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穏やかな風


 ここまで来れば大丈夫、シェリーは肩で息をしながらそう呟いた。


「どうしたの、リチャードとケンカでもした?」


 アランは少し笑って、優しく訊ねた。


「ううん、そうじゃないけど……」


 勢いのまま彼の手を引いて外に出たものの、どこへ向かうのか行き先も決めていなかった。戸惑うシェリーに、アランは"きゅるん"とした小動物のような目をしてこちらを見詰めていた。この目に見つめられると、弱い。


「ケンカってほどじゃないわ、彼のことを少し怒ってるだけ」


「相変わらずだね、ケンカするほど仲が良いっていうし」


「そんなんじゃないわ」


 シェリーは拗ねたように口を尖らせた。


「どうしてリチャードのことを怒ってるの?」


 庭のベンチに二人並んで腰掛ける。どこから香ってくるのだろうか、甘い花の蜜の香りが漂っている。アランはシェリーに優しい眼差しを向けながら、そっとショールを掛け直してくれた。


 その優しい仕草に、シェリーは思わずここ数日の出来事を一気に話した。社交界シーズンが近づき、家の中がピリピリしていること。父がリチャードに監視役を頼んだこと。リチャードとマダム・ジュリアの勧める健康法が面倒だということ。リチャードがすぐに子ども扱いすること……。


「姉さんのことは"オリビア様"って呼ぶのよ、私のことは"お嬢様"って呼ぶのに」


「仕方ないよ。オリオビア姉さんは家を出て、もうすぐアーチボルト夫人だから」


 アランはそう言って、少し困ったように笑った。


 基本的にはシェリーの味方であるアランだったが、リチャードのことは少しだけ庇う傾向にあると気付いたのは少し前のことだった。同じ男性として、リチャードには憧れているところもあると言っていた。天使のよう可愛らしくて優しいアランが、完璧主義のピリピリイライラ男のどこに憧れるのか不思議で仕方ない。


 そんな憧れの人を貶すようで申し訳ないような気持ちも少しはあるのだが、聞いてほしい愚痴はまだまだたくさんある。


「それだけじゃないのよ、あのね……」


「落ち着いて、シェリー。なんでも聞くから」


 アランは相変わらず穏やかに微笑みながら、じっと言葉の続きを待ってくれている。


「あのね、私の結婚相手が自分が探すって言うのよ。いくらお父さまに頼まれているからって、私はもう子どもじゃないの。

だから自分で決められるのにって……」


 自分でも、どうしてこんなに腹が立ってしまったのかよく理解できなかった。


 男をみる目がない、と言われたことが予言めいてて嫌だったのか。それとも結婚相手も自分じゃ見つけられないと思われて悔しかったのか。


 どちらにせよ、ピリピリしていたのはリチャードだけでなかったのだと気付かされた。


「それほど君のことが心配なんだ。……大丈夫だよ、シェリー。僕はいつでも味方だから」


 アランはそう言ってシェリーの背中を優しくさすった。


リチャードの言動は全てシェリーの為であるということは知っている。完璧主義の彼からすれば、雇い主である父からの頼み事なんてこの上ない重圧になっているだろう。


(……わかってるけど)


 頭で理解していても、いさリチャード本人と顔を合わせるとやっぱり不満をぶつけてしまいそうだ。


(彼がもう少し優しく話してくれたら違うのかしら)


 さっきまでささくれ立っていた心も、アランに話を聞いてもらったおかげですっかり癒やされた。

 

「ありがとう。アラン、大好きよ」


 シェリーはそう言って、同じようにアランの背中に手を当ててみた。温かい体温が伝わってくると、なんだか心がホッとする。


「……僕も大好きだよ、シェリー」


「そうだ、祖母様はお元気だった?」


 シェリーはスッと姿勢を正し、今度はアランへと話題を振った。アランの祖母とシェリーは大の仲良しだった。離れた町に住んでるので、この頃は会っていないが、相変わらずエネルギッシュに活動していると噂で聞いたことがある。


