懐かしさ
ハイマートは海と山に囲まれた町だ。
大きく開かれた港には、鮮やかな船がいくつも停まっていた。異国の船を受け入れるために、歓迎するように飾られた同じように鮮やかな旗が、カラッとした風に吹かれて翻っている。
(なるほど……マックス様の言う通りだ)
町はすっかり様変わりしていた。すれ違う人はみな異国の香りがするし、町並みも全然違う。寂れた家は跡形も無く消えて、今はおもちゃみたいな色の宿と、祭りのような露天が軒を連ねている。
「綺麗なところね」
シェリーは嬉しそうに目を細めた。きょろきょろと辺りを珍しそうに見ている。
あの頃の暗鬱とした空気は一切無く、むしろ活気で溢れていた。
「ねぇ、あの山の向こう?」
シェリーが指差す方向には二つの山が見えている。リチャードは彼女の後ろに回り込んで、その指の向きをくるっと変えた。
「……こっちです」
変わっていたと思ったが、相変わらずあの山の辺りは薄暗い。また気分が沈みそうになっていると、ふと、彼女と目が合った。
照れたように視線を逸らす。散々"愛情表現"なんてしておいて、いざとなるとこれだから手に負えない。
「……何を照れてるんですか」
「だって、初めてのデートよ」
「そうですね、そのドレス可愛いです」
シェリーの青いワンピース風に揺れている。白い襟付きで大小様々な水玉が散りばめられているのだが、それが港町に良く溶け込んでいた。胸元の大きな青いリボンが可愛らしい。
「リチャードに秘密で用意したのよ。だって、貴方は私のクローゼットの中身を全部知ってるでしょう」
「ええ、初めて見ると思っていましたよ」
新しいドレスを用意していることに、リチャードは少しも気付かなかった。あのシェリーが健気に準備していたと思うと、感激して涙が出そうだった。
「貴方も素敵」
リチャードはライトグレーのスリーピーススーツにストライプのシャツ、深い青色のネクタイをしている。いつもより崩した前髪が新鮮だった。
シェリーはそう言うと、またはにかむように笑った。
急がなくていい、と言われたがもうすぐ雨の季節になってしまう。特に、ハイマートは雨になると道が完全に遮断されてしまう為、下手をすると町から出られないなんてこともある。そんなのは御免だと思った。
リチャードの休日と、シェリーの都合を合わせて、あれから十日後の出発だった。
リチャードはふと空を見上げた。雲の流れが少し早いのが気になる。
「リチャード」
シェリーが弾んだような声でリチャードを呼んだ。振り返ると、虹色のアイスキャンディーを二つ持っている。
「デート? って聞かれて、そうですって答えたらくれたの。見て、虹色よ」
受け取るとずっしりと重い。店の主らしき陽気な男が、「お幸せにー」と言って手を振っている。
遠くの方から主人と同じエプロンをした女性が鬼の形相で近付いてきていた。きっと奥さんだ。
「不思議な味ね、赤色は苺味かしら?」
本当に不思議な味だった。言われてみたら遠く微かに苺を感じる。
一歩進むごとに、必ず商人たちは声を掛けてきた。特にシェリーはその見た目から、男性から声を掛けられることも多く、その度にリチャードをやきもきさせていた。
「お兄さん、どこから来たの?」
それはシェリーも同じだった。港町のカラッと元気の良い女性たちに声を掛けられるリチャードにヒヤヒヤしていた。
大きく胸元の開いたドレス、動きやすさを重視して腕を捲り上げたスタイルは、健康的だが、しっかりと色気もあって女性から見ても魅力的だった。
何とか人混みを抜けたと思うと、また声を掛けられる。
「お嬢さん、ブローチだよ」
少し訛りのある話し方だった。
小さな箱の中にはコーラルピンクのハートのブローチが入っている。小さく書かれた値段はあまりに手頃だったが、珊瑚で作られたもののようだ。
リチャードは、ぷっくりと膨らんだハートの形のブローチがシェリーによく似合いそうだと思った。
「あら、可愛い」
シェリーも同じものを気に入ったようだった。
「それください」
「……いいの?」
「今日の記念です」
「ありがとう、大切にする」
シェリーは、さっそくブローチを襟につけた。
「確か、ちょうどこの辺りのはずなんだが……」
そこは小さな店だった。店内はほんのりと薄暗い。どうやらレターセットを専門に置いているらしい。見たこともない柄のレターセットや、美しいポストカードが沢山あった。
店の前にはポストがあって、港で休んでいる船乗りたちはそこから家族に手紙を出しているようだ。
外から店内を覗いて見るが、客は一人もいないように見える。
(そもそも、マックス様はどうしてこんな所に用事があったのだろう)
リチャードはそんなことを思いながら扉を開いた。重厚そうに見えた扉は想像よりずっと軽く、カランと小さな音を立てて来客を告げた。
「ここ? 可愛いお店ね」
シェリーはキラキラと目を輝かせている。そういえば、女の子はいつもレターセットが宝物のように扱っている。シェリーやナタリーもよく大きな箱に、色々な柄の便箋を入れてはお互いのコレクションをうっとりと眺めていた。
『一番好きな柄の便箋で、一番好きな人に手紙を書くのよ』
そう言ったのはシェリーだったか、それとも……。
「ドローレス……?」
夢でも見ているのかと思った。あの日と少しも変わらない姿で、彼女はにっこり微笑んだ。
「久しぶりね、リチャード」




