せずに、思わず悪態を付いてしまった。慌てて周囲を見回すと、背後で小さく笑う声が聞こえた。


 しまった、とゆっくり振り返る。


「なんだ、ナタリーか……」


 よく見知った顔に、アランはほっと胸を撫で下ろした。



 アランは自身が"天使"と呼ばれていることを知っていた。

 

 幼い頃は病弱ゆえに、絵画に描かれている天使と自分を重ねらるることをどことなく不吉に思っていたこともあったのだが、大人に近づくにつれてありがたいことだと思えるようになった。


 人々は、天使に癒しを求める。微笑みや、優しい言葉を待っている。いつからか、アランは人々が自分にも同じようなものを求めていることに気付いた。


 期待に応えるのは苦ではない、失望される方がよっぽど辛い。


 そんなことを思ってから、アランは少しだけ"天使"のような自分を演じるようになった。


「いいわよ、踊ってあげる」


 ナタリーはアランが何か言い出す前に、そのしなやかな手を差し出した。アランはふっと小さく笑って、その手に優しく口付けた。


「ありがとう、ナタリー」


 ナタリーの細い腰をそっと引き寄せると、彼女は俯いてしまった。


 体調でも悪いのだろうか、アランはナタリーの顔色を窺うように覗き込んだ。

 

「……ナタリー?」


 少し休む? と尋ねると、ナタリーは小さく首を横に振った。彼女の瞳が、不安そうに揺れている。


「ダンスは苦手なの、貴方の足を踏まないようにしなくちゃ」


 ナタリーはそう言ってぎこちなく笑うと、再び足元へと視線を落とした。


「君にも苦手なものがあるんだな」


 "踊って《《あげる》》"だなんて、自信満々で誘っておいて、いざ踊り出したらアランの足元を凝視しながら、時折「ワン、ツー」と小さな声でリズムをとっている。


 それがなんだか可笑しくて、アランはたまらなく愛おしい気持ちになった。


「でも、さっきは上手く踊れていたよ」


「嘘よ、見てないくせに」


 拗ねたように口を尖らせてナタリーは笑う。


「嘘じゃないよ、ずっと見てた」


 驚いて目を見開くナタリーに、アランは当然だろう、と笑った。


「大事な友だちに近付く男なんだ、しっかりマークしてるよ」


 ナタリーの頬がみるみると赤く染まっていく。

 

「……そんなことより、いつまで猫かぶるつもり?」


 ナタリーは誤魔化すように話題を変えた。


「そんなつもりじゃないよ。でも、シェリーは俺のことを昔のまま、変わらないと思っているみたいだからね」


 シェリーはいつも、慈しむような眼差しでアランのことを見つめる。その目は温かくて優しい。


「それに、こうしてる方が女性ウケもいいって分かったんだ。"天使みたい"だって」


 アランはそう言って悪戯っぽく笑った。ナタリーもウィンストン家の天使の噂は聞いている。家柄、容姿、性格の揃った"天使"を射止めるのは誰か、その話題で持ちきりだ。



 ナタリーが天使の素顔を見てしまったのは、今から数年前のことだったと思う。


 偶然通りがかった隣町の路地裏で、上品とは言えないような仲間たちと煙草を吸っている姿を目撃してしまったのだ。いつもの白のブラウスではなく、若者に流行しているという労働者のようなシャツを着てまるで別人のようだった。


 名高い全寮制の寄宿学校に通っていると聞いていナタリーは、アランの変貌ぶりにすっかり取り乱していた。


 ナタリーからすると不良の集まりに見えたようだったが、彼らも同じ寄宿学校の仲間たちだった。街へ出て、議論を交わし、力比べをする。


 そこでのアランは自由だった。求められる自分ではなく、なりたい自分を目指していた。


 最初は半信半疑だったナタリーだったが、根本的な彼の優しさや誠実さ、穏やかさが失われていないとすぐに気付いた。


 アランには目指している男性像があった。それはリチャード・ディークスだった。ある日、ふらっと現れてコールドウェル家に雇われた従僕。男から見ても羨ましいほど整った容姿に、高い身長、それから外国語の本を辞書も引かずに読むことができる。


 何よりもアランが憧れたのは、あの見事な上腕二頭筋と美しく割れた腹筋だ。


 あの肉体に近付くためには、自分一人ではどうにもできないと思った。そこで、剣術を教えている祖母の元で修行していたのだ。

 

「でも、彼女には話すべきだったわ。お祖母様の所には修行で行ってたんだって……」


 ナタリーも昔のアランをよく知っているからこそ、シェリーが心配になる気持ちがわかる。病気の治療でなはく、筋骨隆々の男になりたいんだ!と言われた方がずっといい。


「言いたいとも思ったけど、努力したと思われたくないんだ。自然に生まれた筋肉だと思われたい、リチャードみたいに」


 ナタリーは深く溜息を吐いた。


 アランはリチャードに憧れているようだが、同時に敵対視もしている。リチャードがシェリーに付きっきりなった頃からは特に顕著だ。



「リチャードだって、きっと自然に筋肉がついたわけじゃないと思うけど」


 っていうか、そんな超人いるの? とナタリーは訊ねた。


「前に聞いてみたんだ。どうやって体鍛えてるの、って。そうしたら、『特別なことはしてませんよ』って言われた」


「それはきっと、貴方と同じ理由じゃないかしら……」


 ナタリーは呆れたように首を横に振った。


 どうして男ってこうなのだろう? ……いや、女同士でもよくあることだ。


 ナタリーとシェリーの間では無いことだが、お互いに手の内は絶対に明かさないものだ。


 ナタリーの場合、肌や髪をどんなに褒められてもその手入れ方法は教えない。決まり文句は"何もしてない"。


 だからこそ、他人の"何もしていない"も。あまり信用してはいけない言葉だと知っている。


「リチャードは絶対にシェリーに気がある」


 アランは断言した。ナタリーは曖昧に笑った。絶対にないとは言い切れない、しかし雇い主の娘と使用人という関係だ。それを想像だけで口に出すのはなんとなく憚られた。


「シェリーの結婚相手を探しているようだけど、リチャードはきっと俺のことを甘く見ている。雰囲気はこの通り"天使"、でも脱いだらすごいって最強だと思わない?」


 アランはそう言っておどけて見せる。ナタリーはこんな風にくだけて話すアランのことも好きだった。いつもみたいにゆったり優しく話すところも好きだけど、少年のように大きな口で笑うところも。

 

 もうすぐ音楽が終わってしまう、ナタリーは残された時間いっぱいでアランを感じようと、しがみつくように腕を絡めた。心地よい体温に包まれる。


 もう誰とも踊らないで、彼の温もりを残したまま終わりたい。



「……私はどんな貴方も好きよ」



 精一杯、勇気を出して伝えた言葉だった。


「ありがとう、ナタリー」


 アランは嬉しそうに笑った。本気にされることはない。私たちはもう何年も、そしてこれからもずっと"友だち"なのだから。


 離れてもまだ、指先に彼の体温が残っていた。


(名残惜しいと思うのは、きっと私の方だけだわ)




「私と踊っていただけますか?」


 曲が終わると同時に、また別の誰かが声を掛けてくれた。背はあまり高くはないけれど、少し年上で物腰の柔らかい男性だった。


 パートナーは途切れない方がいい、そう聞かされていた。一番惨めなのは、壁の花になることだ、と。


 その夜、ナタリーとダンスを踊りたがる男性が途切れることはなかった。腕に縛りつけたダンスカードにびっしりと名前が埋まっている。


 それでも今夜、彼女の心は満たされないままだった。

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