「え? ああ、お祖母様は元気だったよ……」


 てっきり休暇中のウィンストン家の楽しい話が聞けると思っていたのに、何故か彼の返事はとても歯切れが悪い。


「アラン、もしかしてまた体調が優れないの?」


 幼い頃、アランはシェリーたちに心配を掛けまいと入院する事を黙っていたことがあった。その時はいつも"祖母の家に行く"と言っていたことを急に思い出した。


「まさか、そんな訳ない。もう大丈夫だよ」


 アランは慌てたように首を大きく横に振った。長年の付き合いで、これはが嘘ではないことはわかる。


「そう、それならいいけど……」


 ふと、古い記憶が蘇った。無機質なベッドの上で、虚に天井を見上げる幼いアランの姿。でも、シェリーが部屋に入ると、パッと嬉しそうに笑う。 彼に笑って欲しくて、シェリーは何度も病院へ通った。

 

「……私ね、アランが良くなって本当に嬉しいの」


「大丈夫だよ、もう昔の僕じゃないんだ」


 アランはそう言って頼もしく笑った。


「そうよね、背もいつの間にか高くなっちゃって……ねぇ、少し会わない間になんだか逞しくなってない……?」


 背丈が追い越されてしまったのは随分と昔のことだった。それでも、手首の細さや、華奢な方はシェリーとあまり変わらないように思っていた。どうしても、アランには女の子みたいに線が細いという印象が残っている。


 しかし、たった今軽く叩いた二の腕が、なんだかミシッと重厚に感じた。心なしか胸板も厚くなっているような気がする。


「き、気のせいだよ……。それより、シェリー、君こそ大人っぽくなったね。ますます綺麗になった」


「そうかしら? アランにそう言ってもらえると嬉しいわ」


 シェリーは照れたように笑った。彼女は社交辞令のように思っているようだが、これは彼の本心から出た言葉だった。


 美人姉妹として有名だったシェリーだが、どうも彼女は他の女性たちのように華やかに着飾るということには無頓着だった。もちろん、アランはその飾らないところが彼女の魅力であると思っていた。


 今の彼女は見違えるほどに洗練されていた。モスグリーンのドレスは彼女によく似合っているし、髪は強い風に吹かれても美しさを保ったまま、さらさらと靡いている。薄手のショールから透ける白い肌もは透き通るように美しく、薄化粧をしているところも初めて見た。


 こうして意識し出すと、急に心臓が爆発しそうになってしまう。


「シェリー……」


 まだ幼さの残るシェリーの優しい瞳を見つめる。彼女の細い肩に触れようと手を伸ばした瞬間だった。視線に入った木の陰に、一瞬だったが確かに人影が見えた。



(見られてる……)


 アランは盛大に溜息を吐いた。視線はずっと感じていたので、どこからか見られているのだろうとは思っていた。


「なぁに、アラン?」


 まだそれに気付いていないシェリーにもあえて教えてあげようかと意地の悪いことも考えたが、後が怖いので止めておくことにした。


(信用されていると思っていたんだけど、やっぱりされてないんだな……)


 こちらからははっきり姿は言えないものの、リチャードの突き刺すような視線を痛いほど感じる。


「いや、葉っぱがついてたみたい。僕はそろそろ行くよ」


 アランはドレスについた葉をとるような仕草をしてその場をどうにか切り抜けた。

 

「あら、もうそんな時間? ごめんね、私の話ばかりしてしまったわ……」


「いいよ、シェリーの顔が見たくて寄ったんだ」


 じゃあね、と別れの挨拶を交わす。


「そうだ、ナタリーもアランと会いたがってるの。また三人でゆっくり話しましょう」


「ああ、また三人で」


 三人はいつも一緒だった、幼い頃からずっと。憂鬱な社交界シーズンがはじまると思っていたが、またこうして三人で会えるようになるのは嬉しい。


 シェリーはそんなことを思いながらアランを見送っていた。

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